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【干された?】中森明菜の業界追放騒動の真相とは?ファンクラブ「アルテラシオン」やガウスの斉藤至廣社長、レコード会社との確執に迫る
中森明菜は、かつて〝歌姫〟と呼ばれ、数々の賞を受賞した歌手だった。しかし、1999年には、ファンクラブやレコード会社とのトラブルが相次ぎ、業界から追放されるという衝撃的な事態に陥った。その背景には、どんな事情があったのだろうか?
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ファンクラブの不祥事
中森明菜のファンクラブ「アルテラシオン」は、1999年7月13日に明菜の34歳の誕生日を祝うコンサートを東京、大阪、名古屋の3都市で開催すると発表した。チケット代は1人7000円で、総額2300万円にもなった。ファンはこの日を心待ちにしていたが、突然、コンサートがすべて中止になったという知らせが届いた。
中止の理由は、ファンクラブが個人事務所「NAPC」と協議せずに勝手に企画したものだったということだった。しかも、前のマネジャーが変わってしまったために、詳細が分からなくなってしまったということだった。ファンクラブの代表者は、払い戻しの対応もままならずに姿を消してしまった。ファンは怒りと失望でいっぱいになり、一部は法的な措置を取ると言い出した。
この騒動は、明菜のレコード会社「ガウスエンタテインメント」(現徳間ジャパンコミュニケーションズ)にも影響を及ぼした。ガウスは、明菜のマネジメント契約を結んでいた「インディジャパン」とも10月末で契約を解消した。ガウスは、明菜のファンクラブとは直接関係なかったが、「許しがたい出来事だった」と感じたという。
レコード会社との対立
ガウスと明菜の関係は、ファンクラブの不祥事だけではなく、他にもいくつかの問題があった。ガウスの斉藤至廣社長は、11月15日に記者会見を開き、明菜を痛烈に批判した。斉藤社長は、明菜が新曲を出してもプロモーションに協力しなかったことや、カラオケ映像に出演しなかったことなどを挙げて、「中森明菜はこの業界に置いてはいけない」と言って、業界追放を求めた。
斉藤社長の怒りの根源は、ガウスの親会社であるカラオケ大手の第一興商との関係にあった。斉藤社長は、第一興商の制作本部長も兼任していたが、明菜の新曲を自社のカラオケで流すことができなかった。明菜は、カラオケ映像に出演することを拒否していたのだ。これは、斉藤社長にとってはメンツにかかわる問題だった。
斉藤社長は、明菜のマネジャーと話し合いの場を設けようとしたが、なかなか返事がもらえなかった。明菜とも直接連絡が取れないことが多かった。斉藤社長は、もう明菜をフォローすることも無理だと判断したのだ。
明菜の立場
明菜は、この騒動に対してどう思っていたのだろうか?明菜は、自分の周りには信頼できる人がいなかったことに気づいていたのだろうか?明菜は、自分の性格や行動に問題があったことを反省していたのだろうか?
明菜は、トラブルの当事者でありながら、被害者でもあったと言えるかもしれない。明菜は、周りに集まってくる人たちが、実は自分を利用しようとしていることに気づかなかったのだ。明菜は、斉藤社長の記者会見の内容を聞いたとき、驚いたのだろう。明菜は、自分が〝歌姫〟と呼ばれたことに甘えていたのだろう。
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明菜は、自分の歌手としての意欲は失っていなかった。斉藤社長の記者会見の翌日、11月16日には、ジュディ・オングの呼びかけで、台湾の大地震の被災者のためのチャリティー・イベントに出演した。明菜は、「Dear Friend」という曲を歌って、ファンに希望を与えようとした。ファンは、「明菜、頑張れ!」と声援を送った。明菜は、約8カ月ぶりにステージに立ったのだった。
明菜は、この騒動を乗り越えることができたのだろうか?明菜は、業界から追放されたのではなく、自分から去ったのだろうか?明菜は、今でも歌い続けているのだろうか?
ソース:週刊女性PRIME