日本人初のハリウッド手形。子供が欲しくなったYOSHIKI(ヨシキ)が語る音楽と人生の軌跡!
ハリウッドの名所、TCLチャイニーズ・シアターの庭には、世界のスターたちの手形や足形が埋め込まれている。その中に、日本人でありながら、アジア人としても初めて、自分の手形と足形を残した音楽家がいる。彼の名はYOSHIKIだ。
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YOSHIKIは2023年9月にこの栄誉に浴したが、それは彼の音楽活動の集大成とも言える出来事だった。翌月には、クラシックとロックを融合させたソロコンサート「YOSHIKI CLASSICAL」のワールドツアーをスタートさせた。東京、ロンドン、ロサンゼルス、ニューヨークという世界の都市で、彼のファンは彼の演奏に酔いしれた。
英国の有力紙「デイリー・テレグラフ」は、ロンドンでの公演の直前に、YOSHIKIにインタビューを行った。その中で、彼は自分の音楽と人生について、率直に語っている。
父の自殺とロックへの道
YOSHIKIは幼いころからピアノを習っていたが、11歳の時に父親が自殺したことで、人生が一変した。その理由は今でも分からないが、彼は罪悪感と怒りに苦しみながら、ロックに救われたと言う。
「ロックは僕にとって、自分の感情を表現する方法でした。父の死は僕にとって、衝撃的でした。でも、それがなかったら、僕はロックに出会わなかったかもしれません」
X JAPANの解散と友人たちの死
YOSHIKIはロックバンドX JAPANのリーダーとして、日本の音楽シーンに革命を起こした。しかし、その栄光の裏には、悲劇が待っていた。97年には、ボーカルのToshIがカルト教団に洗脳されて脱退し、バンドは解散した。翌年には、ギタリストのhideが自殺した。2011年には、元ベーシストのTAIJIも死去した。
YOSHIKIはこれらの出来事について、「僕は自分を責めました。僕がバンドリーダーとして、みんなに無理をさせすぎたんだと思いました」と告白している。
「夢を追うことと、健康を保つことのバランス……これは僕にとって、難しいことでした」
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母の死と父親願望
YOSHIKIは2022年に、母親を亡くした。彼は母親と非常に仲が良く、彼女の死は彼にとって、大きな喪失だった。その後、彼は人生で初めて、父親になりたいと思うようになったという。
「母が亡くなってから、僕は父親になりたいと感じました。でも、まずはパートナーを見つけないといけませんね!」と彼は笑って答えた。
YOSHIKIは音楽と人生の両方で、多くの困難に直面してきたが、それでもなお、音楽への情熱を失っていない。彼は今後も、自分の音楽を世界に届けることを目指している。
「音楽は僕にとって、生きる理由です。音楽は僕を救ってくれました。だから、僕は音楽で、人々を救いたいと思っています」
この記事は、英紙「デイリー・テレグラフ」のインタビューをもとに作成しました。