私と統合失調症
大学院2年の5月、私は統合失調症と診断された。
始まりはもう覚えていない。幼いころからなのか、大人になってからなのか。前、別記事に書いたが、幼い頃からパニック障害の症状に悩まされてきていた。人混みを避け、ミント系タブレットをお守りに持ち歩く日々だった。
いつからか、人の視線が気になるようになった。道行く人が自分を見ている気がする。皆が好奇の目で見ているような気がする。私は、人々の本物かも分からない視線に苦しむようになった。
徐々に、声も聞こえるようになった。道行く人の笑い声が自分を嘲笑う声に聞こえる。人々の話し声が、自分の悪口に聞こえる。他人の笑い声に私は耐えられなかった。
ある夜のこと、私はついにおかしくなった。友人だったか交際相手だったか、電話をしている最中に私は「妖精が歌を歌いながら自分を探している。見つからないように隠れないといけない。助けてくれ」と訴えた。
私はついにおかしくなり、人々の視線や声に耐えられず、授業に出られなくなった。当時の私は自分の親が精神病や精神科に偏見をもっていると思い込んでおり、通院しているとバレたら叱られると思っていたが、我慢の限界に達した。パニック障害の発作も苦しかったし、病院に通うことを決意した。いきなり精神科に電話をかけるのはハードルが高かったので、まずは大学内の健康センター(病院と保健室の中間みたいなところ)に足を運んだ。
そこからはトントン拍子だった。3回ほど健康センターに通い薬をもらい、ほどなくして病院の精神科を紹介された。2箇所ほどの病院を提案され、片方が小さなのクリニック、もう片方が大学病院だった。事前の下調べにより精神科は医師との相性も大事であると思っていたため、合わなかったら医師を変えてもらえそうな大学病院のほうを紹介してもらった。
大学病院の医師は健康センターの引き継ぎと私との問診を通して、「統合失調症という病気は知っている?」という質問を投げかけた。
私は、はいと答えた。
当時はすでに携帯を持っており、自分の症状を検索し、なんとなく自分が統合失調症なのではないかもという自覚をもっていた。
そこから診断が下り、私は統合失調症患者になった。
あくまで私の目線ではあるが、まだ軽度なほうであると思う。まだ20代であるにも関わらず3度の休職、2度の退職をしているが、なんとか正社員、フルタイムで働いている。医師によると、統合失調症患者の就職率は20%、自殺率は約10%らしい。
しかしながら、私はやはり病気であると自覚せざるを得ない場面も多い。黒い影に怯えたり、愛する人の言葉が自分への攻撃に聞こえて時には悲しみ時には怒りで我を忘れ、他人の笑い声が自分を笑うものに聞こえる。
いちばん大切なことは定期的な通院、規則的な服薬である。生活習慣(特に食べること)はボロボロだが、きちんと夜に寝て午前中に起きること、そして夜は服薬することは継続している。(不眠症でもあるので幸か不幸か服薬しないと基本的には眠れないので服薬せざるを得ない)
今では自立支援医療制度を利用したり、障害者手帳を取得した。障害者手帳に関してはあまり積極的にとりたいと思わなかったが、なにかあったときにお守りになるから、と周りから助言をもらって取得した。
また、最近はヘルプマークも役所でもらった。今までは多少調子が悪くても電車に乗り席が空いていなかったら立っていたが、今はお守り代わりにヘルプマークをつけ、どうしてもしんどいときには申し訳ないと思いつつ優先座席に座らせていただいている。
薬を飲むようになってから、随分と生きやすくなった。今では街ゆく人の目線や声はほぼ気にならなくなり、ギリギリではあるが一般就労ができている。
今いちばん辛いと思うことは、時々調子が悪くなり、自分の異常性を最認識するとともに一生付き合っていかないといけないという事実に直面するときである。薬の副作用に苦しむこともある。今でも通院は継続しており、調子が良くなったり悪くなったりを繰り返しながら生きている。
これからの目標は、20%以下の一般就労を続けることである。正直、職場には既に病気をカミングアウトしており、相当配慮していただいているので本当に一般就労であるのかと問われれば若干怪しい部分もあるが、それでも正社員として働けている。働ける限り正社員として働き、自立した生活を送っていきたい。