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私とパニック障害
今思うと、私とパニック障害は随分長い付き合いであるように感じる。
1番初めにパニック障害だと思われる症状が出たのは、恐らく小学校4年生くらいの時。たしか週末で、少し遠くのショッピングモールに家族で買い物に行った時の出来事だった。
詳細はもう随分昔のことなので覚えていないが、猛烈な吐き気、激しい動悸、全身が強ばって上手く動かせず、自分が自分で無くなるような恐怖心は昨日のことのように覚えている。
次にパニック発作が起こったのは高校生の時。夏、試験期間で、エアコンを入れた教室は窓もドアも閉め切られていた。もちろん試験中なので、教室の中は静まり返っていた。
特に問題もなく試験を受けていた私だったが、少しずつ自分の体に異変が起こっていった。窓とドアを閉め切った教室がどうにも窮屈で、圧迫感を感じる。エアコンの風が寒い。体が震えて、気分が悪くなってくる。胃の不快感がつらい。他の人の視線が気になる。(試験中なので、誰も自分のことを見ているはずがないのに。)
結局試験は最後まで受けられず、試験監督の先生に気分が悪いことを伝え、保健室に向かった。
余談だが、私は保健室があまり好きではない。高校生のころ、養護教諭があまり親身になってくれなかったことがトラウマになっている。
私が通った高校の校風のせいであり、養護教諭が全て悪いわけではないのかもしれないが、私にとって保健室は安心できる場所ではなかった。胃の不快感を訴えると、朝食の内容を詳しく聞かれ、そんな朝食だから胃が悪いのではないかと指摘された。(確かおにぎり1個とかそんな内容だった。)試験が受けられないのなら早退して帰るようにと告げられた。
試験が終わる頃には、胃の不快感や動悸はすっかり治まっていた。今思えば、典型的なパニック障害の症状だったが、その時の自分には知識がなかった。
夏場の試験の度に私は体調を崩していた。胃の不快感がつらい。当時は、胃の調子が悪く、吐き気から動悸が来ると思っていた。そのため、胃の不快感をどうにか治めるために、市販の胃薬を瓶ごと学校に持ち込んでいた。休み時間になると、胃薬を飲んでやり過ごしていた。それでも時々耐えきれずに保健室に行き、朝食の内容を聞かれ、安易な胃薬の服用が原因なのではないかと疑われることもあった。親に連絡がいき、早退することもあった。
ある時、試験中エアコンの風がつらく、震えが止まらなかった。ただ寒いのではなく、体調不良からくる寒気だった。(今思うと迷惑な話だが、)教師に別室受験をさせてもらえないか申し出た。教師は快く引き受けてくれ、エアコンの入っていない別室を用意してくれた。窓が開いており、入ってくる風が心地よかった。それから、度々別室受験をさせてもらうようになった。空き教室も教員の数も限られている中、別室受験をさせてもらったことは今でもとても感謝している。
その後、私は大学に進学した。次に私を待ち受けていたのは、片道1時間の電車通学だった。その頃には、自分が閉鎖空間を苦手としていることを理解していた。
なるべく満員電車を避けるために、人の少ない電車を選び、毎日一限の1時間前に到着する電車で通学していた。胃の不快感を少しでも和らげるために、ミント系タブレットをお守りにしていた。
大学生活を過ごし、高校生の時には持っていなかった携帯を持つようになって、私は色々な知識を得た。そして、自分の諸症状を調べ、パニック障害なのではないかと思うようになった。
しかし、自分がパニック障害なのではないかと疑うようになっても、すぐには病院に行かなかった。その頃には、自分の体質を理解し、発作を上手くコントロールできていたのと、自分にとって未知の世界であった精神科へのハードルが高かったことが原因である。それと、完全に自分自身の偏見だが、親に精神科に通うことを知られたくなかった。親に知られたら、そんなの気の持ちようでどうにかなる、お前の心が弱いからだと言われるような気がしたからだ。
こっそり精神科、心療内科に通う方法も考えた。当時は親の扶養に入っていたため、保険も親の保険の被扶養者として入っていた。保険証を使って病院に行くと、いつどこの病院に行ったのかばれることも理解していた。しかし、総合病院に通えばその病院に通ったことは分かるが、どの診療科に行ったのかまではわからない。それを利用して、精神科か心療内科が入っている病院に通うことも考えた。しかし最初の1歩をなかなか踏み出せず、病院に行くことなく大学を卒業した。
その後、大学院に進学した。その頃から、別の病気に悩まされるようになった。その病気について話すと長くなるので今回は省略するが、それがきっかけで大学内の保健センターに相談に行った。そこで今通っている病院の精神科を紹介された。そしてついに、パニック障害と診断された。22歳の春頃の出来事である。
パニック障害は、現在も寛解していない。病院にも通っているし、ときどき発作が起こる。相変わらず閉鎖空間は苦手で、調子が悪い時には家でくつろいでいても発作が起きることがある。
私は、パートナーや特に親密な友人には自分の病気のこと伝えるようにしている。幸い、皆理解してくれ、時には発作で迷惑をかけても、優しく寄り添ってくれている。親にも伝えた。最初は戸惑っていたものの、親なりに理解してくれようとしてくれた。お前の心が弱いからだなんて言われなかった。今の自分があるのは、周りの人のおかげだ。
いつか、薬を飲まなくても発作の恐怖に怯えなくてもいい生活を送れるようになりたい。正直、自分にとって病院はなくてはならないもののため、寛解する日は来ないのではないかと感じている。当面の目標は、きちんと病院に通い、薬を飲みながら病気と上手く付き合っていくことである。これからも病気に悩まされることがあると思うが、上手く付き合いながら楽しい日々を過ごしていきたい。