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内田ゴシックの軟石

ずいぶん時間がたってしまいましたが、前回投稿の調査において派生的に知り得たいくつかの情報について、簡単にまとめておきます。


1.旧東京帝国大学附属伝染病研究所(東京大学医科学研究所1号館)ポーチの石材について

旧公衆衛生院(港区立郷土歴史館)ポーチ石材は椚石(くぬぎいし)だと考えられる、と結論付けた前回投稿の調査の過程で、以下のような情報も入手していたのでした。


「・・・椚石は(財務省玄関ポーチの)他にも、伝染病病院か何かに使われたと聞いたことがあります。」 
【青木石材店様へのヒアリング調査でのご発言  (  )内は筆者追記】



前回投稿でも触れましたが、旧公衆衛生院は、実は旧東京帝大傳染病研究所(以降、旧帝大伝研)の構内に建設されており、設計はいずれも内田祥三、主建物の竣工年は前者1938・後者1937です。
3D地図画像などを眺めると一目瞭然ですが、両者は配置・外観とも明らかに対でデザインされています。

両施設は大変深い関係にあるので、上述の「伝染病病院」はまず旧帝大伝研を指しているだろうと前提した上で、そこに椚石が使われているかどうかについて、簡単に入手できる情報の範囲で調べてみました。


旧帝大伝研のポーチ石材

建物外観。旧公衆衛生院と同様の構成。
やはり旧公衆衛生院と同様、淡黄褐色軟石の小叩き仕上。自形の有色鉱物が旧公衆衛生院の椚石より目立つ。
流れ模様やムラも目立つ。
材面の様子。
淡灰色~淡褐色の細粒の石基に、白い斑晶、それより控えめに有色鉱物の斑晶(角閃石か)。(写真の横幅約2cm)
約600角のブロック。
直接雨がかかる外面部は、旧公衆衛生院と異なり、現在は保護剤が塗布されている。

旧公衆衛生院と同様、スクラッチタイルを外装とする本体に、淡色の軟石系石材で仕上げられたポーチが取り付いています。
筆者による目視観察の限りですが、旧公衆衛生院のポーチ石材(椚石)と少し違う点としては以下が挙げられます。

・色みは淡黄褐色で、椚石より黄色みが強い。
・流れ模様がある。
・肉眼で確認できる大きさの有色鉱物が椚石より多い。

しかし、同じ銘柄とされる石材でもロットによって様相は大きく変わることもあるので、筆者程度の鑑定眼では、これだけをもって別の石材だと判断できません。

既往調査

既往調査のなかに、旧帝大伝研の石材に関する記述がありました。
「ヒシヤ石」に関する調査で(*1)、目下の関心事についてのみ抜粋・要約させていただくと、以下の通りです。


①【建築土木資料集覧】昭和6・8年版によると、熊取谷熊次郎という石材業者が「ヒシヤ石」を取り扱っており、その需要先の一つに「帝大伝研」の名もある。

②ヒシヤ石が使用されている建物として、旧帝大伝研の他に名古屋市庁舎、綿業会館、東京都復興記念館、旧兵庫県農工銀行豊岡支店が現存している。

③「ヒシヤ石」という名前は、熊取谷の屋号であるヒシヤが由来であると考えられる。またAヒシヤ石、Bヒシヤ石の2種類があると推測される。

④目視の限りでは、綿業会館と東京都復興記念館、旧兵庫県農工銀行豊岡支店と名古屋市庁舎に使用されている石材がそれぞれ似ており、旧帝大伝研にはその両方に似ている石材が使用されている。



前回投稿でも触れましたが、この「ヒシヤ石」は、旧公衆衛生院の設計図書(【公衆衛生院建物新築工事設計書】、【公衆衛生院建物新築工事現場説明事項】)においても、「瑞穂石」・「豊英石」と並列で指定されていたものでした。
設計者内田祥三は、「瑞穂石」・「豊英石」(つまり椚石)と「ヒシヤ石」を、同等材として考えていたと言えると思います。

次に、この銘柄名「ヒシヤ石」という石材の素性ですが、これも既往調査にヒントがありました。
「街角地質学」の西本昌司先生(ファンです)による名古屋市庁舎外壁石材に関する調査で(*2)(*3)、やはり目下の関心事についてのみ抜粋・要約させていただくと、以下の通りです。


⑤「国登録有形文化財名古屋市役所本庁舎現況調査報告書」に「ヒシヤ石貼り」と記載されている。

⑥名古屋市庁舎外壁石材の外見や構成鉱物は「由良石」に酷似しており、産地の郷土誌にも名古屋市役所に使われた旨の記載がある。由良石は香川県高松市由良山で採掘されていた黒雲母デイサイト。

⑦名古屋市庁舎外壁石材の現物資料(剥離片)について顕微鏡観察、粉末X線回折(XRD)、全岩化学組成の分析・比較を行った結果、由良石と考えて矛盾のないことが検証できた。



まとめ

以上の情報①~⑦を素直に総合すると、
「旧帝大伝研のポーチ石材は香川県産デイサイト由良石(銘柄名:ヒシヤ石)である。」
となりそうですが、より確かな情報とするためには、旧帝大伝研の設計・工事資料を探す、由良石のサンプルと突き合わせるなどの、より詳しい調査をする必要があるかもしれません。

冒頭の
「・・・椚石は他にも、伝染病病院か何かに使われたと聞いたことがあります。」
に戻ると、まず「伝染病病院」は旧帝大伝研を指していると思います。しかし実際には椚石は旧帝大伝研ではなく同敷地内にあった旧公衆衛生院に使用されているので、両施設の区別が意識されていなかったか、途中で情報が抜け落ちて伝わったのではないかと推測します。


2.その他の内田ゴシックの軟石について

スクラッチタイル外装の本体に組み合わせられる石材仕上ポーチ、その具体的な石種は、手持ちの情報の範囲では以下のようなものがあります。

この他にも、外観から石種を推測できるものはいくつかありますが、外観以外の手持ちの根拠がないため省略します。

共通する点は淡い黄色み系統(淡灰色~淡褐色)で、軟石系であること。
テクスチャとしてはスクラッチタイルと調和する柔らかい質感、色味としてはスクラッチタイルと対比的な明るい色で構成する意図があったのかもしれません。

石種不明ですが、個人的に惹かれるのは本郷キャンパス工学部1号館のそれです。色味は白く、色ムラは少なく、大きめの角閃石やガーネットらしき結晶が見られます。
工事面でも、ピースの整形加工が端正で目地材も美しい。よく見ると、石材表面は小叩きがしっかり入っているピースと、小叩きが弱いか無くほぼビシャン仕上のようなピースが入り混じっており、見ていて飽きません。意図的なものか、施工精度の問題か、風化が不均等に進んだだけなのかよくわかりません。
(東大本郷キャンパスの写真は、無断公開不可の決まりがあるので割愛します。)

なお、内田ゴシックに限らず加工し易い軟石系石材は日本の近代建築外装によく採用されましたが、後年盛大に劣化し、修理をしたいが同材は既に産出を終え入手不可、というパターンは、近代建築の保存修理における悩ましい「あるある」です。その点、椚石は劣化も少なく現役で入手可能であり、優等生と言えるのではないかと思います。

参考文献:
(*1)「ヒシヤ石について」 宮谷慶一 日本建築学会大会学術講演梗概集 2020
(*2)「名古屋市庁舎外壁の石材」 西本昌司 名古屋市科学館紀要 2018
(*3)「名古屋市庁舎外壁に使われている「由良石」について」 西本昌司 名古屋市科学館紀要 2020
(*4)「東京帝國大學図書館建築工事請負材料供給者氏名表」 東京帝國大學 図書館建築部 1928 (東京公文書館内田祥三文庫)

なお、(*3)において、旧公衆衛生院の石材も外見上「由良石」と思われる旨の考察がなされていますが、その点は前回投稿の調査から導き出された筆者の結論と異なっております。


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