旧公衆衛生院(港区立郷土歴史館) の 椚石(くぬぎいし)
都内で出会った、ある石材の身元を追った話です。
1.この石の名は?
旧公衆衛生院を訪れると、その石が出迎えてくれた。
スクラッチタイルで覆われた重厚な建物本体の足元に、淡色系で柔らかい質感の石材で装われたポーチが可愛らしく取り付いていた。
有色鉱物(簡単に、濃い色の鉱物のこと)はあるがあまり目立たず、きめ細かい石基(簡単に、地の部分のこと)のプレーンな淡灰色~淡褐色が印象的なおとなしい石材。
微細な孔をもつ材面に、丁寧に小叩き仕上が施されており、陽に当たると細かい陰影が生まれ、実に優しい表情を見せてくれる。陽光を掴まえるのが上手い石だ。
いかにも柔らかそうな材質を生かして柱頭飾りが彫刻されているのだが、砂岩のような脆さは感じさせない。拳葉飾りの曲面はのびやかで、稜線はシャープ。
地味だが表情豊か、柔らかそうなのに程よいキレも持ち合わせるこの石材は何という銘柄だろう? 今でも入手できるのだろうか? 珪長質の火山岩か凝灰岩かなとアタリはつけられるが、詳しいことは分からない。
できれば是非知っておきたい。調べてみることにしよう。
2.工事資料を漁る
保存修理工事報告書など
旧公衆衛生院は歴史的建造物であり、かつ近年大がかりな改修工事(耐震改修工事+保存修理工事+活用整備工事)をしているので、まずは保存修理工事報告書が存在するかどうかをチェックした。もし保存修理工事報告書が作成されていれば、関心の部位に関する何らかの情報が記されている可能性がある。
思った通り作成されていたので(【旧公衆衛生院(港区立郷土資料館「ゆかしの杜」保存修理工事報告書】 港区教育委員会 2020)、図書館で目を通したところ、ざっと要約して以下のような情報を知り得た。
情報①
あのポーチ石材に関して、【公衆衛生院建物新築工事設計書】という資料に、「瑞穂石又ハ『ヒシヤ』石小叩キ」という記述があるらしい。
情報②
当該石材部分については大きな劣化は見られなかったため、今回の保存修理工事においては、経年による黒ずみを落とすためのブラシによる水洗いのみが施されたようである。
情報②より、あのポーチ石材は今回工事でも大きく手を加えられず、基本的に当初材のままであるらしいことを確認できたはいいが、
情報①の「瑞穂石」と「ヒシヤ石」、結局どちらなのか。それ以前に、両方とも聞かない石名である。
これまでの経験では、保存修理工事報告書をひもとけば、大抵の場合目的の素材に辿り着き調査完了となるのだが、今回はそうはいかないようだ。
保存修理工事報告書以外にも、同じ改修工事に関するいくつかの資料(建築雑誌記事や建築学会関係資料など)をあたったが、あのポーチ石材に関しては上記以上の情報を見つけることは出来なかった。
だが、手掛かりをつかむことは出来た。
東京都公文書館に、内田祥三のご遺族から寄贈された「内田祥三文庫」なる資料群があるらしい。情報①の【公衆衛生院建物新築工事設計書】もその一部みたいだ。
研究職ではない、己の興味のためだけにぼっちで調査活動をしているような身分ではなかなか辿り着けない一次資料に、今回は珍しくアクセス出来そうである。
内田祥三文庫
膨大な資料群だった。
収蔵リストから旧公衆衛生院建設に関係すると思われる資料をすべてリクエストし、貸し出されたマイクロフィルムと紙資料に一枚ずつ目を通した。
すると以下のような記録を見つけることができた。
記録①
【公衆衛生院建物新築工事設計書】(公衆衛生院 1935)という資料に、
「『ポーチ』ノ貼石 瑞穂石 又ハ 『ヒシヤ』石 小叩キ」
とあった(P25 第五十八條)。
記録②
【公衆衛生院建物新築工事現場説明事項】(公衆衛生院 1935)という資料に、
「ポーチ石材(設No.58) ヒシヤ 又ハ 豊英石(旧ミヅホ石)」
とあった。
記録③
【公衆衛生院建設工事請負金内譯書】(公衆衛生院 1935)という資料に、
「正面玄関柱頭部彫刻 水穂石小叩」
・・(項目多数のため中略)・・
「柱型地覆其他 〃 」
「壁張付石 〃 」
とあった。
記録①の【設計書】は、内容的に現在でいう「設計特記仕様書」に当たるもので、建物各部の仕様を設計者が指定した図書。公文書館における資料の仕分け整理上、著者は公衆衛生院名義で登録されているが、実質的には設計者作成の資料と考えてよい。
前述の保存修理工事報告書の記載内容(情報①)を、あらためて一次資料で確認した格好。
記録②の【現場説明事項】は、おそらく現場説明会において工事受注希望者(ゼネコン)に配布された資料。現場説明会とは、工事見積や入札を依頼する際、発注者・設計者サイドが工事受注希望者に対し、設計内容・設計図の補足訂正事項・注意事項などについて説明する会のことである。
ここでは、記録①の【設計書】第五十八條に対し、「旧『ミヅホ石』であるところの『豊英石』」という主旨の補足説明を加えているのである。
記録③の【請負金内譯書】は、工事受注者である大倉土木株式会社作成の工事費内訳書。資料の仕分け整理上、やはり公衆衛生院名義となっているが、資料自体に「大倉土木株式会社」と記されている。
ここまでの整理:あのポーチ石材は「瑞穂石=豊英石」らしい
瑞穂石・ミヅホ石・水穂石の字違いは気になるが、まず同じ石材を指していると考えていいだろうと前提した。その上で、記録①~③から読み取れる事実を整理すると次のようになる。
・瑞穂石(ミヅホ石・水穂石)=豊英石 である。(記録②)
・設計者はポーチの石材として
「瑞穂石=豊英石」または「ヒシヤ石」を指定していた。(記録①、②)
・工事受注者はそれを
「瑞穂石=豊英石」で計上した。(記録③)
以上のことから、あのポーチ石材は「瑞穂石=豊英石」で表される石である可能性がきわめて高い、と言えそうだ。
3.「瑞穂石=豊英石」を追う
銘柄名らしきものに辿り着いたのはいいが(二つあるけど)、いずれも聞いたことがない。
建築石材の世界は、実に大雑把な分類だが御影石系・大理石系・その他に分かれ、前二つのグループの流通銘柄は豊富で覚えきれないが、その他のグループに属する火山岩、凝灰岩、砂岩などは、流通銘柄数が少ない分ある程度聞き覚えのあるものが多い。
とすれば、明らかにその他グループである「瑞穂石=豊英石」は、既に産出を終え現在では忘れ去られている石なのか、あるいは少量生産のローカル材なのか。
今度は「瑞穂石=豊英石」なる石材探しの作業にとりかかった。
もちろん真っ先にそれぞれの石名をWEB検索にかけたが(念のため「ミヅホ石」と「水穂石」も)、どれにも有力なヒットはない。
本邦産建築石材 と 日本産石材精義
【本邦産建築石材】(臨時議院建築局 1921)は今の国会議事堂を建設するにあたり、国内産の石材を調査研究した文献。
【日本産石材精義】(小山一郎 1931)は【本邦産建築石材】にも携わった著者による【本邦~】のいわば集大成版。
いずれも戦前に作成された有名な石材調査研究資料である。あまりメジャーでない銘柄や既に産出を終えた銘柄が掲載されていることも多く、今日ひもといても参考になる。
「瑞穂石」または「豊英石」の文字が掲載されていないかチェックしたところ、【日本産石材精義】巻末の図版集に「瑞穂石」を発見。説明書きはなく、「群馬 瑞穂石」のキャプションと石材面の65mm×55mmサイズカラー写真のみが掲載されている。本編本文にも関連記述は見当たらず、よって具体的な情報は得られなかった。
写真の方は、あまり鮮明でない小さな画像ではあるが、筆者のもつあのポーチ石材のイメージと大きく矛盾しない。
建築土木資料集覧
【建築土木資料集覧】は、昭和4年から(たぶん)昭和16年にかけて2年ごとに刊行された、建築・土木に関する商材の一大総合カタログである。建材メーカー各社ごとに1ページまたは2ページが割り当てられる形式になっている。
この資料が全て、国立国会図書館デジタルコレクションで自宅にいながらタダで閲覧できるのは、近代建築の素材を調査したい者にとってお恵みである。
ちなみに、自社商品のPRのみにとどまらず、ものづくりに対する信念や業界に対する見解などもとうとうと長文でしたためられていたりして面白い。
建築土木資料集覧に「瑞穂石」や「豊英石」の文字が掲載されていないか、旧公衆衛生院の設計期間の頃として、試しに昭和10年版をチェックすると、以下が見つかった。
「瑞穂石材商會」なる会社が「瑞穂石」という石材を扱っており、その説明書きとして、
「群馬縣に産する淡黄色の優雅な軟石でありまして、加工彫刻が容易で特に水磨き仕上げの明朗なことに於て各方面よりご賞賛を賜ってゐます、現在東大營繕課より順次多數の御用命を頂いて居ります。」
とある。水磨きで素敵になるのかどうかは不明だが、淡黄色の軟石であることや加工が容易なことなどは、あのポーチ石材の特徴に合致する。なお、ここでいう「軟石」はもちろん現在のJIS定義とは関係なく「御影石系や大理石系でない柔らかめの石」くらいのファジーな表現だと思うとよい。
また、「瑞穂石」は群馬県産と説明書きにあるので、出張所欄にある「群馬縣北甘楽郡磐戸村磐戸」が、「瑞穂石」の丁場や加工場ということになるだろう。
あと、関係あるかどうかは不明だが、旧公衆衛生院は東大の施設ではないが、実は旧東京帝大傳染病研究所の構内に建設されており、いずれも設計者は当時東大教授の内田祥三である。
「瑞穂石材商會」は建築土木資料集覧 昭和12年版にも掲載されているが、その他の版には掲載されていない。また、昭和12年版では「瑞穂石材商會(明田組石材部)」となっていた。
「瑞穂石材商會」や「明田組」についてWEBで多角的検索を試みたが、有力なヒットはなかった。
「椚石(くぬぎいし)」に辿り着く
「瑞穂石」の丁場や加工場が、かつての「群馬縣北甘楽郡磐戸村(今の群馬県甘楽郡南牧村)」に存在したらしい、という手掛かりを基にWEB調べをした。
「群馬 磐戸 石材」と検索してみると、結果的に本稿のゴールとなるキーワードに辿り着いた。
本稿タイトルにもある「椚石(くぬぎいし)」である。
「青木石材店」という椚石採掘元のWEBサイト(【https://aokisekizaiten.nanmokushoko.com/】)によると、
椚石は灰色から暗緑色の色調を持った、風化せず冬期に強く加工しやすい石英安山岩であり、
同店は160年前から磐戸で営業を続ける石材店で、今となっては唯一の「椚石」採掘元であるとのこと。
「風化せず冬期に強く加工しやすい石英安山岩」は、淡色で柔らかいテクスチャーを持ちながらいまだに損傷部の少ない、あのポーチ石材に対する筆者のイメージによく合致する。
なお石英安山岩とはデイサイト、一般にSiO2量が安山岩以上流紋岩以下の珪長質火山岩である(現在は「石英安山岩」という用語はあまり使わない。)
一方「灰色から暗緑色」の方は、あのポーチ石材のイメージとは少し違うが、切り出し直後は緑がかっていた軟石(ファジー表現)系石材が、徐々に灰色、淡褐色に変化する事例はしばしばある。鉄元素の酸化などが要因の一つと考えられる。
同店のブログ記事を読み進めていくと、さらに面白いことが分かった。
以下抜粋する。
「昭和8年から12年頃まで、大蔵省(現財務省)建設にあたり、椚石を使用することが決まり、『福島県』、『茨城県』、『群馬県(室田)』より、石工達が集まり、青木石材店の丁場より石を切り出し、荒取をした石を、磐戸村(現 南牧村磐戸)に工場を造り、ガンクソーで石を加工、下仁田駅から貨車で東京へ・・・
当時三代目が日本の国が豊かに栄えるようにと豊栄石と名付けました。」
(【青木石材店ブログ】 2011年8月6日記事 太字表現は筆者による。)
東京への出荷時期が旧公衆衛生院の建設時期と符合する上、またもや字違いではあるが「豊栄石」という石材名。
「瑞穂石=豊英石」と「椚石=豊栄石」。おそらくこれは
「瑞穂石=豊英石=豊栄石=椚石」ということになるだろう。
と半ば確信しつつ、青木石材店五代目石工・青木清二さんに連絡を取らせていただいたところ、唐突な丁場見学とヒアリングのお願いを快く受け入れてくださった。
4.丁場にて
シェアカーを駆り、下仁田ICから30分ほどで現地に到着した。
柔らかい材面で陽光を穏やかに受け止めていたあのポーチでの出会いからここまでの道のりを思うと、目前で輝く岩肌が感慨深い。
この丁場を運営するただ一人の石工・青木さんが出迎えてくださった。
この訪問の目標は以下の通り。
目標①
「椚石」=「瑞穂石」であるかどうか、できれば確証を得たい。
目標②
「椚石」現物を観察し、あのポーチ石材と類似しているかどうか、確認する。(目視レベルでしかないが)。
目標③
(旧公衆衛生院ポーチ石材問題と関係なく、一つの建築材料として、椚石について情報を仕入れておく。)
目標①と目標②が確認できれば、状況的にはほぼ「旧公衆衛生院のポーチ石材」=「椚石」と言えるだろう。
ヒアリング
自己紹介ののち、用意してきた資料を基に、「椚石」に辿り着いた経緯をお話ししたり、解き明かしたいことをお聞きしたりした。以下はその会話の要約。
M:椚石という名はどこから来ているのですか。
A:「椚(くぬぎ)」は旧磐戸村内のこのあたりをさす地名。かつてはこのあたりで10件ほどの石材業者が丁場や加工場を運営していました。
M:青木石材店が切り出した椚石が使われているという財務省玄関ポーチを私も観察したいのですが、あそこはガードマンが手前にたくさんいて近寄りがたいですよね。
A:事情を話せばポーチまでは入れてくれましたよ。旧大蔵省のことに関しては、ある方が詳しく調べてくれたところやはり椚石が使われていることはわかったが、「豊栄石」でなくて「豊英石」と書かれていたらしい。椚石は他にも、伝染病病院か何かに使われたと聞いたことがあります。
M:ちょうど旧大蔵省新庁舎への採用が決まったころ、このあたりで操業していた「瑞穂石材商會(明田組石材部)」という会社が、「瑞穂石」という名で椚石を出荷していたと推測しているのですが、心当たりがありますか。
A:「椚石」をミズホイシと呼んでいたこともあると、かつて聞いたことがあります。その響きが一時気に入り、子供の名にしようと考えたこともありました(結局採用しなかったそう)。ミズホイシという名がどこから出てきたのか不思議だったが、社名から採られていたとすれば納得がいきます。
M:それとは別に、青木石材店では当時、三代目が「椚石」を「豊栄石」と名付けたということですから、「瑞穂石材商會」とは別のルートで椚石を「豊栄石」として出荷していたということになるのでしょうか。
A:よくわからないが、あなたが来るというので、いろいろ探していたらこのようなものが出てきました。
といって、下の写真の書類を見せてくださった。
M:この明治石材商會という会社名義の送状に、青木石材店で数量を書きこんでいるということは、青木石材店と明治石材商會が例えば当時提携関係にあって、青木石材店が採石したものを明治石材商會の名で流通させていた、ということになるのでしょうか。
A:もしかしたらそうかもしれない。この明治石材商會と先程の瑞穂石材商會は実は同じ会社ということはないだろうか。住所はどうなっています?
M:それぞれ別の住所だから、別の会社のようです・・・
お話から判明した、今回の調査にとって特に重要な点をまとめると以下の通り。
要点①
やはり「瑞穂石」は「椚石」の別名である。
要点②
青木石材店三代目が付けたという「椚石」の別名「豊栄石」は、やはり「豊英石」と表されることもあったらしい。
要点③
「明治石材商會」という会社と青木石材店が、過去提携関係などにあったかもしれない。
実はのちの調査で、要点③は要点②を事実として確定することになる。
また、旧公衆衛生院と旧東京帝大傳染病研究所はとても深い関係にあるので、「椚石は他にも、伝染病病院か何かに使われたと聞いたことがあります。」という発言も非常に気にはなるが、これに関する考察は別の機会にしたい。
現物確認
小叩き仕上げを施したものも含め、いくつか椚石のサンプルを確認させていただいた。
細かい淡灰~淡褐色の石基、無色鉱物の斑晶、目立たない有色鉱物。
あのポーチ石材と酷似している。
青木石材店では椚石の岩石分析を過去に行っており、その資料も見せていただいた(【椚石(石英安山岩)試験報告書】関東土質試験協同組合 青木石材 2013)。概要は以下の通り。
全般:下層を岩脈で貫くように貫入し、地上に上昇・固結したデイサイトである。
偏光顕微鏡観察:細かい鉱物結晶による基質と、斜長石や石英の斑晶で構成されている。苦鉄質な鉱物による斑晶鉱物はない(現地観察では、目立ちはしないもののそれらしきがあった。:筆者追記)。珪長質なマグマによる岩石である。
XRD(鉱物組成分析):石英、斜長石のピークを確認。他に輝石類が入っている可能性がある。
XRF分析(構成元素分析):SiO2/70.71% TiO2/0.31% AL2O3/15.63% FeO/2.52% MnO/0.12% MgO/0.80% CaO/4.48% Na2O/3.99% K2O/1.31% P2O5/0.12%
別の地質学分野の既往調査の情報も合わせると、構成鉱物の大まかなイメージは下写真のようになる。
丁場見学
現物確認の後、丁場を見学させていただいた。
採石は、節理を意識しつつ必要な箇所に火薬を仕込んで発破し、原石ブロックをうまく下に落とす方法で切り出している。
おひとりで作業をされているので生産量に限りはあるが、現在でも800×800×1500くらいの原石ブロックを切り出すことはできるそうだ。
ビシャンと小叩きの簡単体験をさせていただき、その柔らかさも確認させていただいた。
最期にサンプルのご提供をお願いしたのだが、あわせていくつかの椚石グッズもいただいてしまった。
調査が一通りまとまったら連絡差し上げるとお約束し、本日の成果に大変満足しつつ、丁場をあとにしたのだった。
5.補完調査
青木石材店と「明治石材商會」なる会社が提携し、椚石を産出・販売していたかもしれない、という新たな情報を丁場訪問で掴んだので、「明治石材商會」を前述の【建築土木資料集覧】で探してみるとすぐに見つかった。住所も青木石材店にあった送状とぴったり一致する。
よく見ると、営業種目のなかに「豐英石」「採掘販賣」と記されている。
最初のスクリーニングで筆者が見落としていたことになる。「瑞穂石材商會」の発見で浮かれていたのだろう。「明治石材商會」のページは「瑞穂石材商會」の見開き対面にあったというのに。
この事実を含めて、改めて昭和8~12頃の椚石の別名問題をまとめると下のようになるだろう。
青木石材店三代目がつけたという「豊栄石」がなぜ字違いの「豊英石」となったのかは、不明のままである。間違いがそのまま通ってしまったのか、あるいは明治石材商會の意図的な変更か。石英が豊富な石、という意味を込めたのかもしれないと勝手ながら想像した。
6.まとめ
結論:あのポーチ石材は椚石だと考えられる
根拠①
旧公衆衛生院ポーチ石材として、
設計者は、設計段階では「瑞穂石」または「ヒシヤ石」、現場説明段階では「豊英石」または「ヒシヤ石」を指定しており、
施工者は、「瑞穂石」で工事費計上しているが(実際の表現は「水穂石」)、
この「瑞穂石」、「豊英石」は、現在の群馬県甘楽郡南牧町磐戸で産出されるデイサイト質石材「椚石」の、昭和8~12年頃の銘柄名である。
根拠②
椚石の肉眼観察上の外見(色味、結晶粒、構成鉱物種のおおまかな様子)は、当該ポーチ石材と大変よく似ている。
結び
すぐに突き止められるだろうと思いつつ始めた調査だったが、なかなかの作業量になってしまった。その報酬として、筆者の机の上には青木さんから頂いたかわいらしい椚石のペーパーウェイトが仲間入りしたのだった。
きわめて厳密にいえば、設計図書や工事費内訳書において椚石が指定されていたとしても、後に現場変更されてしまった可能性もゼロではない。だからあのポーチ石材から分析用試料片を少し切り出し(文化財建造物だから通常はNGだろうが)、鉱物組成や構成元素を分析して椚石のそれと比較することができれば、より確定的となるだろう。
もちろんそれに興味はあるが、筆者としては、既にゴールし終えた心境である。
現在も産出を続ける椚石に出会うことができ、自分の素材リストに加えることができただけでひとまず十分である。
それを今後の何かの仕事のなかで、例えばテラスに使うことが出来たならば、やはり穏やかに陽を掴まえてくれるだろう。
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