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パートナーが群発頭痛になった。
はじめに
パートナーが群発頭痛になった。
私のnoteに載せてほしい、と言われて、半分インタビューのような形で、以下の文章を書いた。
発症から診断まで
2024年06月。はじまりは、「頭が痛いから病院に行ってくる」だった。
彼女は痛覚鈍麻がある。目視するまで怪我に気づかないほどだ。そして、病院を嫌っている。
そんな人間が、「痛いから病院に」と言ったのだ。
通院初日。体験したことのない頭痛が数日続き、彼女は症状を調べていた。モーニングヘッドエイクという、起床時に強い頭痛と吐き気が起きる特徴が見つかった。「脳腫瘍と関連がある」という記述の恐ろしさが、足を病院へと導いた。近くの内科から、大きな病院へ紹介を受け、翌日に初診の予約が取れた。
通院2日目。CTには異常がなかった。頭痛を専門に見れる医師に代わりますと言われ、翌日の予約をして帰宅した。
通院3日目。専門の医師の診察と、イミグラン注射・酸素吸入が効いたことで、群発頭痛の診断が下りた。
発作の症状
発作では、突き刺す痛み、脈打つ痛み、涙が出る、顔の赤らみ、吐き気、耳が詰まる、冷や汗、震え、片目がチカつくといった症状が現れる。
発作の最中は、森羅万象に対して怒りを覚える。怒るということを知らなかった彼女だが、「生まれて初めて怒りを理解した」と言っていた。痛みとともに怒りが湧いてきて、それらが原点である自分に対する殺意になってしまう、と。
週に1回程度、おおむね朝方に発作で起こされ、1時間ばかり痛みに耐えて、それからようやく1日が始まる。
医療用と比べると気休めだが、市販の酸素缶を使うのがよいと勧められ、イミグランと共に携帯するようになった。
外出中、あまりの痛みに道端で嘔吐してからは、出先での発作を恐れ、引きこもりがちになった。
イミグランの入手
イミグランの入手は、とても困難だった。
時を同じくしてイミグランの点鼻薬が生産中止になっていたために、注射薬に需要が集中していたのだ。
まず、病院にある在庫が3本だった。ひとつを院内で打ち、ふたつを処方されて、病院の在庫が尽きた。
それからは、薬局に問い合わせを送り続けた。あるところでは、高価すぎて取り寄せができないと言われ、あるところでは、新規の受付はできないと言われ、また遠方の薬局では、直接取りに来るのであればお渡しできる、と言われた。
Xの有識者からいろいろとお教えいただき、どうにか、1ヶ月あたり2本の薬剤を確保できていた。……発作は週1で起きるのに、だ。彼女は本当のピークが来たときにだけ打つと決めて、それ以外の発作は酸素缶だけで耐えていた。
症状の悪化
発作は少しづつ増え、時間帯も朝から夜中に移った。家族や周りの人にしんどさを共有したくない自分にとっては、これは嬉しいことだった、と彼女は言う。私は寄り添うことしかできないのだが、それすらできなくなってしまった。
発作以外の時間も、ピークの7~8割の痛みがずっと続くようになった。その痛みで、働くどころではなくなった。仕事を休み、痛みに耐え、少し和らいだときに息抜きのゲームや外出を行う毎日が始まった。
家に設置する医療用酸素を導入したが、強い痛みには効果がなかった。いつしか、イミグランも効かなくなった。
そして、持病の双極性障害が悪化し、解離が起きるようになった。軽躁の影響で出かけた先や使ったお金を覚えてないことはときどきあったが、それが一層酷くなった。元来の識字障害も悪化し、読み書きがほとんどできなくなった。
また、痛みに耐えるための自傷をするようになった。血が出るまで皮膚を掻きむしったり、小爪を剥がしたりするようになった。
現在
今では週7、毎晩発作が起きては吐いている。フルニトラゼパム2mgという、強い睡眠薬を服用していても、痛みが叩き起こしてくる。寝ている私を起こさないようにして、トイレに向かう。
今日も明日も明後日も発作が起きる、という諦めから、希死念慮も現れ始めた。確実な死に救いを見出してしまい、ベランダから飛び降りたり、踏切に飛び込んだりしたいと考えることがある。それでも死なずに生きていけるのは、隣に私が居るからだと、彼女は言ってくれている。
ストレスが延々続くために、精神症状の他にも、さまざまな病気が引き起こされている。肥満、血便、皮膚炎、帯状疱疹、機能性難聴。
医師からは、ここまでひどい症例ははじめてだ、と匙を投げられてしまった。月1の診察は、ただ痛みの辛さを伝え、薬のガチャをするためだけに通っている。
日本で保険適用の薬はほとんど試したが、効果があるものは見つかっていない。
今はバルプロ酸を試している。
おわりに
お金を貯めて海外で治療をしようか、それがダメなら海外で安楽死をしようか、と話すことがある。
今の私達は、寛解期が来ることを祈るしか、できることがない。あるいは、新薬の承認を待ち望むしか。