続き

の続きだ。

さて、あの草稿は数ヶ月掛けて書き上げたものだ。時間が経った今となっては、事情が変わっている箇所がある。

現在私は心療内科に通っていない。通っていた医院の先生とはどうやらとことん相性が悪かったようだ。カウンセリング中に船を漕ぎ出したりたった今言ったことをそっくり訊いてくるようなのは相性以前の問題だが。こんな人に掛かるために1回5000円も使いたくないと感じた。自分の人生の一端を預けるべきではないと感じた。もう顔も合わせたくなくなるほど嫌いになってしまった。入れた予約をすっぽかし、以降連絡をしていない。もう他人への迷惑も考えるのが面倒になってしまっている。もう少し精神衛生を向上させたい。
そもそも、あの医者は医者として信用に値する人間だったのだろうか、を考えだすようになっている。ドクターショッピング、なんて言葉が脳裏をちらついている。でもとりあえず、あの医院にはもう行かないことにして、別の医院に行こうと電話で予約を入れようとしたのだ。ところが、その電話に出た受付のおねーさんともだめだった。どんな用件で掛かりたいのか根掘り葉掘り訊かれ、前にどこかの医院に行っていたか訊ねられ、ここで誤魔化せば良かったものを素直に答えたものだから、そこからの紹介状なしには予約は受け付けないと断られてしまった。まあ当たり前の話だ。が、それですっかり心が折れた。

心が折れても、私がヒキニートである現状は何も変わらない。とにかくそろそろ働かないと、経済的に立ちゆかなくなる頃合が近づいているのが分かる。母1人でこんなヒキニートを養っているのだ。母だってもう健康ではないのだ。更年期障害、糖尿病、認知症、その他諸々。本来ならば私が母を養っているべきなのだ。実際、私の貯金は母へと貸すことで月に数万づつ減っていっている。母はちゃんと返すと言うがそれが不可能なのは火を見るより明らかだ。この貯金だってもちろん私が稼いだものではなく、離婚した父が養育費にと渡してきたものを、私が母から譲り受けただけで、それ以外の分は親戚がお年玉やお小遣いだといってくれたものなのだ。自分のダメ人間っぷりにもうモニターが見えなくなってくる。とにかく、早く働かないといけないのだ。

でもこの身体をそのままで働くのは無理だ。性別違和はそうだが、ただでさえ月経がひどく重いのだ。1週間も出血し続ける中、外出どころか仕事をするなんて不可能だ。PMSだってある。…なんで私が月経に悩まなければいけないのか。言っても仕方ないが。だから、この月経を軽くするなり無くすなりをまずしなければならない。正直言って月経だけでなくこのF60とかいう馬鹿でかい胸も働く前にどうにかしたいが、どうにかするためには先に働かなければならない。で、月経をどうにかするために婦人科へ行き、ピルを出してもらうことにした。こっちでも揉めたり心を折られたらもう立ち直れないなあと思いつつ行ったが、拍子抜けするほどすんなり出してもらえて嬉しかった。…なんで私が婦人科へ行って嬉しがっているんだろうか。言っても仕方ないが。しかし、ピルというのは身体に合うものを見つけるまでにひどく時間がかかるそうだ。最初に出されたやつは酷かった。飲んでいる最中ずっとPMSの症状が続いた上、肝心の月経は9日間に伸び出血量も恐ろしいことになった。次に出されたものはそれなりに良い。今これを飲んでいて、あと少しで飲み終わる。そしてまた別のピルを出される。合うものが見つかるまでそれを延々続ける。

…なぜ私は、この身体の女性要素を減らすために、女性ホルモンを摂取しているのだろうか。ギャグなのかこれは。GIDの身体的治療では、ホルモン療法があり、つまり男性ホルモンを摂れば月経は止まるのだ、大抵の場合。なぜ最初から男性ホルモンを摂るのではいけないのか。…ああ、言っても仕方ないことなんか分かっている。男性ホルモンを摂るために身体的治療を始めるために社会的自立を果たすために働き始めるために月経を止めるために女性ホルモンを摂る。どこにもおかしいところなんてないじゃないか。

そしてこの文体には覚えがある。どうせまた鬱か何かになっているのだろう。けれども鬱を治すためにどうこうしている余裕があるものか。そもそも鬱かどうかなんて自己診断できるわけがない。単に心が折れて暗い考えに取り憑かれて塞ぎこんでいるだけだ。それに鬱だったとして、それを治すためにまた手間と時間と金が掛かる。それだけこの身体の女性要素を減らせる日が遠くなる。それだけこの身体に繋がれる時間が長くなる。それは嫌だ。

…分かっている。鬱であろうとなかろうと、こんな状態で働けるわけがないと。それくらいの思考能力は残っている。
じゃあこの現状、どこからどう手をつければいいのか、それを考えられるだけの思考能力は、残っていないのだ。
ただ毎晩ピルを飲んで、高いままの体温と、心なしか丸みを増した気がする身体を抱えて、PCの前で時間が過ぎていくのを待つだけのダメ人間だ。

唯一思い描けるプランは、運良くとっとと新しい心療内科にかかることができ、そこで運良く相性のいい先生に当たることができ、運良く素早くホルモン療法を開始することができ、運良く素早く乳房切除を行うことができ、運良く術後経過が良好であり、運良くGIDに理解のあるバイト先を見つけることができ、運良く上手いこと働いていくことができ、そしてこれらの間、運良く我が家が経済的に困難な状況に陥らない、というものだ。
「運良く」が8つ。不可能だ。こんなのは、ただの空想だ。

こういう話を始めると、スプリンクラーもかくやという勢いで泣き出す癖どうにかしたい。これを治さないと、心療内科の予約電話もできない。あのおねーさんもいきなり電話口で泣かれてさぞ困ったことだろう。夜寝る前にふとトリガー引いちゃって夜明けまで布団の中で泣き続けるのもひどく疲れる。外出中にこうなったときはそれはもう悲惨なことになる。

とにもかくにも、いろいろと詰んでいてどうしたものか。

そもそも、GIDの仕組みがもっと解明されていれば話は簡単なのだ。医者に延々自分の幼少期を語ったりしなくてすむし、こんな原稿を悩み悩み書く必要もないし、もっと早くに自分がGIDだと気付くことができた。…誰だよ「心の性別」とかクソみたいな言い回しを広めやがったのは。何が心だ。こんな定義が曖昧な単語を、多義的な概念を、なんかそれっぽい方向性だけで使うんじゃない。目の前にいたら数発ぶん殴ってやらないと気が済まない。最初から「『自己が認識する身体』の性別」って言ってくれりゃあこんな何年も悩んだりしない。なんだよ心って。ひっかけにも程がある。私の青春返せよ。
というかむしろ、「GID」って括り自体がクソなんじゃないかと最近は思っている。「風邪」並にクソみたいな括りなのかもしれないと。生物学医学神経科学精神医学心理学エトセトラ、GIDへのアプローチはいろいろあるが、それぞれが別個の「GID」だったとしたら。それぞれが複合的に、あるいは完全に個別のGIDを構成するのだとしたら。私のGIDの場合、『脳のなかの天使』に書かれている「上頭頂小葉で編成される多感覚の身体イメージのミスマッチ」という説明で完全に納得がいくのだが、私でないGIDの場合、この説明ではさっぱり納得がいかない可能性があるわけだ。当人達でこれなのだから、医療側の認識はきっともっとめちゃくちゃだろう。そんな人達相手に、自分の感覚を言葉で伝えなければいけない。なんと難儀なことか。食事をしたことがない人にリンゴの甘さを伝えるほうがまだ簡単なのではないかとさえ思える。…こういう話を心療内科でしたい。いや、話はただの趣味だ、この身体なんとかしたい。

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