胸オペ1年経過所感(性同一性障害 GID・FtMにおける身体的治療: 乳房切除術を受け、1年経った感想)

1年前のnoteがこちら↑になります。

早いもので1年が経っていた。ので書く。

ステータス
GID(性同一性障害・性別違和)、FtM(女性から男性へ)。
22歳。親元暮らし。アルバイトを辞めて今はニート。……たぶんニート。
一応、業務委託の在宅ワークに就いているのだが、ノルマなし、完全出来高制、仕事内容が完ッ全に関心知識特技の外、という3要素が合わさり、2ヶ月で1000円しか稼げていない。なぜ就いた。いやまあ、そこに求人があったからなんだが。
そしてNEETとは、"Not in Education, Employment or Training"。Employmentは"雇用"であって"就労"ではない。業務委託は、雇用ではない。
資格の勉強やオンライン学習の受講もしているが、求職の域には至らない。
なのでニート。
内向インドア酷暑金欠なのでほとんど外に出ないが、引きこもりではない。たぶん。

――さて。以下適当に列記。

胸をかばう所作が、習慣に残っている。
普通車から軽に乗り換えたり、眼鏡からコンタクトに変えたり、長髪をばっさり切ったり、といった類の、「もうないものを、あるものとして無意識に動いている」ということを、やっている。
椅子に掛けるときとか。寝返りを打つときとか。階段を降りるときとか。段差を飛び降りるときとか。
そのたびに、平らな――今は少し大胸筋がついているが――胸に触れて、今の物理身体の形はこれなのだと、体性感覚に情報を与え、認識下でのエミュレートと物理下での本番環境の同期を図る。

先月辺り、この「記憶身体」の正体は、"認識身体による物理身体のエミュレート"である、という理解を遂げた。

ということは、対となる"物理身体による認識身体のエミュレート"も存在するのではないか。そう思い返すと、確かにあった。昨年の術後、尿カテ抜去時。少し痛いですよ、と言われて身構えた尿道の長さが、認識身体のそれだった。

スッと終わって、呆然として、それからようやく、この物理身体の形を、男女の尿道の長さの違いを思い出した。軽い術後譫妄も混じっていたのだろうが、あのときは、確かにこの物理身体が、認識身体に上書きされていた。

そういうわけで、今この身体には計4つの感覚が重複し――いやこれ胸オペ経過のnoteだったわ。脱線してるわ。戻ろう戻ろう。

外観全体。
普通に男性の胸だね。服着てたらまずバレない。パス度ダダ上がり。
手術直後は、刳り貫いた部分とそうでない部分の段差――例えば胸の付け根、肩の方の、乳房じゃないけど脂肪はある辺り――が少し気になったが、馴染んだ。あるいは消えた。胸筋を鍛えているのがいいのかもしれない。

体表の創部。乳輪の縫合痕と、ドレーンの穴の痕。
元来肌が弱くて処方を受けているヒルロイドローションをちまちま塗り続け、相当に目立たなくなった。
乳輪部分は、皮膚を寄せたり合わせたりしてあるため色の濃淡が生じているが、その色も少しづつ均一になっている。もう数年くらい経てば、実際の乳輪と肌の境界と同等くらいにまで落ち着いてくれる気がする。現状も、ぱっと見で傷だと断定できるほどの目立ち方はしていない。たぶん。
脇のドレーン部分は、微かに白い盛り上がりが残るのみとなっている。風呂上がりの裸眼で洗面所の鏡に向かうと、見えない。指で探っても見つからない。首曲げて皮膚引き上げて直視しようとすると、今度は近すぎて見えない。そして、あーもうどうせ上から制汗剤塗るからいっか、と諦める。

体内の創部。刳り貫いた乳房部分と、ドレーンが通っていた部分。
時折、痺れるような、引きつるような感覚が生じる。週に1回とか、2回とか。あるいは月に、かもしれない。本当に時折。いわゆる「古傷が痛む」ってのはこれかな、みたいな。ちょっとさすったりするうちに、数分程度で引いていく。

感覚。
術後しばらくは、触覚が鈍かったり、全体的にざわざわしていたが、1年経った今、ごく普通に戻っている。中身だけがない状態。
……というかあれね。戻りすぎたね。感覚。「傷を消すためにクリームを塗る」って、行為としては性感帯開発のそれと同一なのね。

他。
手術から4ヶ月以上経てば乳頭縮小の手術が行えるから、受けたくなったら連絡をと、紹介状入りの封筒を再診時に頂いている。しかし、元からそう大きくなく、今の見目もそう不自然とは思わないので、行う予定は今のところない。先生も、このサイズなら個人的には必要を感じないけれど、こればかりは本人の納得の問題だから、と言い添えていた。

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