端的に言うと、私は発達障害だった。

タイトルセルフオマージュ。

うん、発達障害——当時は自閉症とかアスペルガー症候群とかって言葉だったけども——って概念を知った子どもの頃から、もしや自分はこれなんじゃないかという意識はあったよ。
でも人間ってのは大抵ありきたりで、平凡で、つまりはそういう珍しいものを引き当てるってのはそうない話だと思っていたんだ。自分は凡庸な存在だと無根拠に考えていたんだ。
それがどうだ。今やマイノリティの煮凝りだ。何したらこうも妙な属性ばかり引き当ててくるんだ私よ。

閑話休題。
胸オペが済み、心情と懐との双方でゆとりができたので、ここらでGIDだけじゃなく発達障害の方面も医療的アプローチを始めるか、と考えた。
とりあえずGIDで掛かってるクリニックで発達障害も診れたので診てもらった。担当の医師さんは普段は別の病院で専門にやってて、週1でここに来ているとのことで、その別の病院のほうに通って調査や検査を進めた。

で、結果、 "ADD + subclinical ASD" だそうだ。
……これは自立支援医療用の診断書を剥き身で渡されたので文面を残しておいてそこからコピってきたものだ。なので、同じく診断書の所見や、心理検査結果が出たときに口頭で受けた説明と合わせて解釈すると、
「多動のないADHD」「自閉症スペクトラムの疑いあり」
という意味だろう。おそらく。
ところでADHDの略す前の、"Attention Deficit Hyperactivity Disorder"っていいよね。「ハイパーアクティビティ」ってなんか強そう。

以下検査結果。

《WAIS-Ⅲ 検査結果》

全検査IQ 118 平均の上 (113-122)
言語性IQ 113 平均の上 (107-118)
動作性IQ 120 平均の上 (112-126)

言語理解 120 平均の上 (113-125)
語彙力は豊かで、 抽象概念にも問題はなく、学校での学習や一般常識的な理解力と社会の成り立ちの把握も十分できている

作動記憶 98 平均 (91-106)
計算力や一般的な算数の知識についても十分持っている
記憶について平均的な力はあるものの、自身の中では数字といった無意味な聴覚情報の記憶や、記憶をもとに頭で考えることはやや苦手であり、記憶の容量が追い付かないと感じることがあるかもしれない

知覚統合 130 優れている (119-135)
幾何学模様といった無意味な情報を理解する能力や、系統だったルールに基づいて視覚情報を処理する能力が非常に高い
順を追って、指示通りに物事を処理する力も高い
また、 具体物を使った作業は得意なよう
このような得意さと比較すると、年齢相応の力はあるが、有意味な視覚情報を理解・ 処理することは自身の中でやや苦手なよう
例えば、場面状況や相手の表情を理解する能力は平均的にあるが、理解しにくいと感じることがあるかもしれない
また、 情報の中から本質を捉え、重要な部分とそうではない部分を見出すことについて、平均的な力は持っているが、自身の中ではやや苦手なよう
そのため、自分なりにどこが大切か判断していても、他者と理解がずれてしまうことがあるのではないか

処理速度 94 平均 (87-102)
単純な視覚情報を素早く処理する能力は年齢相応
ミスもなく、単純作業を正確に行う力があるだろう
比較的ゆっくり作業する傾向が見られたが、その分丁寧だろう

《ロールシャッハテスト 検査結果》
① 認知特徴——物事の細部を詳細に把握する 全体の理解が難しい
② 思考の特徴——論理的思考 具象概念に縛られ柔軟性を持ちにくい
③ 刺激が多い場面や、強い刺激がある場面では情緒的に動揺しやすい
④ コミュニケーション——相手の気持ちや思考について、論理立てて理解する
⑤ 自身について、模索しているところもある

——とのこと。
なかなか納得のいくというか、納得しかいかない。ああこれは、はい、うんうん、そう、それ!それな! みたいな相槌が終始繰り返される。こうやって客観的に観測されデータとして出てくるってのはいいね。

薄々自覚はあったものの、あっこれまじでやっべえなって感じたのはバイト先でのやらかしの数々というか、数の多さだったから、実のところ胸オペ完了って肩の荷が降りたのとどっこいで焦りは抱えてたんだよね。発達障害ということで診断がつきます、薬物療法やってみますか——って言われて二つ返事で了承したよね。

ストラテラとコンサータを合わせて処方してもらって、知覚が晴れるような、踏み台を一段上がって世界を見ているような感じになった。実際働きぶりは改善した。主観的には。

客観は知らん。きっと良くはなっていなかったんだろう。なっていたとしても微々たるものだったのだろう。少しづつ薬の量を増やしていって、作用も副作用も強くなっていって。ストラテラが60mgになったタイミングで、その均衡が崩れた。あるいは、崩れたのはもっと別の何かだったのかもしれない。

まともに働けない。薬を飲む前と同じ、時にはそれより酷い。なまじいっとき良くなってたものだから周囲の風当たりが輪をかけて痛い。体調情動ともに不安定で辛い。

で、派手な失態を日に3つ4つ積み重ねた翌週、スタボロのまま上司に辞職を仄めかすメールを送って、それの返事にも勝手に傷ついて、完全沈没。
とりあえず「現状からの脱却として死を選択し、より確実性の高い自殺方法を考案し続ける」という誰がどう見てもやばい状況へ陥っていたので、自殺企図と希生念慮は内心でオート戦闘させておいて、上司からの連絡は全ての通知を切っておいて、私は次の診察の日まで全力で現実逃避に専念した。
(ちなみに「希生念慮」というのは希死念慮の対義語として私が勝手に作った。漠然と生きたいと願っているのは生きとし生けるもの皆そうだと思うのだが、死の方には言葉があってこっちにはないから。まあ、魚の目に水見えずって言うからね)

そうして迎えた診察日、泣きながらここ数週間の日記を見せてやばさを医師さんに理解してもらい、ストラテラ減量 & コンサータ服用中止 & 精神安定剤処方の対応をしてもらった。
診察室を出るとき、いつもの挨拶である「気をつけてお帰り下さい」がマジトーンだった。現状のやばさを物語っていそうだな、と他人事のように思った。この他人事なのもやばさを物語ってるんだろうな、とも思った。

で、今は精神安定剤を朝夕飲みながらだらだらと自分を甘やかす日々を送っている。片田舎住まいの宿命として病院が遠いので、診察は3週に1回だ。駆け込んだのが先週なので、次が再来週。それまでの間はこうして間欠泉のような衝動とうっすらとはびこる悲しみとから逃げ続けようと思っている。

……このタイトルオマージュ元のラストは「なのでバイトを始める。」なんだけど、こっちを「なのでバイトはクビになっているだろう。」で終える羽目になるとはねえ。

どうせだから追記も真似るか。薬物療法を始めたことに後悔はない。飲んでなかったらそれはそれでクビになってただろうから。というかなぜ雇われ続けているのか理解できないってのが正直なところだったからな。よっぽど人不足かよっぽど人が良いかの二つに一つだ。
それと、この心理検査から適職とか天職とか見つかってほしい。とりあえず飲食店はハズレらしい。どこかにないかなあ。人間無理せず長所で食いたいよ。

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