一から辞書をつくる彼女、攻略本を読まなかった私
どうして全部わかってしまうんだろう
私自身で説明がついていなかったり
存在すら気づいていなかったりする心の奥の奥
どうしてそんなところまで見渡せてしまうのだろう
にゃん語の調査研究を進める彼女
そういえば学生時代は英語が得意だったと彼女は教えてくれた
彼女の私への向き合い方や寄り添い方は、英語の存在すら知らなかった人が並外れた観察力や考察力や粘り強さや、そしてたくさんの情熱をもって手探りで英語の辞書を作ろうとしているみたい
答えがあるのかどうかもわからない中、私の言葉や行動や、発することすらせずにくすぶっている何かに至るまで、じっと根気強く見つめ続けて点と点を結ぼうとしてくれている
私の中から文法を探そうとしてくれている
私の感覚を彼女の感覚で咀嚼できるよう、そして彼女の感覚を私の感覚で理解できるよう、一つ一つの感覚を翻訳しようとしてくれている
気の遠くなるような仕事なのに決して諦めずに彼女の国と私の国に橋をかけようとしてくれている
英語の辞書を編纂する研究者はきっと、物心つく前から英語を話すネイティブの人ですら知らない単語をたくさん知っている
同じように、彼女は私ですら知らない私のことを、すでにたくさん知っている
彼女の瞳の中に私は私を発見する
友人として初めて会ったとき、気づくと私が一人でひたすら話し続けていた時間があった
その当時行き詰まっていたことや落ち込んでいたことについて話していると、彼女はただただ心を傾けてじっとこちらを見つめて聴いてくれていた
とてもフラットに私の言葉のままを受け止めてくれていた
相槌や頷くことすらしないときもあって、それなのに私のすべてを受け止めてくれているということはとても伝わってきた
不思議なのは、彼女はほとんど何も発していないのに、私は悩みを打ち明けている途中でヒントや答えをどんどんと発見できてしまい、
あ、そっか、こういう考えをしたらいいんだね、ありがとう!とか、
なるほど、つまり私こういうところで傷ついていたんだね、すごい、教えてくれてありがとう!とか、
それらを一人でずっと話していて、そのたび彼女は、いやいや私は何も言ってないよ、MONさんが自分で気づいてるんだよって笑ってくれていた
彼女の瞳は私のそのままの姿を映し出してくれるよう
今でも彼女と会話をしていると、答えが浮かび上がってきて一人で勝手に解決してしまうことがよくある
とても不思議で、それをシンパシーと感じることもあるけれど
同時にそれは彼女が私よりも真剣に答えを探そうとしてくれているからなのかもしれない
私の中から文法を見い出してそれを応用できないかなとか、
私の中にある単語と単語を組み合わせて答えに近づけないかなとか、
試行錯誤して向き合ってくれているからだと思う
共鳴と共感はすこし違う
彼女と私は共通点がいくつもあるし、似た価値観や似た感覚をいくつも持っている
そしてそれ以上に、説明しきれないシンパシーを感じる
けれど似ていることは同じことではない
似ているというのは少し危険
うっかりすると自分と同じなのだと勘違いをしてしまうから
私が社会人になってから挫折したとき、厄介だったのは似たような経験をした人がさも知ったふうに見当違いの解釈をしてくることだった
一部似ているところがあるだけで全く同じ状態でもなければ、何を挫折やストレスと感じるかも人それぞれなのに
彼女に対しても、そんなふうに失礼な見当違いはしてはならないと思うのだけど
彼女のことをもっと知りたい理解したい、私のことをもっと知ってほしい理解してほしいという気持ちが強くて
そこに要所要所で心が響きあうようなシンパシーを感じてしまうと
まるで近い未来に全てを理解し得るかのような、もしくはすでにわかっているかのように振る舞ってしまうことがある
知りたい、理解したいの気持ちの裏には、知り尽くすことと理解し尽くすことは不可能だとわかっていて、だからこそ知ろうとしたり理解しようとしたりする工夫は忘れたくないという気持ちがあるのに
彼女と心が共鳴する感覚はとても尊くて嬉しいものだから、それをもっともっとと欲してしまい、気づくと安易に共感してしまいがちでそれはとても失礼だと反省している
攻略本や教科書ガイドが好きでなかった私
思い返すと、何かを理解できたり答えに辿り着いたときの感覚が私には昔から快感だったように思う
幼い頃、玩具は一年に一つか二つ買ってもらえるものだった
弟の玩具と合わせて一年かけて二人で何度も遊んだ
さすがに同じ遊びを繰り返していると時々飽きるけれど、少し時間を置くとまた少しだけ新鮮に遊べる
だからゲームを完璧に効率良く進めていくための攻略本は、私にとってはゲームの世界をゼロから冒険できる一番楽しい初回のわくわく感を台無しにしてしまう代物だった
そんなものが存在する理由がよくわからなかった
また、中高生のいつだったか教科書ガイドというものが存在することを知った
これまた戸惑った
解説書が必要な教科書とは一体?わからないところを解説をしてくれるのが授業や先生ではないの?と不思議だった
もちろん、攻略本を見ながらゲームを進める面白さも、教科書ガイドで予習復習する必要性も、大人になるにつれてわかってきた
けれど、私は本来手探りで自分なりの答えを見つけていくのが好きなタイプの人間だったのだ
ちなみに、そのせいで途中で行き詰まってしまい、同じ空間の中で右往左往しながらそのうち前にも後にも進めなくなり、メインキャラの当初の目的を達成させてあげられなかったゲームがいくつかある
現実世界でも似たような経験がいくつかあって、それらを失敗というならば、失敗するたび臆病になり人生でこれ以上失敗したくなくて、攻略本に載っているような完璧な答えを知ってから進みたい気持ちが知らず知らずのうちに大きくなっていた
知らないことがわくわくだった幼い頃
でも傷を負うたびに知らないことは不安や怖れになる
彼女に対してもそう
彼女のことを一つ一つ教えてもらう嬉しさとは別に、わからないことや知らないことへの不安が強くあるのだと思う
そして彼女が自分のことを知ってくれている安心感と感動が強くある
私もそのように彼女に安心感をあげられたなら…なんてエゴも生まれてしまう
屈託のない気持ちで彼女と冒険できたなら
知らないことがたくさんあること
それが宝探しのような、ダイヤモンドの原石を探すことのような、キラキラわくわくした気持ちだった子どもの頃
彼女とともに未来をつくっていくことは
そういった宝探しなのだと思いたい
彼女がとてつもなく真剣に誠実に、そして謙虚に私を知ろうとしてくれていること
私も彼女のまだまだ知らないことたちや、おそらく最後まで理解しきれないかもしれないことたちへの敬意を決して忘れたくない
子どもの無垢な心と
大人の諦めと悟りを
上手に化学反応をさせて
知らないことへの不安をわくわくへ
理解できないことへの怖れを敬意へ
うまく変化させていけたらなと思っている
そして私も彼女の国の言語にもっと謙虚に向き合いたい
彼女の言語←→私の言語を翻訳するための辞書を一緒につくっていきたい
知らない街を手をつなぎながら歩いたときのように