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ほうれん草を蒔ける優しい世界へ。
(冒頭から括弧書きで断りを入れておくとこの記事は4月末から5月頭のGW中に更新しようとしていたモノです。それではGWのノリでどうぞ。)
(ちなみに画像はいつぞやの美しいまんまるお月さまとうろこ雲ちゃんです。)
こんにちは〜〜〜〜
ここ3日くらいとっても月が綺麗でしたね◎(4月末のことです〜)
しかし、夏目漱石が“ I love you” を“今夜は月が綺麗ですね”なんて訳したせいで照れ屋なもえこは月の綺麗さを素直に表現するのに躊躇する3日間でした。笑
それはさておき。
前回に引き続き(間に1つはいったので前々回です)あたしの好きなものを語るシリーズです\(^o^)/
ちなみに今この瞬間のノリでシリーズ化したので続かないかもです!
本題に入ると、
3日前くらいに大学のときにハマってた「忘れらんねえよ」っていうロックバンドのボーカル柴田さんが書いてる連載?ブログ?に出会いました。
(ちなみに連載はこちら〜
http://www.gentosha.jp/category/oshiborimakizushi)
それを読んで「うわあ。あたしロックンロールに救われてたなあ。」って思い出した?改めて認識した?ので今日はそのことについて書き書きします。
あたし小学生の頃から自分で言うのもなんですがものわかりがよくて、大人の都合にあわせて生きてる子どもだったんですよ。(課題は出せなかったし、授業中は寝てたけど)
直接的に「こうありなさい。」「こういう風に振る舞いなさい。」って言われたわけじゃないけど大人の求めているモノに敏感で、無意識のうちに大人(主に教師)が褒めてくれる振る舞いをしていて。こうしといたらいいんでしょ〜という(自覚すらないレベルの)ノリでやっていて。演じているというほどの違和感もなく。ほんと無意識のうちにやってるわけだから抑圧感もなく。反抗心もなく。いつも平穏な心模様でした。
そう。大人の求めるもの?学校という社会が求めるもの?に合わせて生活することで苦しんだとか損をしたとか全く思ってないのです。(いつもそこはかとなく無気力だった気はしますが!)
ロックンロールって言うと安直なイメージとしては反骨精神ごりごりの抑圧に対して歯向かっている感じで「先生の言うこと、親の言う通りになんてやってらんねーぜ!」って感じかもしれませんが。(誰のイメージかは知らんけど。)
あたしの中で(というかあたしたちの世代な気もする。。。)ロックが好きな子たちは目に見えるわかりやすい抑圧ではなくもっと目に見えないゆるい縛りに自分から縛られにいってて、なんか苦しい気がするけど何が苦しいのかわからない。
そう。あたしいつも自分の中に「こうあるべき。」や「こうあったら可もなく不可もない。」っていう枠?像?を設けてそれを全うするのがとっても得意だったんです。(わかりやすく言うと媚を売るのが得意でした!)
それで無意識のうちにこうあるべき像に自分をあてはめてたんですけど、もちろんこうはあれない自分もいる訳じゃないですか。そんな自分まったく気づいてなかったけど。
たぶんね、ロックンロールはこうあるべきから外れてしまった、こうはあれないあたしの欠片を拾って大事にしてくれてたんです。
ってことに柴田さんの連載を読んでる途中に気づきました!
そうなんですよ。あたしパンクロック?って呼ばれる人たちも(あんまりカテゴリー詳しくないので曖昧ですが)大好きなのですが、
彼らは最高にダサいんですよ。
最高によこしまなんですよ。
最高に卑屈なんですよ。
でもそれをまっすぐ歌いあげてくれるんですよ。
そんな彼らの音楽を聞くことで、無意識に見放していた
最高にダサくて、よこしまで、卑屈なもえこが
共感して救われてたんだなあ。
ってことに気づきました。
無意識に思っちゃう「こうあるべき!こうじゃないとダメ!」っていう思い込みってすごく自分をしんどくさせるなって言うのがここ半年くらいのもえこのテーマで、きっとずっともえこの人生のテーマであり続ける気もしていて。
たぶんね多くのことがどうあってもいいし、どうありたいかでしかないんだろうな。と今は思います。
そう思えたのは大学3回生の就活のときに色んな大人から話を聞いてからでした。
就活を前にするとやっぱり社会の先輩である大人の人に話を聞こうと思うじゃないですか。就活を一瞬しかしなかったもえこですら聞いたのでみんな大人の人に話を聞くのかな?って思うのですが
そのときのアドバイスがもう驚くほど人によって違って!
もうほんとに驚いて!笑
ある人は「ちゃんと組織体制がしっかりしたところにいった方がいいよ〜」って言うし、
またある人は「やりたいことあるなら自分でやってみたらいいよ〜」って言うし、
はたまたある人は「NPOなんかやめときな〜」って言うし、、、
もうほんと色々なアドバイスを貰いすぎてどうしよう!ってなった瞬間があった気がします(遠い過去すぎてうろ覚え)
そのときにあたしは
「みんな自分が歩んできた人生を基本的に肯定するようなアドバイスをするんだ!」
「みんな違うことを言うし、どれを選んでもいいんだ!
結局自分が誰に憧れるか。どうありたいかなんだ!」
という結論をだしました。笑
そう思えてからアドバイスをくれる人から逃げたいという思いがなくなり、
「わー!気にかけてくれはる!嬉しい。ありがとうございます!!!」の思いに変わりました。単純。笑
そうなんですよ。きっと多くの人は自分の人生しか経験できないから、自分の経験を基にアドバイスをくれるんですよ。その人の過去とアドバイスしてもらってる自分の間にはたくさんの違いがあるであろうことを100考慮しきることなんて不可能なんですよ。
だから、結局は自分がやってみるしかなくて人のアドバイスを100鵜呑みにしたらダメなんですよ。
そう。だからもえこはほうれん草の種を今年こそ畑にまきたいんですよ。
ほうれん草の種の袋には5月〜8月蒔けるって書いてあったから去年の6月くらいに蒔こうとしたら、畑上手なおばあちゃんに「あんた今頃まいったって薹が立ってあかんわ。」と言われ、9月くらいにまこうとしたら今度は別のおばあちゃんに「あんた今まいたって大きくならんわ。あったかいときにまかな。」と言われ。
このままいくとあたしはほうれん草が一生まけなさそうなのでそんな世界にはポイズンして
今年はほうれん草の種が心置きなく蒔けるそんな優しい世界を生きていきたいと思います◎
(おばあちゃん達になんて言われたって蒔いてやるぞ!という固い決意。)
「こうあらなきゃいけない。これがないとダメ。」他所から聞こえるそんな言葉はその言葉を投げてもらえたという愛情だけをもらって、ちょっとつまめる言葉をちょっとだけ真に受けて進むほうがいい子ぶっちゃうもえこにはちょうど良いのだなというお話でした。
てなわけで、愛してるよロックンロール!
次会うときにはほうれん草の種が蒔けたもえこでありますよーに!
(ちなみに5月中旬の今もなお蒔けてない!これ投稿したらダッシュで畑に行くぞっ!)
みなさんまた会う日まで〜
もえこ