なにもできない自分のままで、横の人と手を繋ぐ勇気が必要なのかもしれない。

こんばんは〜!
私がnoteを更新する時。そうそれは酔っててなんか文章を書きたくなった時。
(杜甫や李白を見習って酔ったときこそ大きい気持ちで文章綴らなきゃね!!!)

ということで、はてさてどこまでテンションが持つのかわかりませんが。
村・留学という大学生を久多に受け入れるプログラムを始めてから自分の中で言語化が著しく(良い事か悪い事かはわからない)。
ここ2年ほどはいつでも熱く語りたいテーマを持ちつつ暮らしているのですが、タイトルに書いたようにこの現代のタイミングにおいて大事なのってもしかしたら何もできない自分のままで、仲間になりたい人たちと手を繋ぐ勇気なのかもしれないなって今日シャワーを浴びてたら突然思いました。突然思いすぎて、まだうまく言語化できてないのですが。

大学を卒業するときも似たような感じで飛び込む勇気について考えたなぁ。そういえば。「地方」に興味がある同級生たちが軒並み何らかのスキルをつけるために就職していって。一体何の能力が田舎暮らしに必要と思って就職していくのだろうか。と。私は捨て身でタックル派なので、やりたいことはやりながらできるようになっていこう。たとえ普通の人がスムーズに叶えて40才までで叶えられる夢を私は80才までに叶えられたらそれでいいや。と自分のマイペースさに諦めにも似た気持ちを抱きつつ付き合っていこうって覚悟を決めたんだよ。そうそう10年前くらいだったなぁ。(どうでもいいけど我が家は女は長生き家系なので私も95まで生きる気満々です)

自分の身一つで生きる勇気。それは自信があるからとかじゃなくて。
怖がりながら進む勇気。そして自分のありのままで迷惑をかけるかもしれないけれど、それでも仲間になりたい人たちと手を繋ぐ勇気。それこそがこれからの時代をサバイブしていく上で必要なのではないだろうか。そう酔っぱらいのもえこは思うのであった。

ちなみに、酔いが覚めてきて書き綴るモチベーションが残ってないですが、その他の最近の私のテーマは「土地に愛される体験」「土地を愛する技術」「現代社会の時間軸の短さ」「命のデザイン」この辺りです〜!お時間ある人ぜひ語りましょう〜!

よーし、ひとまず書き終えたことにしておこう。おやすみなさい。


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