秋めいてきたので来年の手帳について考えてみた#68*終活Days*
秋の訪れと来年の手帳
書店に立ち寄ると、来年の手帳とカレンダーが並ぶコーナーが目に飛び込んできた。
月見バーガーのCMを見て秋の訪れを感じ、SNSで流れてくる焼き芋フラペチーノやメープルショコラドリンクに心をくすぐられる今日この頃。来年の手帳を眺めて、月日の流れに驚きながらもウキウキして売り場を歩き回った。
さて、毎年のように手帳を買ってはいるけれど、実を言うと、ここ数年は愛用しているとは言えない状況。毎年、あんなに迷って悩んで買う手帳なのに、3月ごろには使わなくなってしまう。スマートフォンでのスケジュール管理が便利すぎて、手帳の存在が私の生活から消えつつあるのだ。
私にとっての手帳とは
思い返してみると、私が最も手帳を使いこなしていたのは生命保険の営業職時代だった。
ちょうど、iPhoneが登場したころで、書店にも多くのビジネス書作家の手帳術の本が山積みになっていた。私は好きな作家さんの手帳を買って愛用したり、憧れだったシステム手帳を使ったりもした。
営業の仕事でご自宅や会社へ訪問することも多かったので、お客様都合で予定が変わることもよくあった。2007年に発売された消せるボールペンは、まさに私にとっての救世主だった。
手帳の予定を自在に消したり書き直したりしても手帳が汚くならない。
何度も予定を書き直しながら、仕事を追いかけるような自分が好きだった。
見開きのカレンダーがびっしりと予定で埋まり、契約をいただいた日には花丸を付けた。
手帳の予定というのは不思議なものだ。
書き込んだときには予定、時間がたつと記録になり、それがやがて記憶となり、思い出になる。
手帳に書き込んだ予定は、時間や視点によって姿を変える。私はそれも眺めるのが好きだった。
夫の転勤で仕事が変わり、今はタスクをこなす気楽な仕事をしている。
そんな今、たくさんの予定を管理する必要は無くなった。スマートフォンで事足りる。家族の誕生日も、買い物リストも教えてくれる便利な相棒。今では、手帳がなくても、困ることはほとんどない。
なぜ手帳を買うのか?
それなのに、なぜ私は毎年手帳を買おうとするのだろう?
使わなくなるとわかっているのに、なぜ新しい手帳の購入を悩むのだろう?手帳を持つこと自体が好きだから?それとも、何か他に理由があるのだろうか。
おそらく、私は自分を客観視するために手帳を求めているのだと思う。
手帳はただの予定表ではない。未来の自分と対話し、過去を振り返るためのツールだ。
これからの人生における目標や、やりたいことリストを整理したり実現するには、やはり手帳を使った方がしっくりくるのではないか。何度か試したが、やはりアプリでは何か物足りない。
例えるなら、アプリは手鏡のようなもので、どこでも使える便利なもの。
一方、手帳は実家にある三面鏡のようなもので、右からも左からも、そして後ろ姿さえも映し出してくれる。
手帳には、未来の自分と向き合うためのスペースがある。便利より思索を、惑う自由を、私は欲する。
まだまだ思い悩む、来年の手帳
私がもうひとつ、来年の手帳として考えているのは、数年前に友人に教えてもらったバレットジャーナル。
バレットジャーナルは、手帳を使って日々のタスクや目標を自由に整理していくシンプルな方法で、自分のペースに合わせてカスタマイズできる。私の「暮らしながら毎日が終活」というコンセプトにもぴったりだと思う。
来年の手帳は、自分自身との対話を深めるための新しいツールとして大切に使っていきたい。自分にしっくりくる手帳を探すか、気に入ったノートを使ってバレットジャーナルに挑戦するか。
さて、来年はどんな予定を立てようか。誰に会いに行こうか、何を食べようか。来年はどんな私に会えるだろうか。
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