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苦労を知らない人間、見栄を張って、格好つけて生きる人生程後悔する


1955年に鹿児島からアルゼンチンへ移住した両親は必ずしも順風満帆の人生を歩んだとは言えないが、六人の子供に恵まれて幸せだったと思いたいえかきのつまである


苦労をして女手一つで子供を育てるものもいれば、病気を克服して働くことへの喜びを感じるものもいる.

夫の病気、妻の病気、親の介護に疲れて希望を見失う人もいる

個々の人たちには、人生が一つあれば、苦労の種は多々ある


人生は一度きりだからと言って好きなことをやれる人はしあわせだと思う

見栄を張って、恰好つけて、本当に好きでもないことする人生程後悔するものはないそうです


苦労の知らない人間ほど始末の悪いものはないそうです


お金が無くなった時こそその人の本性が見られるのではと常に父は言ってた

3歳の長男を連れてアルゼンチンへ、そして事故死させた両親は、特に父は性格までも変わったと母が言ってたことがる


鹿児島桐原の父方の祖父と優二お兄ちゃん



優二は三歳、えかきのつまが生後三か月後に亡くなる 写真でしか優二の記憶はない


お兄ちゃんが亡くなる三か月前にえかきのつまが生まれた


優二は何を持っているのだろう 生前の両親に聞けば良かったと思う


年子で翌年に弟が、そして二年後に妹、四年後にもう一人の妹そして最後に妹と年子の龍年でいまれた末っ子の弟



弟のロベルト、妹のエミそしてえかきのつま Jardín América にて



入植当時焼き畑にて、 妹のエミとえかきのつま



末っ子のミゲルアンヘル


エミリアパトリシア&マリアイネス



えかきのつまは日本に住んでいたので毎年このような年賀状が





えかきのつま、三人目は里帰り出産

両親に比べればえかきのつまであるマリアイネスは苦労はしたのかと言えば、本人は全然だと思っている

何故かと言うと深く考えずに生きて来たのでえかきのつまで居続けることができている

愚痴を言ったら切りがないし、人の悪口を言うことは自分にかえってくるでしょうから極力言わないように心がけるが人間は弱い、自分も気がついたら言ってしまうが気持ちのいいものではない



えかきのつまと長女アルゼンチンにて 戸板に油彩 小川憲一豊実描く


えかきのつまは長女として親の苦労は子供のころから見て来たけれど19歳で結婚したのでその後は遠くからでした


私に続く四人のきょうだいたちが身近にいてず~とあの世へ行くまで楽しい時も、苦しい時にも一緒だったので、えかきのつまは安心でした


両親が一番辛かったことは金銭的にだと思う


勿論言葉もわからない見知らぬ国で、知り合いが一人もいないのもそうですが


お金のことではいくつかのエピソ-ドは鮮明に覚えています


まだ幼かったえかきのつまとそのすぐ下の弟と高利貸しから両親が借りた借金の利子だけを返しに行ったり、利子さえも返せないときには報告に

番犬の犬に吠えられ怖かった事、スイス人のその家は実家から遠かったがどのようにふたりで行ったかは覚えてない

両親は仕事に追われて、子どもに託すかしょうがなかったのでしょう


自家用車は持ってなかった、移住地から小さな町まではバスでしか行けない

バス代を払うのにお金がなく家の縁の下に小銭が落ちてないか探していたことも


すぐ下の妹と銀行で勤めた時、一か月の二人の給料を両親の口座に入れても全然減らない赤字

アルゼンチンの経済は常にインフレで、一時は銀行から借りる融資は元本変動でとても困ったことが

そのときに支店長のアドバイスでなんとか切り抜けたことも

お金にこんなに困って、苦労している親を見ながら育ったお陰かえかきのつまはお金に本当に無頓着、同じ一番下のおとうとも

後の三人は違う、同じ親から生まれたけれど個々が違う

お金がないと困るけれどありすぎても色々大変の様

しあわせの尺度は個々違うと思う

自分がしあわせだったと感じてこの世からあの世へ行けたらいいなぁ~


小川(松ノ下)マリアイネス拝