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橋場政友岩手出身7人きょうだいブエノスアイレスで知り合って50年


水彩画 小川憲一豊実描く  イグアスの滝


イグアスの滝 Garganta del Diablo 小川憲一豊実描く  油彩画

   アルゼンチンへ移住


えかきの小川憲一豊実(おがわけんいちほうじつ)と同じ年だけれど、性格は正反対


出身地は関係があるのかわからないけれど、北の人たちはのんびりで、優しく、心の中で火事が起こっていてもとても穏やかに映る


初めてお会いしたのはえかきとつまの結婚の仲人をして下さった方のクリニング屋で5年働いた所で


花卉栽培の農家へ移民としてアルゼンチンへ行ったそう

2か月ほど働いたがお給料をもらえず、やめる

本人曰く“お金持ってないんだ”と、大体が苦労をしながら生活をしていた


日本へ帰るならイグアスの滝は見ないとミシオネス、えかきのつまの里へ行かれ、その時は本当にジャングルのような場所で木材関係の仕事のお手伝いを

知り合ってからず~とえかきのつまは橋場さんと呼ぶ、彼は私をイネスと

そして言うのです

”イネスはよ~よくあんなジャングルの中で育ち日本に住めるなぁ~”  岩手だって田舎でしょう?と

初めての日本は京都市でしたから、、、


ブエノスアイレスの歩行者天国、フロリ-ダ通りでばったりお会いした時に日本へ帰られると言った

その頃は丸紅に17時まで勤めて、歩行者天国のFlorida通りを早足で地下鉄の駅まで、保母になるための夜間大学へ毎日通ってた


いつかは両親の生まれた国へも行ってみたいと思ってましたが、まさか住むようになるとは想像はしてなかった

何年過ぎたでしょうか? 結婚して、長男タケルを出産し、えかきが親指を無くしたので義指をと日本へ帰国することを決め、一足先に単身で帰国、日本へ

タケルと二人で初の日本は成田空港へ上陸

迎えてくれたのがえかきと橋場さんでした

何度かお聞きした”結婚はしたくないのですか?”と

”俺だってしたいよ、酒飲みは嫌われるのだ~”と言ってた

お酒が好きな人だったら良いのでは?とえかきのつまの案


若い頃に外国航路の貨物船に五年間船員を、アメリカ、プエルトリ-コやキュ-バ-へと

ある日海の上で母親の危篤そして死を知らされたけれど、何もできない、勿論帰ることも

えかきのつまの個人的で、勝手な想像ですが、そのあとの人生ず~とその事を引きずっているような気がする

男の子は、息子は母は特別な存在でしょうから、娘には父親が特別であるように


日本へ帰国されてからの仕事の内容は詳しくお聞きしたことはない

川崎製鉄、その後は製造業で6年間ぐらいかしら?


京都に、広島市のえかきの平和展や沼隈へも遊びに来られました


初めて京都へ遊びに来られた時の写真たち






 1988年、京都へ来られた時の写真




浴びるほど飲まれるが酔っているかわからない

朝、目を覚ますと”イネスお酒をくれないか”とせがまれた

浴びるほどお酒を飲みお勤めが出来るのがいつも不思議でならなかった


お酒にまつわる橋場さんとの逸話は多々あり


冷やかすの大好きなえかきのつまは、相変わらず橋場さんにも

ニコッと微笑みながら”バカ言ってんじゃね~ヨ”が口癖


若い頃はお酒に溺れていた印象はあまりない

マ-ジャンは好きでした、まだ生きてますが、、、


関東で絵描きが個展をするときにはいつもちょこっと顔をのぞかせていた

でもいつも落ち着かない感じで、すぐ御暇される

京都市に10年間住んでいた頃には何度か関東から遊びに


お互い若く”イネスはヨ~”と始める

えかきのつまは昔も今も橋場さんという呼び方には変化はない

無口なお人、えかきのつまもこの頃は無口でした

あまりお話をした記憶はない

思い出すのはいつも微笑んでいる彼、今になって色々なお話を聞いとけばよかったと後悔しても、過ぎ去った月日はもう戻らないし、そのころの考えや気持ちは今とは別だろうし


日本でカラオケを電話でアルゼンチンの私たちに聞かせる


えかきは三度目のアルゼンチンへ、子どもたちを日本とは違う教育を受けさせたいと

家族全員でプエルトリ-コという小さな町に住む


ある日電話のベルがなる、holaと応対すると、橋場さんの日本から電話

大分酔ってた橋場さん、とある飲み屋から”ちょっと歌うから聞いてほしい”と

ヒヤ、ヒヤ、ドキドキしながら歌を聴きながら切りますとは言えなかった

あの頃の電話代は途轍もなく、目が飛び出るほど高かったから

あれ以来電話で話したり、お会いしたりすると思い出して訴える”大変だったんだヨ、何万円、、、だったヨ”と

だってヨっている人に何を言っても無駄だったでしょう?


えかきのつまが日本二度目に住んだのは広島県である

また関東より遊びに来てくださいました


1996年お酒はがぶがぶ飲まれるけれど、ほどんど食事は召し上がらない、尾道にて


尾道にて えかきと同じ1947年生まれだから、橋場さん51歳、えかきのつま42歳?かなぁ~


いのしし年のお二人、でも性格は結構違う 京都生まれと岩手生まれ、環境が人間を育てる?


一回はお風呂から中々出てこられない、えかきが心配して風呂場へ行ったなら、鼻すれすれ湯船に浸かって寝ていたそう

本人は気持ちが良かったのでしょうがびっくりしたのはえかきの方でした、水死してたら大変なことに、、、

その頃は本人以外親戚の誰の連絡先も知らなかったので、多分その時にお姉さんの連絡先をいただいた

何年か過ぎ、横浜そごうでの作品展の時にお姉さまと来ていただいたこと記憶に残っている



えかきは横浜港からアルゼンチンへ行った、懐かしい場所であろう えかき54歳、えかきのつま45歳


橋場さん何を思う? 俺は酒だけでいい?


初めてお会いしたお姉さま、同じ干支でした


何を考えているのか、無口な人のことは分かりにくい


横浜そごうにて、小川憲一豊実の作品展 ウィ-クリマンションを借りて毎日通いました、楽しい思い出である

また違う機会に遊びに来られた

笠岡の友人家に橋場さんも一緒に遊びに行った時の逸話

次の日には東京へと帰らないといけないのに財布を笠岡に忘れた

福山駅で新幹線に乗る前に財布を探しに行かなくては

朝、橋場さんは起きるなり ”イネス、お酒を飲ませてくれヨ~と言うので

体に悪いわ~とえかきのつまは牛乳を差し出した

素直にでもなんとも説明しがたい表情で牛乳を飲みほした


沼隈より笠岡へ行く途中で ”イネス!車を停めて~、気持ちがわるいとえかきのつまの運転手は速、道の横に停車する

ゲボゲボと飲んだ牛乳を嘔吐

あら、お酒はたんと飲んでも吐かないのに牛乳は吐いちゃうのね~

”俺、牛乳は体に合わないんだ~”と

あの時以後、牛乳は進めません


小川憲一豊実、広島市で原爆展


えかきの広島市県民文化センタ-で平和展をした折わざわざ東京から足を運んで下さった律儀なお人である

その時写した写真はあるはずなのに、見当たらない1986年か1987年の夏と記憶している


リ-マンショック以来個展をしなくなったえかき、橋場さんにも何年もお会いしていません

どうしておられるのかしらと何年か前に電話をしたら、もうこの電話は使われていませんと

横浜に住んでおられるお姉さまに電話をしたら通じました

政友さんはお姉さんの近くのマンションに引っ越しされていた

脳梗塞でたおられ、入院してた、何回目か忘れましたが

お姉さんから電話番号を頂き久々に話した橋場さんは一人暮らしでした

昔の話特にアルゼンチンでの話は永遠とつづきました


あっという間に過ぎ去る日々、それっきりご無沙汰でした

何となく気になりだしてドキドキしながら電話を入れてみた

固定電話が一回、リ~ン、二回、三回、四回なったかしら?

もし、もしと橋場さんの声を聴きホットしたえかきのつま

誰か分かりますか? 分からんと返答してきた

何秒かは色々考える、もしかしたら痴ほう症になっている?とか、、、  大丈夫でした、イネスですと言うとすぐに分かってもらえた

脳梗塞を六回目、そのたびに入院、リハビリして、今ではお酒もタバコも止めているそう

やはり後遺症は少しありました、話がわかりにくい、伝わりにくい

でも色々思い出話や現在の事を16分ほど

”田島へ行くにはどうしたらいい?住所をもらわなければ行けない”と言う

説明していると、歩けないんだ杖でしか

どうやって生活してるのですか?貯金でと言った

橋場さんはお酒ばかり飲む頼りない人と思ってたけれどしっかり貯金はしてたのですね~と冷やかした

厚生年金では生きていけないから貯金を切り崩していっている

一生懸命働いたから今では腰も痛いと

一日中何をされているのですか? 何もすることないからTVばかり見ている

面白い番組あります?しょうがないよ、、、だって


突然、もう切るよ、疲れたからと電話がブーブ-となった

男性は味気ない、でも話したほうかも

日本へ帰る前には絶対イグアスの滝だけは見て帰ろうと思った、あの滝は凄いなぁ~と昔を偲んでた

よかったですね~見れて

遠いアルゼンチンまで行ってイグアスの滝を観れずに後悔している方、何人も知ってますよとえかきのつま


えかきのつまはイグアスの滝の産湯に浸かりと絵描きは言いますが、里は少し離れています、車で2時間ほどの距離

数えきれない程行ってます、世界遺産になりミニ電車を通したり、大分変化してしまいました

えかきのつまの記憶では初めのころに行ってた、何もないジャングルの中の滝の方が好き

残念ながら過去の様には戻せない、そうは言っても凄い滝、里の誇れる一つの観光地で、人生に一度は見る価値は十分ありだと思うのである


父と末っ子でも一番背がたかいおとうとと、今はもう亡き父、懐かしい



2022年10月豪雨で水量が10倍にとネットニュ-スで、想像するだけでも驚かされる


滝の飛沫でびしょ濡れに、でも暑い時は気持ちがいい



ヘリ-が小さく見える

何故か橋場さん、生きておられて、お声を聴くことが出来ホットしたえかきのつまでした


(松の下)小川マリアイネス拝