血縁の人々は、他人よりも絆が強い、親戚が絵とお茶テレレへ来られた
初めてお会いしても何となく親しみを感じる
それは血のつながりがあるからでしょうか?
他人より絆が強いからでしょうか? 言葉では説明できないこの気持ち
えかきのつまの旧姓は松ノ下(まつのした)である
両親は昭和30年にアルゼンチンへ移住してその次の年に生まれたのが申年の今ではえかきのつまの小川(松ノ下)マリアイネス
最後のサッカ-ワ-ルドカップでアルゼンチンが夢のような戦いで優勝して、とっても嬉しかったことをブログに書いた
インスタグラムで投稿した名字松ノ下で、あったこともない親戚と繋がり、不思議と通じること多々あり、血縁関係というのはそういうことであろう
日本でも多分珍しい名字,松ノ下(まつのした)
全国順位 34.060位
全国人数 およそ80人だそう
名字の由来 解説
現鹿児島県東部である大隅発祥ともいわれるが、伝統的な名字である
鹿児島県曾於郡(今では曾於市)財部町下財部と肝属郡田代町麓に集中している
松ノ下さんの多い地域top5
鹿児島県 およそ 40人 曽於市 およそ 20人
肝属郡綿江町 およそ 20人
大阪府 およそ 20人 堺市北区 およそ 10人
堺市中区 およそ 10人
神奈川県 およそ 10人 横浜市旭区 およそ 10人
愛知県 およそ 10人
兵庫県 およそ 10人
父は鹿児島県現在では曾於市の一人の松ノ下に間違いはないのである
合併前は曽於郡財部町下財部でした
もう何年も前のことであるが叔母ちゃんのお葬式に広島から飛行機といってもプロペラ機に乗って鹿児島空港に着
台風の影響でどのように行ったかは忘れてしまいましたが、大隅大川原、無人駅にいとこに迎えに来ていただいたことを思い出す
現在、曽於市では多分私の父のお姉さんの息子さん、いとこ家だけになっているのではないかと思う
時ともに変わる人間の体系や表面、内面も子供の頃とは違って、年を召していくことが人生で唯一公平である
連絡なしの訪問にびっくりこけた
偶偶アルゼンチンから妹家族が来日してたのでお互い会えた
いとこはお二人の男のお子さんがおられるが、関東住まい
えかきのつまの長男は舞台をやっている、芸名は松ノ下タケルである
なのでえかきのつまが知ってる松ノ下は関東で子供を含めると7人である
えかきのつまが初めて日本へ来て、京都市に10年間住んでいた頃、弟が留学できてた
その頃大阪に住んでた叔父ちゃんがおられた、父から言うと上の男兄弟で,今はもう亡き、松ノ下家の次男さん
思い起こせば40何年にもなる、弟と二人で叔父ちゃんに会いに
初めてお会いする叔父ちゃんを駅で待ちながら、どんな人だろう?とか色々話しに花が咲く、そしてドキドキしながら待った
この叔父ちゃんも父と同じく体は大きく背は高かった
殆どしゃべらず、どちらかと言うとえかきが好きな無口タイプ
誰かと一緒にまた訪れた時にはアルゼンチンではワインを飲むことを存じ上げていて、気を遣っていただき、準備していただいてたのが、赤玉ポートワインでした
郷では殆ど甘いワインは飲み慣れていないので、甘かった事に驚いた
懐かしいです、あの頃も
両親が28年ぶりに帰国した折にも一緒にお邪魔しました
その時には二人は鹿児島出身なので芋焼酎だったかは忘れてますが、、、
多分いもうとの二人も会いに行ってる
遠い昔の事、でも走馬灯のように巡る思い出である
そしていつも脳裏に残っているのが叔母ちゃんのメッセジ-
えかきは経済的に豊かではないのが一般
叔母ちゃんの言うことは勇気を与えて下さった「子供は自分が生きていく胃袋分は持って生まれてくる」と、でもその後に付け加えて言ってたのが「ビ-ルでも育つのだから」笑えた
内心思いました、日本はビ-ルの方が値段が高いのにと
絵とお茶テレレに会いに来てくださったのはこの叔父ちゃんの孫たちと曾孫
子供達は正直で素敵だといつも思うえかきのつまである
絵とお茶テレレと名前にもなっている南米の冷たく飲むテレレを皆様に飲んで頂いた
長男さんから不味い!と言われた
えかきのつまはその素直な気持ち、表情に大笑いした
次男さんは団子虫に夢中、えかきと楽しんでました
両親、叔母ちゃん、叔父ちゃん、何人かのいとこたちもこの世を去り寂しさは募りますが皆が行く道、死ぬことに抵抗は出来ない
生命ははかなく、いずれ必ず消えてしまう
仏教では諸行無常(しょぎょうむじょう)と言うが、万物はいつも流転(るてん)し、変化・消滅がたえないことだそう
最近、自分らしく生きて、死ぬことがしあわせだと感じるえかきのつまです
小川(松ノ下)マリアイネス拝