銀行員時代 支店研修編④
支店の一員として溶け込んでからは、僕は銀行に対して何の疑問も抱かなくなっていた。つまり、思考が停止し完全な銀行の一兵卒になったのである。無駄で非効率な雑用も率先してやったし、先輩や上司との飲み会にも全て参加した。仕事は退屈だったが、職場の人に会うことが不思議と楽しみであった。
今振り返ってこの時期に戻りたいかと聞かれれば、僕は「戻りたくない。」と即答する。しかし、女性社会の中で過ごした支店研修時代には楽しい思い出も少なからずあった。以下では、支店研修編の締めくくりとして僕の小エピソードをいくつか紹介する。
クレーム対応で泣く人が理解不能
支店には時々クレーマー(変な人)が現れる。やたら怒鳴る人、無理難題を押し付けてくる人、いちゃもんをつけてくる人等々、本当に色々な客がいる。これらの人を前にして若手が泣いてしまうというのは銀行ではよくあることだ。僕の同期もこれを経験し時に泣いていた。さすがに同期がクレーマーを相手に泣く姿を見て同情はしたが、僕はこれが全く理解できなかった。
そもそも僕は事務ミスはあってもお客さんに怒られることがほとんどなかった。お客さんが僕の申し訳なさそうな顔を見て「仕方がない。」と思ったのか「コイツに何言ってもしょうがない。」と思ったのか、何を思ったのかはわからない。しかし、基本的に僕のミスは何でも許された。先輩や上司からは「何で◯◯くんだけ怒られないんだろうね。」と不思議に思われたが、それは僕にもわからない。僕の個性ゆえなのか、あるいはたまたま変な客に当たらなかっただけなのかもしれない。
クレーム関係で何か面白いエピソードがあれば良かったが、「お客さんに本気で怒られたことがない」ということ以外に無いのである。自画自賛する訳ではないが、僕のようにお客さんを怒らせた経験のない人は同期でも意外と少ないのではないかと思う。
地域マラソン大会での失態
銀行は地域貢献の一環で様々な地域イベントに参加する。あおぞら支店があった地域では毎年マラソン大会が開かれていて、行員も有志で参加することになっていた。当然、僕は新人として断る訳にも行かず参加することに。せっかくの土日休みが一日潰れることは嫌であったが、「好きな先輩や上司と走るなら別にいいか。」と最初は楽しみに捉えていた。
しかし、その楽しみはある知らせによって一気に吹き飛んだ。「今年は常務も一緒に走るから失礼の無いように。」大型店ともなれば役員クラスが隣店に訪れることもしばしばである。どうやらその時にあおぞら支店を担当していた役員がたまたまマラソン好きで話が進んだらしい。銀行で役員と言えば、支店長であっても全く頭が上がらない存在である。良い大人が自分の部下の前でへこへこするのだ。きっと、常務が参加すると聞いて一番ショックを受けたのは支店長に違いない。
マラソン大会当日、常務を前にみんなそわそわと落ち着かない様子であったが、支店長が出発まで対応し無事スタートの時を迎えた。スタートの合図が鳴ればあとは個人との戦いであり、僕も先輩や上司お構い無しという感じで走り始めた。個人選手でもなければ大抵走り始めは集団で様子見となるのが通例であるが、この時は違った。マラソン好きの常務が序盤から抜け出したのである。
僕はこれにすかさず付いていった。正直常務は50歳を超えていて一緒に走るのも余裕だろうと思っていたが、年齢を感じさせないスピードで、ずっと運動をしてきた僕であっても付いていくので精一杯だった。本当に速くて途中諦めそうになったが、大好きな運用課長の声援もあって僕は常務の背中を見失うことなく走り続けることができた。
ゴールまで残り1kmに差し掛かった終盤、ラストスパートのタイミングを伺いながら常務に付いて走る。ここで、よくできた行員であれば最後まで常務を抜かすことなく「ずっと常務に付いてたのですが、最後抜かせませんでした。さすがお速いですね。」などとゴールした後常務を持ち上げるのだが、僕にはそんな気遣いもできなかった。ゴール100m手前、応援してくれる先輩らにも見えるくらいの位置で常務を抜き去りそのままゴールした。
ゴールした時の先輩らの顔は今でも忘れない。「あー、やってしまった。」という僕に対する残念な顔と「常務になんて声をかけたものか。」という困惑の顔とが入り混じった表情を浮かべていた。一つ上の先輩からは「普通だったらありえないけど、おもろいからいいんじゃない。」と言われた。何が悪いのか全く理解できなかったが、僕は"普通"ではなかったらしい。
その週明けの朝会で支店長に笑い話にされるくらいで済んだが、銀行で行うべき"気遣い"というものを学んだ出来事であった。
クリスマスパーティーで大滑り
これは銀行に限った話ではないが、新人は何かイベントがあるごとに場を盛り上げるべく出し物をやらなければならない。クリスマスパーティーはその中でも一番の盛り上がりを期待される場である。僕は一般職同期4人と業後や休日にカラオケ等で集まり、それなりの準備をした。
準備段階で問題になったのは、一般職同期4人との温度差である。僕は学生時代から体育会としてこのような出し物系には積極的に取り組んできた。一発芸、漫才何でもござれである。そして、今回も全力で出し物に取り組むつもりであった。しかし、彼女たちはそれを面倒臭がった。僕が提案したことは悉く反対され、彼女たちは「手間がかからず無難なことで済ませたい。」と強く主張した。
結局、演目に選ばれたのはその時の流行りAKBの「恋するフォーチュンクッキー」である。一つ上の先輩にも「普通すぎて面白くない。」と言われたが、彼女たちは最後まで意見を変えることはなかった。そこで、"普通"が一番嫌いな僕は一人の時間をもらうことにした。これについては彼女たちが何かする訳ではないので揃って「勝手にして。」という反応であった。
そして、クリスマスパーティー当日。散々悩んだ挙句、僕は一人の時間に全力でラップをした。ビート調の音楽が鳴ると同時に手拍子が鳴り始め、みんなが「Yo!」「Hu~!」などとガヤを入れてくる。そんなパーティーっぽい風景を想像していたが、現実は残酷だった。誰も知らないビート調の音楽にみんなが困惑の表情を浮かべ、会場には音楽だけが鳴り響く。そこにヒップホップ系ファッションをした僕が現れ突如ラップを歌い出す。この後の流れは想像に易いだろう。まばらな手拍子の中、僕は全力で滑った。
その後、一般職同期4人とサンタクロース姿で「恋するフォーチュンクッキー」を踊った。穴があったら入りたい状態の僕は気が気じゃなかったが、予想に反して会場は大盛り上がり。最低限新人としての役割を果たすことができた。盛り上がると思っていたものが大滑りし、滑ると思っていたものが大盛り上がり。僕は出し物が終わった後に「ほら、私たちが正しかったでしょ。」という彼女たちの顔を見て「ありがとう。」としか言うことができなかった。
失敗の原因はジェネレーションギャップを考慮できなかったことだ。若手の少ない状況では、冒険をせずに無難に済ませた方が良いのかもしれない。それを学んだ上でも僕は"普通"ではないことをするだろうが。
〜最後に〜
支店研修編は以上となる。上述したこと以外にも書ききれなかったエピソードはまだまだあるが、銀行員が気をつけるべきポイントは大方伝えられたのではないかと思う。すっかり銀行の兵隊となった僕が次に向かう舞台は、本配属となる法人営業部である。そこではお姉様方への甘えも許されない、まさに軍隊としての男性社会が待っていた。次の法人営業部編では、僕のさらなる苦悩をお伝えすることになる。ただ、暗い話ばかりではなく、僕が軍隊を脱退するまでの今現在に向けた話も含まれる為、是非とも注目頂きたい。
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