子供にとっての「学び」とは?

 私が住んでいる地域では2020年5月25日に小中学校が完全再現された場合、各市町村で多少の授業日数の差が出るものの、1日6時間授業を7時間に増やせばコマ数をカバーでき、7時間授業の実施が難しい場合は夏休み短縮や土曜日に授業を行うことを検討するよう求めたという報道がありました。国も県も各市町村も本当に頑張ってくれていることは分かっています。ただ、目先のことしか見えてないように思えてしまうのです。1年間のコマ数を減らすことなくやりきることは誰のため?コマ数が足りないと子供は学べない??

 GW明けに分散登校の連絡がきたので子供に話をすると、「学校なの?休みなの?授業じゃないの?プリントするだけならずっと家でやってたよ!家でもできるから行かなくてもいいよ」という答え。間違った意見ではないのとなんとなく不安を抱えているようにも見えました。中途半端な形で終わった3学期に加えてクラス替えによりクラスの子の顔と名前が一致していない新学年。無理ないなと思います。そもそも大人が全く落ち着いていない日々を送る中、子供に落ち着けというのは無理があります。学校とも相談し行ける日だけ行くことにしました。

 登校しない代わりに「家庭学習記録」をつけてみることに。子供と一緒に1日を振り返ってみることで実は「学び」っていっぱいあるなーと思ったんです。記録をつけていると何でもただやっているだけになりがちだなと感じましたので、勉強は最低ページ数を決める、YouTubeなら今日はダンス、次の日はヘアアレンジ研究、その次の日は料理といった形でテーマを決め、夜家族の前で発表をしてもらうことにすると全然モチベーションが違いました。ゲームなら我が家は現在「あつまれどうぶつの森」をやっていますので、ローンについて一緒に勉強したり島を開拓することで豊かになることと引き換えに自然はどうなっている?といった対話をしたりしています。漫画も読むだけではなく、ストーリーの説明や印象に残ったことや考えたことを話す時間をとっています。これも学びのうちだし、こうして振り返ることで実は学ぼうと思えば何からでも学べるものですね。また、好きなことから学ぶのは効率が良いです!

 学校の勉強はもちろん大事です。ただ、言われたからとか当たり前だから勉強するのではなく、将来なりたい自分になるためには計算ができないといけないとか漢字が書けないといけないとか人と話せないといけないから勉強するのではないかと思うんです。学校はそれが出来る場所だと思えるから行くのであって、そこに人が集まることで勉強以外の価値が得られるかもしれないから行くのかなとも思います。つまりは、1年間のコマ数を減らさないために子供が学校に行くわけではないのではないか、コマ数が減って困るのはコマ数を守らないといけないという前提の中にいる大人ではないかと。また、コマ数が減ったことで学びが減ることを学校の責任にする保護者達が私自身も含めたくさんいるのではないかと。今回の件で、いかに学校任せであったのかということや学校に行かせていることで勝手に満足していたことに気づきました。子供に向き合い、寄り添い、そして、子供にとっての「学び」を振り返り続けていきたいと思います。

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