青陽二月の初め
寒い越後で、着たきり雀の黒い法衣一枚で乞食行をしていた良寛さんは、どのくらい春が嬉しかっただろうと想像してしまいます。
寺門の前で、子どもたちが「良寛さん、遊ぼうよ」ともしかしたら両腕にぶら下がっているかも知れません。
芽吹いた木の枝に頭陀袋を掛け、
持っている鉢をそっと置いて草相撲をしたり、毱をついたり。
良寛さんが手毬をつけば、子どもたちが歌い、子どもがつけば良寛さんが歌う。
通りがかりの農民が、冷ややかに
お前さまは一体何をなさっておる?
と言い捨てていく。
申し訳なさそうに、ただ頭を下げて弁明は
しない。
汗水垂らして働いている人から托鉢を受け
生きている。
春の日に子どもたちと毱つきをして遊んでいる。
初めてこの詩に出会ったのは、昔ベストセラーになった「清貧の思想」という本でした。(もう30年😳?あれ?こないだのようですね。)
景気が良くて、どんどん上り調子の時なのに、清貧なんてバカなこと言っていると経済が悪くなる、なんてえらい新聞の解説者が書いていたな。
売れるとこんなイチャモンつける人もいるんだなと驚きました。
その人の名前は忘れない🤣。
あ、話がそれました。
そこから、大好きな大切な詩になり、
書き写したり、声に出して読んでいました。良寛さんのもやしのように見える書も
好きになりました。
そして、何が言いたいのかというと
私の作っている手毬が上手になってきているので見てください😆
昨日のより、格調高くなっています。
遠目なのできれいですが、拡大しないでください。
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