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24/12/17 大きな家

24/12/17 大きな家

 映画撮影もオールアップし卒業論文も無事に提出した師走の中日、私にようやくの安寧が訪れた。1日、本当に1人で何をしても良い(バイトや学校もない、宿題やタスクがない)日を手帳で確認すると、ヨーロッパ横断旅から帰国した次の日、8月31日ぶりだった。駆け抜けてきた自分へのご褒美として映画を観ることにした。何も捻りがないが、そういうのでいいんだよ、そういうので。ということでフィルマークスから公開中の映画を探すと、今期は期待値の高そうな作品ばかりで逆に戸惑ってしまった。こういう時は「諸事情でサブスク落ちしないミニシアター向けの作品」を観るのが1番後悔しないと思い、数ある映画の中で私は「大きな家」というドキュメンタリー映画を観ることに決めた。「14歳の栞」や「MONDAYS」が記憶に新しい竹林監督の最新作で、児童養護施設の子供たちの生活に迫る。彼らのプライバシー保護のために劇場限定公開で、今後も円盤化等の予定は無い(みんな、劇場に急げ!)。渋谷PARCOにあるホワイトシネクイントでトークショーつきのものが19時50分からあり、無論監督の話が聞けるならばこの回を選ぶ他なかった。それで、ちょうど渋谷PARCOで我らがOB細野晴臣のポップアップストアもやっていたことを思い出し、私の完全無欠な休日予定が出来上がったのだ。

 昼過ぎに起きてから渋谷駅に着くまでの記憶がすっかり抜けているので、多分本当に何も考えていなかったのであろう。気づいたら夕方、気づいたら細野晴臣のポップアップストアに辿り着いていた私は、気づいたら8000円近くする細野晴臣の顔Tシャツを買っていた。そういえば以前、細野氏に採用されるかもしれないと作った「北京ダック」のショート動画、提出したもののどうなったのだろう……という疑念は残りつつも、改めてこのような素晴らしい方が長生きし、お茶目なグッズまで出したり現世と多くの交流を残してくれていることに深い感慨がある。店の中には細野氏の好きな映画紹介コーナーもあった。彼の並べたものの中で、ヒッチコック以外の作品を全く見ていなかったので自分の勉強不足に恥じ、自分の可能性の大きさにときめいた。

 最近のお気に入り、アルバムHOSONO HOUSEより「薔薇と野獣」を聴きながらPARCOを出た私は、映画までの1時間半ほどを近所のドトールでやり過ごすことにした。店内に腰かけると右からフランス語、奥の席では韓国語、手前に中国語で、私の左に座ったアジア系の女子3人は英語を話しているのが聞こえた。渋谷はグローバルだなあと思いつつも、作業中ヘッドフォンをする私には関係のない話である。今日はボサノバの気分だったので、私の席だけはポルトガル語が流れてブラジルの夏が過ぎていくのであった。
 そして本日のカフェのお供は高橋源一郎著「一億三千万人のための小説教室」である。ヤケクソ同人でお馴染みの若生(わかお)が貸してくれたのだけれど、卒業までに本を1冊出したくて小説を書いている自分に、何か助けをという彼の優しさであった。この本は良い意味でタイトル詐欺というか、全く「小説の書き方」を教えようとはしてくれない。そんなものは自分で足掻いて見つけるしかねーんだよボケカス、ということを面白おかしく話してくれる最高の本である。まだ読み途中なのでちゃんとした感想は言えないけれど、私が高橋源一郎氏に驚いたのは、この2002年出版の著書の中でおじさん(と高橋氏が自虐している)が「あなたが女性の場合は、男の子、ですね。いや、ヘテロな愛ばかりではない場合もあるか」と言っているところである。時代にそぐわないリベラルさに大変感心したと共に、高橋先生を尊敬するわかおが何故あんなにも過激ミソジニーを拗らせているのかと謎は深まるばかりであった。
 ともかく本に没頭していたらあっという間に19時30分になったので、いよいよ私は向かいの渋谷PARCOに戻って映画「大きな家」を観た!!

……ドキュメンタリーとはこんなにも面白く、穏やかで清々しいものであっただろうか。私はこの映画の、児童養護施設の仲間を無理やり家族と言わせる感動ポルノがなく、子供たちが「他人。ほんとの家族よりは喧嘩しやすい。」みたいなことを可もなく不可もなく言う姿にとても嬉しさを覚えた。私は虐待を受けて児童相談所(児相)に通っていた身だし施設に顔を出した経験もあったので、「家族は血が繋がっているだけの他人」という認識があった。また実の母よりも心配してくれた沢山の友人や大人たちのことを「血が繋がっていないだけの大切な他人」だと認識していた。全員他人なのだ。そこに他意などなく、私はそれを事実として捉えていたし、どこまで行っても「みんな」は血が繋がっていないから他人なのだけど、それの何が問題かは分からなかった。結局自分の人生をどうにかするのは自分自身しかいないのだから、家族にこだわる必要はなかった。とはいえ劇中の子供たち同様、どこかに「普通の家族」に対するジェラシーや一抹の寂しさがなかったと言えば嘘になる。が、それを「普通の家庭」育ちの大人が見て「可哀想」とジャッジしてくることが昔から心底不愉快であった。
 竹林監督は、他のドキュメンタリーから親交のあった斎藤工氏に企画提案され、二人三脚で当該施設の撮影を行った。撮影期間は1年半だが、子供たちがカメラに緊張せず撮影クルーに信頼を寄せてくれるために、カメラなしで施設に遊びに行く期間が最初に1年間あったと言う。それはまさに理想とするフィールドワークであり、撮影を超えて人と人との繋がりがあったのだとまたまた嬉しくなった。
 どうしても気持ちを伝えたかったので、トークショーのあと監督の元に行った。私は、自分が児相経験者なので彼らに重ねる部分があったこと、それから「彼らを不幸に映さないでくれてありがとう」みたいなことを伝えた。既に何故か泣きそうだった監督が真摯に私の目を見てまた泣きそうになってくれていたところ、2人の女の子が監督に、友達のように笑いながら話しかけた。映画に出てきた彼女だった。施設の子達と本当に友達としての交流があることを目に焼き付けてしまった私は、もうそれ以上何も言葉が出なくて、監督に失礼しますとお辞儀をしてその場を離れた。またまたまた嬉しかった。嬉しいだけの、嬉しすぎるだけの日だった。

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