色々めんどくさい私
昨日の朝の話。私は、旦那からのお願いに対して『めんどくさい』っていうLINEを送ってしまった。お願いを聞かなかった訳ではない。【ピンポイントに応えること】を拒んだって話。具体的に言うと、他銀行への送金って、ネットとはいえ『めんどくさい』と、私は思ってしまう。出来ることなら1回で済ませたいから、旦那の言う最小限な金額よりも多めに送った。『多い分、長く使えるでしょ?』と思って。旦那からは、案の定『そんなにか!笑』と返信が来た。後から旦那目線で考えてみると、『お金を貯めておくことが苦手だから、少額でお願いしてるんだよね』って言う話。やっぱり私って【自分よがり】だなっと反省した。
ただ、今回の私は、旦那に『めんどくさい』と【直接伝えることに対する抵抗】は無かった。むしろ、【気を使って、『旦那のため』に『私が思ってないこと』でもしてしまう自分】から『卒業した!』って感じに思っていた。しかし、何故だか『やっぱり自分で反省してしまう』ところがあったんだよね。
と言うのも、自分で言っておきながら思ったこと。『めんどくさい』って言葉について。『やっぱりポジティブな印象ではないよね』って思った。【自分の気持ち】を『ストレートにありのまま伝えた』からこそ、【今まで思わなかった思考】に辿り着いた感覚。『めんどくさい』のその一言が、【自分で自分の印象をネガティブにしてる】ってことに気づいたんだ。私の『めんどくさい』に対して、旦那が何か言った訳では無い。むしろ、『触れてこなかった』からこそ『自分で気づいた』って感じ。
だって、どの道『私がやること』には変わらないし、実際、今回だって送金した訳で。旦那の目的は、一応は果たしたはず。だけど、『めんどくさい』の一言があることで、ストレートに『お互いが気持ちいいのか』分からなくなった。
【めんどくさいって言う方がめんどくさい】って言葉。どこかで聞いたことがあるような言葉。その意味が、『今になって理解出来たかな?』と個人的に思う。「めんどくさい」って言う【本人】が、『最終的に自己解決する』場合は、『自分にしか影響は無い』はず。ところが、今回のように【相手とのコミュニケーション】だった場合。『m__lovemiは、今回の話を、めんどくさいと思うんだな』っていう【相手の解釈】に繋がる気がした。『今回のことが【めんどくさいって言うm__lovemi】ってめんどくさい』って言う【相手】の印象になって、必然的に『次からは同じことはもうやめよう』ってなるイメージ。憶測だけれど『私なら、きっとそうなる』『相手のことをめんどくさがってしまう』と思ったから。
しかし、そう自分で解釈した時にハッとした。【私自身】が『自ら周りの人が離れていく』かもしれない【言動や行動】を自覚したから。【自己主張】と言えば【自己主張】なので、本気で『同じことを望まない気持ち』は実際にある。それで『自己満足するなら問題は無い』と思う。けど今回は、【私】が旦那に対して『何かを思う』訳では無かった。『なんて【意味の無い主張】だったのだろうか』と反省したんだよね。
帰宅後、今朝の【私】の『めんどくさい』発言について、【旦那】が『どう思ったのか』聞いみた。すると「そんなことなんとも思っとらせんわー。m__lovemiの気にし過ぎだよ。」と言葉が返ってきた。私は、『また、旦那の考え方を尊敬するくらいの気持ち』になった。『そうか、確かに。旦那って、いちいち何か思うほど【器の小さい人間じゃない】もんね。納得。むしろ【私の方】が【考え過ぎ】だったのか』と、なった訳だ。
相変わらず【考え過ぎな私】なので、【反省】もするけど【気づき】もある。【毎回同じようなこと】を思っては気づき、自覚して改めようと意識してはハッとして。日々そんなことの繰り返しだ。
今回は今回で、私の気づきとして残したい訳で。
1つは、【ネガティブな発言】【ネガティブな自己主張】をする時は、【伝える意味】があるのかどうか、『自分なりに考えるようにしなさいね』ってことだ。そうでないと、今回私が思ったように、【自分の意図とは違う伝え方】になる『可能性がある』ってこと。そうなった時に【逆にネガティブになる】のは、結局【私】なんだってこと、ちゃんと覚えておこう。
もう1つは、【とにかく私の考え過ぎ】ってことだ。本当に、この一言に尽きる。未だに【考え過ぎな自分】との【付き合い方】を『理解していない』らしい。きっと、『旦那の方が分かっている』ような気にもなる。ただ、これを機に、私は、『新たに意識しよう』と思ったことがある。そのための合言葉は【考えたら負け】【気にしたら負け】って言葉。
何かに付けて【考え過ぎ】【気にし過ぎ】な私は、これくらいに思っていないと、毎回のように【キャパオーバー】になりやすい訳だ。そう思い立った私は、つい昨日、既に会社で実践した。
具体的に言うと、最近、【会社の人と意味の無い世間話をする】のが『好きじゃないな〜』と思い始めている私。退勤時刻が重なることや帰宅道中に出くわすことを、【意識的に避けていた】自覚があった。けれど、『これって要は、【気にしてるから】じゃんね。【気にし過ぎ】ってこういうことかも!それなら既に、この時点で私負けてる!』ってなったんだよね。そして、そんな時に限って、久しぶりにタイミングが合ってしまった訳だ。
そうなってしまったなら、もう避ける訳にはいかない。こちらも【1人の社会人】として、【同じ現場で働く仲間】として。【1人の人間同士】として、【大人な対応をする自分】で在りたいと私は思った。声をかけられて、それなりの会話に相槌をしたり反応したり。そんな長い時間な訳じゃないし、【特に何も考えず適当に話をする】だけのこと。正直言うと、正にこれが、【私には難しいこと】だった。【特に何も考えず適当に話をする】って『何?どういう感じ?』と思い続けていた私だった。
けれど、今回なんとなく分かった気がした。【好き・嫌い】とか【楽しい・楽しくない】とか、そういう【感情的】な話では無くて。【1人の人間】同士として【避け続ける】とか【ネガティブな印象を持ち続ける】とか。要は【日々常に、どんな自分で在りたいのか】って話。
お互い【人間】なのだから【合う・合わない】は、もちろんある。でも、それを【分かった上での人間関係】ってものが『あるのかもしれない!』と気づいた訳だ。特に深入りする訳でも、わざわざ真剣に相槌打って聞くような話でもない。 『適当に何も考えずに、【何とも思わずに会話が成り立たたせる】だけ』みたいな。『合ってるのか保証はない』し、『そんなんで本当にいいのか?』みたいな気もするけど。でも、そんな【適当な感覚】を身につけることで【考え過ぎ】【気にし過ぎ】な私の性格が、少しでも『改善傾向に向かうのなら実践してみよう!』ってなった。
【これまで分からなかった、出来なかったこと】だけれど、その根本的な原因=【考え過ぎ】【気にし過ぎ】な私の性格。だからこそ、【考えたら負け】【気にしたら負け】と『あえて自分の心に課す』1つのゲーム感覚。【自分で自分の成長を促す】為の、私のやり方。
それに加えて、【ネガティブな発言・自己主張をする】時の【伝える意味】を考えること。当たり前っちゃ当たり前なんだろうけど。ただ、以前と大きく違うことは、【我慢じゃない】ってこと。【気を遣う訳でもない】ってこと。【自分の意思】で『あえて主張しない選択をする』ってこと。なぜなら、『最終的に自分が萎える』ってことが分かったから。だから、これも1つの【自己責任】ってこと。
相変わらず長々と綴ったけれども、【今回の気づき】も、【また明日からの自分】に是非とも活かしたい。