会いに行けないアイドルはいない
こんにちは、京野です。
今回は別にアイドルの話がしたいわけではない。
前回組織に執着している人について書いたけど、今回は人に執着している人について書いてみたい。
もしもあなたに憧れの人がいるなら、ただ崇拝したり乗っかってるだけじゃ駄目だと思うよっていう話です。
盲目的に信仰する人たち
世の中には有名人や発言力のある人を盲目的に崇拝している人たちがいる。
崇拝している状態を自覚してそれ自体楽しんでいる、もしくは崇拝仲間と戯れることが目的なら全然アリだと思うけど、もしその有名人に憧れて、自分もそんなふうに生きたいと思っているならちょっと待てと言いたい。
「崇めている」という状態は神様を信仰しているのと同じで「永遠にそこには到達できない」ことを自分で認めてしまっている状態だと思う。
つまり、人を崇拝している人っていうのはその人と肩を並べる気はないように思えてしまうのだ。
凄い人を凄いなぁと思う気持ちは分かる。とても自分には無理だと思う気持ちも分かる。
だけど、大事なのはじゃあどうするのっていうことだと思うんだよね。
目標を対等にセットする
私は憧れの人がいたら、決して崇めたりはしない。
崇拝するのではなく、どうしたら対等な友人になれるかと考える。
どうしたらきっかけがつかめるか考える。
どうしたらその他大勢ではなく京野誠として認識してもらえるか考える。
どうしたら覚えてもらえるか、どうしたらもっと話をしてみようと思ってもらうか、そしてどうしたら対等な友人になれるかを、とにかく考える。
ダイレクトメールを送るときにドキドキする気持ちは分かる。会えば緊張して思ったように話せなくなるのも理解できる。
だけど私は心の持ちようとして「対等だ」と思い込むようにしてる。
相手も一人の人間である。
考えてみてほしい。
あなたがアイドルやスーパースターだったとして、「ファンなんです」と話しかけられたらどう思うだろうか?
「あ、そう、ありがとう」で終わりではないだろうか?
会いたい人にはたいてい会える
私は人生でやっておくべき活動に就活と婚活があると思っているのだけど、この2つにおいて、自分が「雲の上の存在だ」と思った瞬間にそこには到達できないと思わないだろうか?
私は婚活をしてみて思い知った。会いたいと思って会えない人は(ほぼ)いない。
結婚できないと嘆く人は口を揃えて「出会いがない」という。
だけど私に言わせれば、時間はかかるかもしれないけれど、戦略を練ればたいていの人には会える。相手が芸能人だろうが社長だろうが関係ない。
しかし、そこから「対等な友人」になるには自分の実力が必要だ。
対等とは Win-Win の関係とも言える。
自分の尊敬するその人に、自分は何を差し出せるだろうか、と考える。
何が言いたいかというと、出会いは自分で作るものだし、そこで「対等」にならない限り憧れはずっと憧れのまま。
Twitter はじめ SNS で誰とでも簡単に繋がれる時代、相手と対等になるにはどうしたら良いかは自分の頭で考えるしかない。
最近は有名人に「乗っかる」戦略っていうのもあるみたいだけど、自分のコンテンツがないなら全く意味はないよね、と思って見ています。
では、また。