できる人は同じ場所に執着しないという話
こんにちは、京野です。
最近は SNS やオンラインサロンなど、人とのつながりにはたくさんの選択肢があり、所属する組織が会社だけでないという人も多いと思います。
今回はこの「所属すること」について考えてみたいと思います。
ひとつの組織に執着する人たち
私は昔からどうもひとつの組織に執着してる人が苦手です(ちょっと怖いと感じてしまう)。
執着するって別に悪いことじゃないとは思うんだけどね。
ひとつのことにこだわって良いものができるということもあると思うし。
でも私は執着することによって視野が狭くなる方が怖いと思っているから、なるべく執着しないように心がけています。
ところで、みなさんの会社にお局様みたいな人はいますか?
私が務めている会社は外資系なので淘汰される文化のせいなのか、そういう人は多分ほとんどいないんですが、彼らは組織に執着している人たちなのだと思っています。
その結果、特定のコミュニティでやたらと主導権を取りたがる。
そこでしか活躍できなくて、よそに行く勇気はないんだけど、そこでなら一定数自分を慕ってくれる人がいて気持ち良い。
学生時代でいう「内輪感」もこれに類するものだと思う。
特に、文化祭実行委員やサークルなど、「自分たちが立ち上げた」という思い入れが強い人たちが厄介で、その愛は素晴らしいと思うけど、その場所にこだわり続けてしまう人がいる。
所属の自由
あなたがそこにいるのはなぜ?
それはたぶん自分が良いと思ってるからですよね。
離れたければ離れていい。
当たり前だけど、場は場でしかない。
ドアは開放されているべきだ。
宗教の勧誘が怪しく思えるのはその「良さ」や「ありがたさ」を押し売りしてくるからではないだろうか(それがたとえどんなに美しい言葉であっても)。
個人的には自分が良いと思っているなら「思っていれば良い」と思う。
誰かに聞かれたらそっとその選択肢を提示してあげたら良いと思う。
しかし誰にも聞かれていないのにアピールするのはなぜかというと、そのことによって得する人がいるか、そうでない場合はたいていが自己陶酔と自己顕示欲の結果でしかなく、それ自体にコンテンツはない(しかし「なんだかすごそうだぞ」とそこに吸い寄せられてしまう残念な人が一定数いるのも事実)。
できる人は変化している
個人的には宣伝が始まっているものはオワコンだと思っている。
良さやありがたさの流布が始まっているということは、そこにいる人たちがもうやることがなくて暇なのだ。頭脳労働者は既にいない可能性が高い。
私見では、前進してる人はお局様化する暇を持ち合わせていない。
できる人はその場所に拘らないし、執着しないし、人に押し付けない。
そして自分が進化していれば、当然所属する場所も変わっていく、もしくは「場」とともに進化するのに忙しいはずだ。
別に転職しろと言っているわけではなく、あくまで自分の中で変化していていれば良いし、重要なのは主体性、という話。
友人がコミュニティのあり方についてこのように言っていたことがある。
漂流してたどり着くもよし
ちょっと休憩するもよし
うまく利用するもよし
また旅立ってもよし
こういう自由なコミュニティで主体性のある友人に出会えたら嬉しい。
なぜなら私は成長している人が好きだし、自分もそうありたいと思っているから。
では、また。