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カジキマグロ釣りと高波

今月のマガジンはエッセイです。

死んでた。


オンライン上でしか自分のことを知らない人にとっては、アウトプットが止まるということは「死」を意味する。

そのまま消え去ったとしても、なんの支障もない。

もしかすると「あの人最近見ないね」というそのことすら気づいてもらえないのかもしれない。

SNS上のつながりなんて、その程度のものである。


ここのところの私といえば、TwitterもnoteもブログもInstagramも、とにかくそういうオンライン上の接点の諸々を自分の生活から遠ざけて、ひたすら殻にこもっていた。

その間、このマガジンもぜんぜん書けませんでした。読者のみなさま、本当に申し訳ございません。(それでも応援し続けてくれているみなさま、ありがとうございます。)



毎日毎日来る日も来る日も眠すぎてだるすぎてなんにもしたくなさすぎて、もうこのまま溶けてしまうんではないかと思っていたら、

妊娠していたのだった。


「ぜんぶホルモンのせいだ」

そう言ってしまえたら楽なのだけど、モチベーションにブレーキがかかっても仕事は急に止まれないし、おなかはどんどん重くなる一方だ。


そんなこんなで目指していた昇格試験も駄目になって、

「ああ、また私のキャリアが中断するのか」

と腐りたい気持ちにもなった。


第1子の育休を経て復職。それから1年で第2子の妊娠。

望んでいたことではあるけれど、サラリーマンとしての出世には当然ながら暗雲が立ち込めた。

復職してから任されていた案件、リーダーを努めていたプロジェクトはすべて後輩に渡すことになった。渡さざるを得なかった。

手帳に書いていた「○○の分野で第一人者になる」という目標にも中止線を引いた。

男性の同期が、独身の後輩が、
次々と昇格していく。


落ち込んだ。
だけど、嘆いていても仕方がない。

「私の人生、今与えられた環境でできることをするしかない。」

そう自分に言い聞かせた。


自分は何をすべきなのか。どうしたいのか。

それは結局自分の頭で考えるしかない。

とにかく、いまできることを。


そう思えるようになったのは、子育ての経験が大きいのかもしれなかった。


子育てとは、自分の思いどおりにならない生き物を相手に奮闘する日々だ。
だけど、ふと気づけば子どもは育っていて、変わらないようにみえる毎日の中にも幸せの種をたくさん見つけることができた。

地球上の自然現象のような大きな力に対して人間ができることなど僅かであるように、環境や運といった抗えない力の中で自分ができることは限られている。

そりゃあ世の中は平和で平等で公平であるべきだけど、あるべき論はそうなんだけど、与えられた環境を恨んでも隣の人を妬んでも仕方がない。
まずは自分の半径2メートルくらいのところで知恵を絞って、より良くしようともがき、そしてその範囲を徐々に広げて改善していけるのが人間だと信じている。

それは「与えられた場所で咲きなさい」というような受け身なものではなく、もっと前向きで積極的な「生き抜く力」といえよう。
そのときには決して戦うことだけが正ではなく、逃げることも含めてとにかく生きることが最優先事項である。



高校生くらいのとき、家族でサイパン旅行に行ったことがある。

両親に言われるがまま連れて行かれたのであるが、どうやら父と母の目的はゴルフだったらしかった。
到着すると、両親は「てきとうに遊んでいなさい」と言い残しでかけて行った。

部屋には英語で書かれたパンフレットが置いてあり、どれを体験しても良いと言う。
ホテルのフロントに電話をすれば、会計はホテル付けでイベントなどに参加できるようだった。


そして私と弟パンフレットとにらめっこして選んだのが、カジキマグロ釣りだった。


釣り堀の釣りも川釣りも、まして海釣りなどしたことのない子どもたちが、いきなりカジキマグロ釣りに出発したのである。

怖いもの知らずも良いところだ、と今では思う。



早速つたない英語でホテルのフロントにイベント参加の旨を伝えると、当日参加が許可されたようだった。なかなかに柔軟な対応である。

貴重品だけを持って言われた時間に言われた場所に立っていると、それらしき船が着港した。

これからカジキマグロを釣ろうというには少し心もとない、小さな船だった。


しばらくすると中から満面の笑みをたたえた黒人男性が2人出てきた。
あたりまえかもしれないけれど、日本人ではなかった。
腕にはド派手な入れ墨が掘ってあり、しめ縄のようにまとめた髪が頭の上でうねり絡み合っていた。


怖い。


我々が申し込んだのは、日本人観光客がわいわい釣りをするツアー的なイベントではなく、いかつい黒人男性2人とともに獲物をを取りに大海原に繰り出す大冒険だったのである(しかも日本語が通じない)。

どうやら何かを間違えてしまったようだということは瞬時に悟ったが、もう後戻りはできない。

私と弟は顔を見合わせると、覚悟を決めて船に乗り込んだ。


さっさとカジキマグロ取って帰ろう。


しかしそんな甘い考えはすぐに打ち砕かれた。

いざ冒険へと出発した船ははどこまでもどこまでも進んでいき、永遠に止まる気配はなかった。
集合場所の港がどんどん小さくなり、豆粒ほどになり、そしてとうとう見えなくなった。


「えっ、まじでどこまで行くん…」


どれくらい経ったのか分からない。
だんだん不安になってきた。
そして、あろうことか徐々に海が荒れてきた。

これ普通なの?大丈夫なの?

それすら分からない。
とにかく知識がなさすぎる。

そして後で分かることなのだが、カジキマグロ釣りとは、釣り糸を垂らして待ち、かかった魚を釣り上げるタイプのものではなく、複数の竿を船に固定した状態で船をそこら中駆け巡らせる「トローリング」と呼ばれる手法で行うものなのだった。

そして、荒波の中をひたすら行ったり来たりするたびに小さな船がザブンザブンと揺れるのである。

その揺れ方が、尋常ではないのだ。

体感的には、ジェットコースター並みの高低差で上下運動を繰り返すのである。

しかし、このトローリングジェットコースターが遊園地と大きな違う点は、安全が保証されていないという点である。


人生で初めて生命の危機を感じた。

マズローの欲求5段階説の真偽を、身を持って体感した。

もうカジキマグロとかどうでも良かった。


船の上では何度も吐いた。
そのたびに黒人男性は「海に吐け。魚の餌になるからね!HAHAHA!」と高らかに笑った。

が、こちらは愛想笑いをする余裕もなかった。


あいかわらず周囲には水平線しか見えない。
どちらの方角から来たのかももはや分からない。
波と船のモーター音しか聞こえない。
頭がおかしくなりそうだった。

今すぐに帰るとしても、今来たのと同じ距離を耐えなければならないのだ。
その事実に絶望した。


結局、我々はカジキマグロが釣れる前に白旗を上げた。

シーラという妙にカラフルな魚が穫れた時点で、これで良しということにしたのである。
食べられる魚なのかよく分からなかったが、せっかく黒人男性が捌いてくれたので、その切り身を無理やり腹に押し込んで(すぐに吐いたが)、すぐに「港に戻ってくれ」と懇願した。

黒人男性が持ってきてくれたS&Bのわさびとキッコーマンの醤油のパッケージが妙に印象的だった。



急になんの話、と思われただろう。

しかし私はいろいろな理不尽に見舞われるたびに、トローリングのことを思い出すのだ。


一度船を出したら、波にその身を委ねるしかない。
波の大きさに、自分のちっぽけさを痛感することもあるだろう。
しかし抗うよりも、波に乗りながら脱するチャンスを伺った方が良いこともある。
状況が改善したらそのときまた再起を図れば良いのである。

乗る船とか船員とか時期とか、そういう選定も重要だけど、どんなに綿密なプランを立てていてもどうしようもないときはある。

結果的に、遠回りしてよかったということもある。

大事なのは希望を失わないということだと思う。

私はまだ諦めてはいない。


ばいちゃ!

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