なぜ『自分サービス』を始めようと思ったのか
今回は、私が自分サービスである目標達成の伴走サービス『オンライン軍師』を始めようと思うに至るまでを、少しさかのぼってお話しします。
1. なぜ『自分サービス』を始めようと思ったのか ◀ココ
2. 小さくはじめる
3. とことん考えるべきこと
4. サービスメニューと値段設計を考える
5. アンケートの使い方
6. コミュニティツールの選び方
7. ホームページを作る
8. メールマガジンをはじめる
9. 決済の仕方を考える
10. 変化を恐れない
11. 私が使ったツール群まとめ
「アラサー」という言葉が怖かった。
ずっと先輩だと思っていた『名探偵コナン』の蘭ねえちゃんの歳もいつの間にか追い越していたし、おばさん代表だと思っていたサザエさんも、いつの間にか自分より年下になっていた。
仕事で全国を飛び回っている間に、気づけば20代は終わっていた。
ちなみにこの『気づけば』というのは過労で倒れた病院のベッドの中だ。
自力で立てなくなってようやく、(強制的に)止まることができたのだ。
そういうわけで『気づけば』会社を辞めた同期たちはいつの間にか結婚しており、Facebookのタイムラインが結婚式一色になったかと思えば、今度は赤ちゃんの写真や動画の嵐だった。
「本当に日本の出生率は低迷しているのだろうか?」と疑うほどに、身の回りでは赤ちゃんがたくさん産まれていて、30代になっても家庭を持っていない私は「ちゃんとしていない」と責められている気がして、静かにFacebookアプリをアンインストールした。
「私の人生、私のキャリア、どうしよう?」
私はいつだって悩んでいた。
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女のキャリアは難しい
大学を出て、希望の就職をして、彼氏もいる。
すべてが順調なはずなのに、私はいつも不安だった。
結婚して子どもが欲しい
そう思っていたはずなのに、なぜか結婚に踏み切れない。
それは、自分の人生が、結婚で『終わる』気がしたからだ。
子どもを産んで、キャリアが断絶して、そのあと私はどうしたいのだろう?
先が見えない状態で『契約』を結ぶことが、当時の私にはできなかった。
仕事をしていたいのか、子育てをしたいのか
いつもこの二者択一を迫られている気がした。
いっそ自分が働くことを諦め、お金持ちの人と結婚して子育てに専念したら良いんじゃないだろうか?
そう考えて婚活を始めた。
だけどすぐに『人の経済力に頼り続けるリスクに対する警鐘』と『打算的な結婚への抵抗』が私を支配した。
このとき私は「自分の足で立っていたいのだ」ということに気づいた。
いざ妊娠したら恐怖だった
その後、私は結婚した。
婚活で出会った人ではなく、学生時代の先輩と。
妊娠した私は相変わらず「仕事をしていたいのか、子育てをしたいのか」という問いに悩んでいた。
とりあえず会社員は続けよう!と決めたものの、いざお腹が膨らみ始めるとだんだんと不安になってきた。
とにかく職場の男性たちが羨ましい。
どうして私ばかりこんなに悩まなければいけないのだろう。
どうして夫はキャリアが断絶しないのだろう。
産休に入る前は、産後6ヶ月かそこらで職場に復職するぞ!と意気込んでいたのに、一方でお腹の赤ちゃんがどんどん愛おしくなる自分に困惑した。
自分で子育てがしたい、と願うようになっていた。
だけど仕事と子育ての両方は選べないことも分かっていた。
身近にロールモデルがいなかったからだ。
それまで、私の頭の中には常に「もっとがんばらなければ」という強迫観念が常駐していた。
学生時代から、何かを解決するには「がんばる」と相場が決まっていた。
「がんばればなんとかなるよ。」
「できないのはがんばりが足りないからだよ。」
「もっとがんばりましょう。」
でも、がんばってもがんばっても不安は消えない。
がんばるってなんだろう。
いつしか、どうがんばったら良いのかも分からなくなっていた。
このときの私は「後輩たちに抜かれる」ということにとてつもない不安を感じていて、「戻ったとき私の居場所はあるのだろうか」「復職してからどうキャリアを築いていったら良いのだろうか」ということばかり考えていた。
『男性ルールのサラリーマンコースしか見えていない』ことに、このときは気づいていなかった。
自分にはなにもない
そんな中、どんなに悩もうと、望む答えが出なかろうと、強制的に産休に突入した私は会社との接点がなくなった。
会社に行かなくてもパソコンは相変わらず会社のネットワークに接続できるので、はじめの頃はメールを確認したり情報収集を続けたりしていた。
子どもが生まれる前は、育休でもセミナーや社内の勉強会に参加する気満々だったのだが、実際の育児はそんなに甘くはなかった。
会社のパソコンはすぐに遠のいた。
椅子に座って落ち着いてパソコンを開いて活字を読むなんていうことは到底できなかった。
中途半端に見ると未読メール件数がストレスになるので会社のメールは見なくなった。
もういっそ「がんばらない」と決めたら楽になるんじゃないか。
別にぶら下がり社員として、のらりくらりやっていけば良いじゃないか。
いつしかそう考えるようになっていた。
授乳中でもスマホで読めたのがブログやTwitterだった。
これまで私はSNSにまったく興味がなかったのだが、このとき初めてちゃんとTwitterというものを覗いた。
すると、そこには色々な人たちがいた。
私と同じような悩みを抱えている人たちも大勢いた。
このとき『マミートラック』という言葉を知った。
私が勤めている会社は、女性が働きやすいランキングの上位に挙げられることも多く、女性管理職も多い。
それはそれで結構なことだけれど、『外の世界』を知った私は、自分がこれまで『会社内のキャリア』しか見ていなかったことに気づいた。
自分の足で立っているために、会社員以外の道を模索したい
そう思った。
私にとってのパラダイムシフトだった。
同時に『会社の名刺がない私にはなにもない』という事実を突きつけられることになる。
自分の力で生きていけると示したかった
子どもを産んだとき、『歯を食いしばってバリキャリするのか』『ぶら下がり社員になるのか』という二択に結論を出さなければいけないと思いこんでいた。
だけど、実際はやってみないと分からないことも多い。
それは子育てしながらの会社員も、副業も同じ。
まずは復職後の会社員を思うようにやってみて、その結果、もしも会社員としてのキャリアを継続していくのは難しいのかもしれないと思ったとき、別の道があったらすごく心強い。
切れるカードが複数枚あるから『選べる』。
選ぶって自分の人生を自分でコントロールするということ。
「いざとなったら別のカードを切れば良い」そう思えるだけで強くなれる。自分の人生を主体的に生きられる。
こうして私は副業、いうなれば『自分サービス』を模索することにしたのだ。
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