良いものだから売れるのではない
前回に引き続き、有料サービスについて考察してみたいと思う。
以前、私が住んでいるマンションに某ダスキンの営業マンの訪問があった。
何でも、無料でモップを置いていくので使ってみてほしいという。
私は後ほど、無料ならいいかと思ったのが間違いだった、と後悔することになるのだが、このときは素直にこれを受け取ってしまった。
すると営業マンは浄水器もあるので試してほしいという。
我が家の水道には既にクリンスイの浄水器がついているのではっきり言って不要だったのだが、モップを受けっとってしまった手前断りづらくなり、さらにゴリ押しされてこれを受け入れることになった。
浄水器を受け取って済ませようと思ったら、彼がキッチンの水道に取り付けをするという。
仕方なしにキッチンに通すことになり、この浄水器を取り付けられてしまうことになる。
個人的には一歳のこどもと2人しかいない家に男性を入れるのはとても抵抗があった。
そしてこの浄水器は特殊な器具がないと外すことができないため、回収のときに再度キッチンへの侵入を許すことになる。
さらに、後出しで個人情報を取られた。
悔しいので2週間後の回収日まで、私は彼が置いていったモップを全て真っ黒になるまで使い倒した。
訪問日の一連のやり方に対して不信感を募らせていた私は、ダスキンの契約はないなと思っていたのだが、モップも浄水器も商品自体は決して悪いものではなかったと思う。
さて、回収日がやって来た。
頑なに契約を拒む私に対して、営業マンは一生懸命自社製品のモップの良さや浄水器の素晴らしさを説き、なぜ契約に至らないのかということを詰めてきた。
「モップ、結構使ってもらったみたいでしたが…どこが不満でしたか?」
私は考えた。
営業のやり方に言いたいことはあれど、モップにも浄水器にも別に非はなかった。
「とても良かったと思います」
「ではなぜ…」
実際、モップを使って家の床も網戸もベランダも玄関も綺麗になって快適だった。
でもそれは無料だから使っただけで、お金を払ってまで得たいものかと言われたら NO だった。
「特に不満はないです。商品は良いと思います。ただお金を払ってまで必要性を感じないというだけです」
これがすべてだった。
商品自体に悪いところがなかったとしても、特に必要としていないということはある。
あって困るものではない、あれば使う。
だけどそれだけのお金を出して使い続けたいかといえば NO ということ。
良いものだから売れるのではなく、そこに価値を感じる人がいるから売れるのだ。
「商品のどこが不満か」という営業マンの質問はナンセンスなのである。
先日の私の有料サービス(Slackの過去メッセージを復元するという内容)もこれと同じだったのだと思う。
あって困るものではない、あったら使う。
無料だったら参加しても良いかもしれない。
だけど、お金を払ってまでアグレッシブに求めていない。
なぜなら今、特に困っていないからだ。
過去のメッセージを見たいという状況はとても限られていて、手元に置いておいたら安心だけど、特に緊急を要してはいない。
いつでもできると分かった瞬間に優先度が下がるのは考えてみれば必然のことだった。
なぜなら、みんな目の前を生きるのに忙しい。
過去の情報にお金を払ってまで向き合う暇はない。
これは商品として、情報そのものを売った点にも敗因がある。
これが「体験」「スキル」だったらまた違った結果になっていた可能性はある。
「そのサービスがなぜ、今のわたしに必要なのか」
「わたしが今、お金を払ってそれを得ておくべき理由は何なのか」
サービス提供者は相手にこれらの「理由」を与えてあげる必要があるのだ。
それがすなわち価値ということになる。
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考察続きます↓