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今それを買う理由をつくる

前回、サービス提供者は相手にそれを購入する「理由」を与えてあげる必要があると書いた。これについてもう少し掘り下げてみたい。

今回私が提供したサービスは、「Slack で過去の投稿が見られる技術」だった。

このサービスというのは、消えてしまった過去のメッセージをどうしても必要としている人には刺さるが、そうでない人には全く価値がないもの、となる。

「見ようと思えばいつでも見られる」ことが分かっていれば、別に今すぐにそのサービスを利用する「理由」はないのである。


話は変わるが、私の中で今回のサービスは既に「閉じている」という認識だった。

どういうことかというと、

 note を公開(100円)

買って分からなそうだったらもくもく会参加(500円)

 もくもく会に参加しても分からなかったので個別サポート(2500円)

というふうにスモールスタートできるように設計したわけで、当然この流れで進むものと考えていた。

つまりもくもく会の日程が決まっている以上、そこに合わせて note を購入して自力でできるか確認してみるし、それでだめならもくもく会に参加するはずであろうと思っていた。

ゆえにもくもく会の開催が終わったいま、私の中では一連のサービスの提供は終了しており、このイベントは既に「失敗」として成仏させたところであった。


ここで話を戻すが、ユーザにしてみれば、今必要性を感じていないのに note を購入する「理由」も、もくもく会に参加する「理由」もない。

特に今回は、非エンジニアには少々ハードルの高いターミナル画面操作だったわけで、そこまでしてがんばる「理由」もない。


考えてみれば、本当に必要になったらサービスに申し込めばいいや、と思うのは自然な流れだ。

ここでようやく、もしかすると私が勝手に店じまいをしていただけで、ユーザにとってはまだサービスは「開いている」のかもしれない、と思い当たった。

つまり、今後もしかしたらサポート依頼があるのかもしれない(もちろん、ないかもしれない)。

私は不思議なくらいこの考えがスッポリ抜けていて、「失敗した」と勝手にしょんぼりしていたのである。

考えてみれば、コロナ禍で在宅ワンオペ、もしくは緊急事態宣言解除を受けてまた生活スタイルが変わりつつある忙しい時期に、ターミナル画面と格闘する精神的余裕がワーキングマザーにあるかと問われれば否、であろう。

そういうもろもろの想像力が欠如していた。


ここからは妄想になるが、もし今回のサービスに、「期限」がついていただどうだっただろうか。
今、申し込まないと永遠にそれが手に入らないとなったら、「今」それをする「理由」ができる。

もしくは、今回のサービスが「復元」にフォーカスを当てたものではなく、エンジニア気分を味わうという「体験」や「スキル」にフォーカスを当てたものだったらどうだっただろうか。みんなで楽しむことやスキルを身につけることに興味を持つ人はいたかもしれない。
少なくとも参加したい「理由」は増える。

もしくは、もくもく会を無料開催もしくは投げ銭形式だったらどうだっただろうか。
もくもく会が無料なら参加する「理由」になり、それをきっかけにもっとやりたいと思えば個別サポートを申し込む「理由」ができる。

このような設計が必要だったかもしれない、などと考えている。

サービスを作るって難しい。

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京野 誠|オンライン軍師
いただいたサポートは自己研鑽に使わせていただき皆さんにアウトプットという形で還元させていただきます。いつもnoteをお読みいただきありがとうございます。