みんなと一緒に酔えない人へ
こんにちは、京野です。
今回はみんなで盛り上がることができない私についての小さなコラムです。
みんなと一緒に酔えない
私は基本的にあまのじゃくだ。
みんなが「良い!」「素敵!」と盛り上がっていると、そっとその列から外れたくなってしまう。
自分が理系畑にいたせいなのかもしれないけれど、みんなが良いと言ってるものは逆に「それ、ほんとかな」と疑ってかかる傾向にある。ちょっとめんどくさい奴だ。
大勢と一緒にその雰囲気に酔うことは危険であるというシグナルが、私を酔わせてはくれないのである。
何かをゼロから軌道に乗せるまでは楽しいのだけど、それが軌道に乗り拡散された途端、その対象にはもう興味がなくなってしまう。
そこで盛り上がっている人たちに「どうぞ」と席を譲り、自分は静かにフェードアウトの準備を始める。
こういう性質は(特に日本の学校では)結構生きにくかったりする。
みんなと一緒にその雰囲気に酔うことができないし、みんなが盛り上がっていればいるほど、自分はどんどん冷めてしまうからだ。
協調性がないとも言える。
しかし私とは逆のパターンの人もいて、最初はそこにいなかったんだけど、なんだか流行っているから自分もそこに参加してみんなと盛り上がりたい、というタイプの人もいる。
どちらが良い悪いというものではない。
なぜみんながやっていることに興味が持てないのか
どうして私ははみんながやっていることに興味を持てないんだろう。
その原因は2つあると思う。
まず第一に私が「あたらしさ」に価値を置いているという点が挙げられる。
まだ誰もやっていない、多くの人が気づいていないことに興味がある。したがって必然的に「みんながやっていること」が価値にならない。
前にも書いたけど、みんなが良いと言っている時点でコンテンツとしては終焉を迎えているということなので、そのときにはもう次の新しいことを見つけることに意識が向いている。
私は今の仕事でも新しいことを追い求めてきた。新規案件には手を挙げてきたし、それを任されてきた。
新しいことには失敗やトラブルがつきもので、それはそれで大変だけど、チームで試行錯誤しながらゴールまで持っていく過程は刺激的でとても面白い。誰も答えを知らないからそれを探求することに価値がある、と感じる。
初案件は往々にしてテンプレ化される。その実績を「うまくいった型」としてみんなで横展開するのだ。私は誰かが作ったテンプレで運用することにはあまり興味が持てない。
第二に、私はものごとを俯瞰して見る癖があることが挙げられると思う。
既に書いたように、私はテンプレを運用するのではなく作る方の仕事に興味がある。そのためにはものごとに対して常に客観的に、俯瞰して見ていなければならないと考えている。そのためには冷静でいなければならない。
実は、私は自分自身に対しても俯瞰的に観察している。
自分をこういう環境に置いたらどんな反応出るかな、と実験している感じだ。より成長させるにはどうするか、こんな刺激を与えてみようか、ここを伸ばしてみようか、と自分というコマを使ってボードゲームしてる感じである。その実験結果を一般化できたら良いのだけど人間の場合はその個体差が大きすぎるね。
わたしはわたし
正直、みんなで楽しみ続けることができる人を羨ましいと思う。それはとても素敵な才能だと思う。
私もみんなと心から楽しみたい。ちょっと酔ってみたい、と思うこともある。
そんなときは「今、ここでは酔って良いとする」と定義した小さな箱を用意して、そこで楽しむことにしている。だけど、そんな酔っている自分を別の自分が冷静に観察していることに変わりはない。非常に面倒だ。
私はこの性質のせいでずっと生きにくいな、と感じてきた。言うなればコンプレックスでもある。
でもそういう性質だから仕方がない。無理はしない方が良いと思っている。
そう思えるまでに時間がかかった。
もし私とおなじような性質の人がいたら、ここにも君と同じような人間がいるよ、と勇気づけられたら良いなと思ってこれを書いている。
私は今日もそっと列を外れて新しいことを探している。
では、また。