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地元→米国→地元→東京→奄美大島→東京
普通なら自己紹介から始めるのかもしれませんね。
でも私のnoteは"Non-Chronological Order"です。Chronologicalではない…つまり「時系列」ではない順番。私の頭の中で思いつくままに綴らせてください。私の頭の中の「ガラガラポン」です。分かりにくい場合はいつでも苦情を!笑。
2021年春。奄美大島から帰京して1か月ちょっと過ぎました。タイトルの写真は私たち親子が住んでいた集落の海です。家から歩いて30秒。学校からは10秒ですかね。
あんなに青と緑に囲まれて過ごした日常から、東京のビルジャングルに戻ると、在住歴的には「15年vs.1年数か月」のはずなのに、どちらが自分の所属なのかわからなくなります。それも日々雑踏に揉まれるうちに薄らいでいって、結局はもともと居た場所に感覚が慣れていってしまうのでしょうけど…
そんなことは分かっているわ!今はただ浸りたいだけなの。この感傷に!
もちろん最初の数か月はコロナ禍突入とも重なって、想定していた閉鎖的な町が想定以上に閉鎖的になり、思ったより寒い春先と開けない梅雨の湿度と得体の知れない虫たちに、涙を流して「来なければよかった…」と後悔しながら寝た夜もありました。なんせ初めてのワンオペ育児での親子留学でしたので。しかも下の子は2歳で連れていき、すぐ3歳になって「悪魔」と化し、戻るときには4歳のわんぱく盛り…もともと生意気な娘は島の小学校登校初日の半日で「島の子」となり、ワイルドさは急上昇…自分の選択を後悔しないはずがない。
でも私は自分の生まれた町、これまで住んだ場所、すべて大好きです。
故郷仙台市(地元は隣町だけど、20代はずっと住んでいた町)
高校時代に留学したSacramento(CA)。カリフォルニア州の州都。この郊外のGranite Bayという住宅地のホストファミリーにお世話になって地元の高校に通った。
大学時代に留学したPhiladelphia(PA)。建国の町。ワシントンDCができるまではここがアメリカの首都。ここから車で20分ほどの田舎町にあるこじんまりとした歴史あるリベラル・アーツ大学に通った。寮生活も最高に楽しかった。
そして…状況して今年で16年目の東京。田舎者の象徴、大好きな東京タワーのお膝下のエリアで暮らしている。
どこも私という人間を形成してくれた町で、大好きな人たちが住んでいる場所です。
そして2020年~2021年を過ごした奄美大島。
奄美大島も私という人間を、娘を、息子を、形成してくれた島になるのでしょう。
そんな奄美で書いていた地元での活動を宣伝するためのブログをお引越しさせ、現在の気持ちを追記してこのnote上でアーカイブ化するために、この度こちらにやってきました。
自己紹介も、何を発信したいかも、私が何を知っていて、何を知らなくて(悩んでいて)、何を求めてこのようなプラットフォームに飛び込んだのかも追々。
今日もビルしか見えない東京(今は横浜だけど笑)で、脳裏にチラつく奄美の緑と青を追い求めては、涙が出そうになるのを抑えているところです。
KYHR/SLA
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