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鶏を捌く「命の授業」 〜エピローグ〜

予想以上に熱くなり、長々と続いてしまった「命の授業」シリーズ。元々2020年に書いていたブログをアーカイブにしながら追記する形をとっているので…長くてすみません。

でもNon-Chronologicalが魅力(自負しているだけ)のこのnote。後々は自分の仕事(副業だけど)であるランゲージ・アーツに結び付く助走期間的自己紹介ですのでどうぞお許しください。

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(2020年11月26日ブログより)

タイトル:ニューノーマル

我が家(実家も含めて)は大河・朝ドラ大好き一家。
つまらないなと思ったら戦線離脱するシーズンもありますが、基本最初から最後まで見続けるのが伝統となっております。

今朝は実質的に2020年度前半の朝ドラであった「エール」の最終回。明日はそのカーテンコールという「新しい形」でフィナーレを迎えるようですね。
脚本家の交代?もあったとか。そして主要キャストであった志村けんさんの死亡。コロナによる撮影の中止、そして放送の延期。
その間番組のスタートから再放送でカバーし、メインテーマであったであろうオリンピックや甲子園とのタイミングがずれてしまったり、
エピソード数を減らしたり…

そんなドタバタ劇を潜り抜けて高評価を得たこの朝ドラ史上まれにみる作品に、細かい突込みはありますが拍手ものだと思います。

朝ドラ好きから言わせると、これまでも近年に絞っただけでも「ちりとてちん」「カーネーション」「あまちゃん」「ひよっこ」「ちゅらさん」…
などなど、個人的に好きなランキングはありますが、「エール」も違った要素をもった意味でランキング入りさせなければなりません。
明日まで見続けて、マイランキングを本気で再検証する必要がありそうです。

今日番組の最後で主人公が言っていた「早く日常が戻ることを願って、皆さん一緒に頑張りましょう」という言葉。
確かにそうです。
戻りたい。
自由に行きたいところに行きたいし、会いたい人に会いたい。
美味しいものを食べて、飲んで、みんなと騒ぎたいし、煩わしいマスクを外して普通に室内での活動もおこないたい。

でも、いくら優秀なワクチンが出回り、致死率を下げてくれる薬が開発されても、
「日常は戻っても、元の世界は戻らない」ということは、折に触れて色々な人が言っていることです。

仕事の仕方、仕事自体の内容。
人の価値観。これまで当たり前であったことが当たり前ではなくなる社会。

例えば…みんながみんなに気を使い、2次会、3次会が当たり前であった飲み会でさえも、
本当に必要な、または大切な人とだけと会食し、その他は省略したり簡略化していくようになるでしょう。
コロナ禍の前にすでに若者は自分にメリットのない飲み会には出ない傾向がありましたし、お酒の消費量は減っていましたよね。
それが加速して形が変わっていくはずです。
「とりあえずビール」の合言葉もなくなり、好きなものを好きなだけ「オンライン」で飲めるスタイルも確立済み。
寂しいいような、合理的ですがすがしいような(笑)。

教育も一緒。
学校は行くことが当たり前で、先生のいう事は一方通行でも聞くことが当たり前で、知識量を問われる試験を受けることが当たり前だった2020年以前の教育が、もともと2020年の新学習指導要領以降は、自ら思考力を発揮し、それを表現し、問題を自分で分析して意見をまとめ、それを論理だてて説明する力を持たなければならない。

それには既存の学校通学スタイルから脱して、オンライン授業で単位をとったり、海外に留学してダブルディプロマを目指したりしてもかまわない。むしろユニークこそが最大の武器になる時代がやってきて、その選択肢を考えつく子と知らないまま流されていく子では、その時点で人生の選択肢に差がついてしまう。

うかうかしていられない時代、つまりAIやSociety 5.0の浸透が10年20年早まってしまった。
そういう意味で、形が変わった「日常」が始まる…色々な工夫で乗り切ったこの朝ドラは、そのスタートとなる記念ドラマだったのかもしれないと思うのです。

いつか「ああ、エールを観ていた頃はこんな時代になるとは思わなかったなぁ~」と思い出すことになるのかな…と思っています。
なんせ私も読めない世界が待っているので、今から戦々恐々とワクワクの半々です。

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来週からは新しい朝ドラのスタート!しかも舞台は我が故郷「宮城県」。楽しみだなぁ〜

このnoteを書いている現在。東京を含む全国主要都市は緊急事態宣言を受けて様々な制限下で不自由な思いをしております。その影響はいつまで続くのか、どの程度なのか、そしてずっと先まで想定以上の打撃としてじわじわと我々を追い込むものなのか…未知の戦いです。目に見えないまますぐそこまで迫っています。変異種が蔓延してきている今、医療崩壊が目前だとあれだけテレビで脅されている今、「自分は大丈夫、関係ない」と言う人は...

よっぽど上昇中の株で儲けている人か、自給自足で僻地に暮らす仙人たちか…いずれにせよ羨ましくもある…

志村けんという存在

朝ドラ「エール」で重要な役割を担っていて、それを本格的な俳優としての立場で全うするはずだった志村けんさん。彼の死がきっかけとなり、新型コロナウィルスが決して遠い国のものではなく、自分にも身近なものであることを感じた人が多かったはずです。私が子どもの頃は彼の出演するお笑い番組「8時だョ!全員集合」や「志村けんのバカ殿さま」などは、見ないという選択権はあるのだろうか…と思うほどの番組でしたので、なんの疑いもなく彼を笑いのデフォルトだと思っていました。

娘の「死ね死ね団」の中心団員も志村けんの大ファン。え?今時の小学生が!とびっくりしますが、そこはさすがYouTubeキッズ世代。欲しい情報は次から次へと矢継ぎ早に流れ込むので、彼のママ曰く、放っておいたらずっと志村けん祭りよ…とのこと。彼は志村けんさんの訃報に肩を落とし、「コロナなんて大っ嫌いだ!!!」と叫んでいたそうです。

その団員のママ。自分の息子が死ね死ね団の中心となって悪気もなく(ここはホント。とーーーーっても素直で明るく良い子だから)、友達に対して「死ね」「くたばれ」を連発している事実は梅雨知らず。

「うちの子最近口が悪くて…」と困ってはいますが、事の重大さ(重大じゃないと捉えてもそこは価値観が違ってくるのだが)に気づいておりません。もちろんこのママもとーーーーーーっても優しくて、素敵で、愛すべき癒し系キャラで、友達もたくさん。私も大好き!

東京ママの反応

そんな死ね死ね団の中心団員と、彼の暴言に心を痛めているセンシティブな被害者男子、さらにあまり考えない、気にしないタイプの我が道を行くマイペース男子、そしてこれまた志村けんをこよなく愛する、行動も言動もかなり男子偏っている我が娘の4人のママで構成されるLINEグループがあります。家が近所で、1,2年生が同じクラスだった仲間で何かと便利なグループ。実は今回この一連の流れを全てお喋り娘から聞いていた私は、あえて、意図的に、実験で嫌がられることも覚悟で鶏捌きの「命の授業」の動画を送ってみたのです。

結論。受け入れてもらえませんでした。「実はGW中にA兄ちゃんが我が家に泊まりに来ていてね(A兄ちゃんのご両親が転勤で東京在住になったため、久々の再会のために無理して上京)、そのお兄ちゃんはとっても素敵な若者なのだけど、こういう命の授業を子どもたちにしてくれるの!命の重みさえ少しでの感じてくれると、簡単に死ね!とか暴言を吐いたり、人をイジメても何にも思わない子にならないと思うのだけどな~」

とわざと軽いノリで送った動画。もちろん鶏の首からは血が流れていますが、子どもに見せるわけではなく、そのママたちを限定対象として。

「うわ!無理だ。衝撃的!このお兄ちゃんがかわいい顔して淡々とやっているところがなんとも…この後鶏は美味しくいただくの?都会育ちの子には受け止められないね〜」

「うわぁ!見れない、これ。なんか勇気ないわ。一人では見れない」

「私も…でも鶏肉は大好きだから、感謝していただくことにするよ」※死ね死ね団の団員のママ。

…そりゃあそうか。うちの強靱の娘でさえ1週間は鶏肉を拒否したし、子どもの頃に学校から帰ると首がない鶏が軒下にぶら下げられた姿を見て毎回「ぎゃーーーー」っと騒ぎ、それから60年以上鶏肉だけを拒み続けている私の母も、拒否する心理は同じですからね。

奄美の仲間たちの反応

先のシリーズ①か②でちらっと話した通り、今後この「命の授業」をどう捉えるべきかという議論が奄美の桃源郷で行われている活動関係メンバー間のLINEで行われました。そのきっかけは、今後参加予定の子どもの中に、ベジタリアンを希望している子や、動物愛護精神が強い子どもがいるからどうするべきか…というものでした。様々な視点がありますが、その一部を。

〇 強制するつもりはない(A兄ちゃんの意見と同じ)。これは都会では感じにくくなってしまった「生きている」という実感を取り戻すきっかけのために行っていて、人は自然環境の中で生かされていること、他の動物や植物とのつながりの中で生きているということを実感してもらうためのもの。そのうえで社会やお金についても考えてもらうことを目的としている。

〇 愛護精神については色々な意見がある。多感な子どもの時期に知識よりは心を重要視してもいい(見ない選択)。牛や鶏の屠殺場を見たうえで、食品の裏側を知ってからは(発言者自身も)一人のときは肉は食べない。屠殺場はモノクロのようなイメージだった。一方必要な時に必要な分だけ人間が丁寧に捌いた「命の授業」の鶏を見たときは色がついていた。そういう最後まで命を尊重されていることが伝わってくる。「いただきます」は命を我々に与えてくれた動植物だったり、作り手に言うものだから、感謝を学んで欲しい。

〇 人も動植物も自然循環の中にある。それらは緩くつながっていて虫やキノコも微生物も無機物でさえもどれも尊く、境界線などなく、食べる食べないは実は曖昧なものだと知ってほしい。けどそのうえで相手を思いやる心は大切だから、それを感じた時は命を絶つことをしないという選択をしてもいいと思う。

〇 愛護問題に絡むと文化の違いや政治的問題にもなる。「捕鯨」が良い例。鯨やイルカ(一部地域)は食べては可哀そうで、カンガルーは良いのか。アジアに残る食犬文化はどう捉えるのか。そこには相手の考えを受容したり、歴史文化を知ったり、譲歩しないと世界の分断に繋がる問題になる。

〇(先述のA兄ちゃん)愛護精神で食べないという考えは、命について考え切れていないのではないか。動物植物を区別する時点で生きるということは命をいただくことだから、そこから逃げていることになる。可哀想というのは人間の感情。それが本当に正しいことなのかということを考えて欲しい。

〇 人間が自分に近いものに感情移入するという動物であることも事実?科学的なのではないか。選択肢として、屠殺の痛みや恐怖を感じていないであろう植物を食べるとういことを選んでいる部分もある。要は多様性として色々な考え方があると理解しあえたらいい。

〇 選択する自由、個の尊重、正解不正解ではなくて、考えを押し付けないことが大事。生態系、食物連鎖、ベジタリアン(ヴィーガン)思想、宗教、動物愛護。すべては「選択」「多様性」「命」「死」様々なテーマを内包した問題。一面的には解決できない。

〇(そしていよいよ私が「死ね死ね」問題を投入したため)ばーか、死ね死ね!って言っている子どもたち。自分は安全なところにいて、人を傷つける覚悟(鶏の命を絞める)覚悟みたいなところから、何かを感じることができるか。騒ぐ鶏の首に刃物を突き付けて絞める!その覚悟を実感できることができるか!

〇 実際に途上国に行って、同じ年頃の子どもたちが学校にも行けず、空腹に苦しんでいるのを見たり、戦争に駆り出される少年兵を見ても同じセリフが言えるのだろうか。命の大切さを鶏で感じられないか。

〇 劣悪な環境で飼育される経済動物(畜主の経済行為として行われる動物の総称)の扱われ方、薬を使うこと、フォアグラとか熊の胆汁とか、動物に苦痛を与えて不自然な育て方をすることを、正解とするのか、個の考え方とするのか。そこには答えはないから誰の意見の考えも否定できない。命に向かって自分がどう生きるかを選ぶことも「食育」なのではないか。

〇 であれば、生きているということはどこまでが「生きている」になるのか。「脳死」問題もでてくる。どこからどこまでが「生」でどこからが「死」か。反応がないからといって痛みを感じていないとは言えない。

〇 ドナー意思確認カードに署名を迷った。死はどこから痛みがあるのか懐疑的だから、迷った人、迷わず署名できた人がいた。

〇 何度この鶏捌きをやっても淡々と語ることができない(ソウルメイトママ)。いつも「無」でいようとしている。(A兄ちゃん)何度もやりたくはない。どうしても「慣れ」がでてしまうのが事実。子どもに見せることもなるべく1度に詰め込んであげたい。

〇(私)脳死の話になるとどうしての東野圭吾の「人魚の眠る家」を思い出しちゃう。母親の立場であの小説を読むと、正解がないことをひしひしと感じる。ドナー提供で誰かを助けることが「正しい」と頭で理解できても、やはり主人公と同じことを「お金が許す限り」してしまうと思う。私にとってどんな状態であれ娘が「自分の目の前から消えること」が死だから、そこは絶対させないという結論に至ると思いながら読んだ。

〇(A兄ちゃん)僕は何かを食べて命を頂き、その命は自分の一部になるわけだから食べた側は食べた命と一緒に生きることになる。そうやって輪廻転生の循環がある。だから人は自分が誰かの心や体の中にもいなくなった時に初めて「死ぬ」という意味になると考えていて…だからドナーカードには迷うことなく署名した。

〇(ソウルメイトママ)A兄ちゃんの考えは面白い。でもA君が輪廻転生して母親として生まれ変わったとして、自分の娘の脳死を目の前にしたときに、どんな姿になってでも、知らない誰かのためではなく、私のために目の前にいて欲しいと思うはず。

〇(A兄ちゃん)なるほど。僕はまだそこまで大切な人ができていないからそういう風に考えるのですかね…(22歳、そりゃそうよ!)。

…エトセトラエトセトラ…

その①、その②、その③、そしてエピローグ。長い長い鶏の話でした。

ここで紹介した東京のママ友のリアクション(もちろん経験もないままいきなり映像でちらっと観ただけ)は、私が期待していたものではなくて残念でしたが、それも環境がなせる技。都市化した東京ではあまり響かない話。そんなんで「死ね死ね団」問題が片付けば奇跡です。

この問題は今後娘に話を聞きながら、少し様子を見てイジメや嫌がらせに発展するようならお節介BBA化しようかな…と思っています。この1,2年生の時のクラスメイトは頻繁にボランティアで学校活動に入っていたので、どの子も私にとっては可愛くて気になる存在。無駄な行為かもしれませんが、「死ね」と言い放つ子どもを放ってはおけない。昨今のSNS問題ではないけど、言葉は武器だから。鋭利に人の心を抉るものだから。

一方奄美のママ友を中心にした活動メンバーとのディスカッション。実はまだまだ本当は前段も後日談もあるのですが、ソウルメイトママはこの「平行線の話し合い」が大事!だと言い切ります。

「本質はなにか」「何が大事か」…そして「正解を出さないこと」。これを今私たちはルール化し始めており、そのためにはこういったディスカッションを平行線で話し合うので…結構な頻度で毎晩寝不足です笑。

あなたは「命の授業」をどう思いましたか。モヤモヤとして答えが出ない!となっていただければ幸いです。

KYHR/SLA

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