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ママ友との分岐点:ママ友で終わるのか友だちになれるのか

ランゲージ・アーツの普及記事準備も進まないが、奄美時代のブログのお引越しも同じ…もうなんでも良いから、ブログはコピペしてそのままアーカイブ化しようかな…でもレビューもつけたいのにな…

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(2020年02月22日ブログ記事より)

タイトル:子育てとママ友と情報(部屋とYシャツと私?)

前回のブログでワークショップの開催候補日をアナウンスさせていただきました。

人によっては午前が希望だとか、午後の方がいいとかあるかとは思います。
募集を正式にかけた後に微調整も可能かと思いますし、会場さえどうにかなれば平日開催も可能です。
とにかく興味のある!という方を求めたいと思います。
(一応)1年しかない期間限定のこのチャンス。
一期一会精神で、何かをお互いに得ることができれば幸いです。

子育てサークルは世にたくさんある中、教育サークルが少ないという感想を持っていると書きましたが、
子育てサークルで知り合ったママたちの情報網を駆使すれば、もう就学時の頃には情報はそちらから得ればよいという現状もありますよね。

娘の友達のママは、三人兄姉弟育児の中、長男のママ友とつながっていればほとんど情報がもらえるため、長女の時は2,3人しかお付き合いしなかったそうです。
でも3番目のちょっと歳が離れた次男(うちの娘の相棒)は、気難しくて手がかかり、学校の様子も担任の先生との関係なども色々気になるので、やはりママ友は多ければ多く、情報もたくさん入れば入るほどありがたいとのことで、ママ友づきあいのやり直しだとか(笑)。
たまたま娘のクラス(学年全体)が第一子(または一人っ子)が多いため、ママたちも友達作りや学校への関わり方に熱心で、比較的良い輪を築けているかと思います。

我が子の客観的な様子。どんな習い事がどこでやっているのか。先生はどんな感じで指導をしてくれているのか。
クラスの様子は?事件や問題が起きていないか?…心配し過ぎじゃないかな…という程都会の親たちは神経をとがらせています。
そんなときに「大丈夫だよ」とか、「~したらいいんじゃない?」とか、「うちもだよ!一緒一緒!」と笑い飛ばせるママ仲間は本当に心強い。

私たちが住んでいた区では、第一子出産時にだけ近所の同月産まれの親子が招待される子育てサークルがあります。
産後鬱や育児ノイローゼ、今騒がれている「孤育て」対策を区がおこなっているわけです。
私は長女出産時、その案内があった頃ちょうど東日本大震災の津波被害のリフォームがようやく終了した実家に帰っており、どうやら案内を見逃してしまったようで(いまだに全くその案内の記憶がない)、保育園に入ってからその存在を周りに聞きました。
とはいえ、出会うママたちのセレブ感に対して出産前の母親学級の時でさえすでに違和感と恐怖感があったので、子育てサークルなんてもっと怖くて存在を知っていたとしても私は行かなかったとは思いますが(笑)。
また、別途「双子(多児)育児サークル」も用意されており、多児育児の大変さを共有する機会を設けているそうです。そちらも不妊治療の影響で年々人数が増加しているとか。

自分のことを決めるなら強気にいけるときでも、我が子の子育てのこととなるとやはり相談相手や愚痴る相手、情報が不可欠ですよね。
「教育問題」に関しても、そんな相手や情報が欲しい方…もっと言ったら「一から教えてくれないかなぁ~」と思っている方がいらっしゃるのではないでしょうか。
ランゲージアーツのプロジェクトは、そんな思いからスタートしています。
(早くギガ数が復帰しますように…)

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日本での「コロナパンデミック」の兆しが少し出始めた去年の2月のブログだ。奄美での「ランゲージ・アーツ活動」も始めたばかりで、オリエンテーション的なワークショップを準備中だったのに、ギガ数が足りなくなって「一人パンデミック」だった頃の話だ。

奄美から東京に戻って確実に感じたのは、自分の価値観が微妙に・絶秒に変わったこと。

大事だったものが、そんなに大事に感じなくなったり疎かにしていたことが大事なことだと気づいて、今からでも初めて見ようと重い腰を上げたり…細かいことを言うときりがないが、大きく分けると「自分(たち)の生き方」「子育て・教育関係」。…うーん、分かりやすい!単純な私。

一番古いママ友

ある意味一番古くて、太くて、長い、濃厚な付き合いをしてきたママ友とは、もう10年目、娘が保育園の0歳児クラスからの付き合い。

お互いの夫婦が全員地方出身だし、父親同士にいたっては同郷。生活レベルも一緒。都会的な合理さ(あっちの家訓は「コスパ!」というぐらい)と、自分たちが経験してきた自然体験を子どもに普通に与える…そういう面で気が合うし、「伊豆大島に旅行に行こうよ!」とか、「鮎釣りに行かない?」とか、そういう彼らのフットワークの軽さにも一目置いてきた。ド田舎出身のママの方は実家から送られてきたものを何でも分けてくれるので、「実家の裏山で捕れた猪の肉いる?いるなら(保育園の)ロッカーに入れておくよ?」と、ま、都会では絶対に考えられない物々交換をしてきた。

そんな家族ぐるみの付き合いを続けてきた一家との付き合いにも、最近は違和感がある。子ども同士の性別が違うからではない。ウチの娘はほぼ7割男の子のハートを持つ、筋金入りじゃじゃ馬だし、そもそも男の子たちとしか遊んでいない。だが…

〇 あちらの子どもの通塾が小3から始まったこと→某大手塾。都立中高一貫校を「試しで」狙うらしい。小3は塾代が無料。小4からでも塾代が安く、それで都立中高一貫校に合格したらコスパ的に最高だろうということ。うーん。どう見ても「本人」の希望ではない、親たちをよく知っているからこそ断言できる…本人は実際「別に…」と言っていことも。

〇 ゲーム!とにかくゲーム!朝は6時前に起きて、友だちとフォートナイトで繋がり、30分から1時間ゲームをしてから学校にいくことを「朝練」と呼んでいる。ママいわく、パパが親にゲームを禁止された反動で大学入学と共に暴走してゲーム三昧になったから、その防止策としても「子どもが飽きるまでやらせる」という方針らしい。だが、その家族は全員ゲーマー。ママは今でもポケモンGOを謳歌し、家族でハワイ旅行に行った時でさえレアキャラ狙いでやっていたぐらい。そしてその影響は現在4つ離れた下の子に来ていて…断言はできないが、その子の言語発達の遅れの一要因になっているのではないか?と周りでは密かに思っている人たちもいる。周りに隠してはいるが、言葉の遅れを指摘されて支援クラスを勧められたとのこと。本当に「ゲームに飽きる」日が長男の方にも次男の方にも来るのだろうか。受検させる(都立入試は適正検査だから受験ではなく受検)予定があるのに…。

〇 こちらへのチェックが厳しくなった!保育園時代と違い、小学校で初めて同じクラスになった今年は、何かと「パパ」がうるさい…あちらはママの方が稼ぎ手なため、学校行事関連、育児関連はほとんどがパパ。そのためクラスのプリントに載っている話、成績などはすべてパパがチェック。ママはたまにお茶すると「えー知らない!誰あの子?うっそーそうなの?」状態。勉強や進路はしっかりコントロールするのに、他には興味がない。なぜなら他の時間は家でゲームしているから。公園遊びも嫌がるその子は、親といるか、ゲームで友だちとつながるか、学校で遊ぶかがすべてだ。

考えてみた。もう10年近くも付き合っているママ友なのに、この違和感は何なのか。彼女自身は変わっていない。私の価値観はちょっと変わったから、そこ?そこなのか?彼女とその一家の悪口を言いたいわけではないのだ。嫌なら離れるのだろうけど、畑で採れた野菜を一番先に持っていくのは彼女の家。彼女の性格も以前と変わらず大好きなのだけど、なぜか引っかかるもの。何だろう、この違和感。

価値観

つまりあれだ!価値観が問題なのだと思った。しかも「子育ての価値観」なのだ。それが保育園時代と違って、小学校…特に高学年に向けてズレてきたのだ。

なぜって、この10年の付き合いのママと比較すると「4年目」の付き合いとなる今年畑を一緒に借りてやっているママ友とは、奄美に行く前も、帰って来てからも、何も変わらない付き合いができる。話もできる。尊敬する部分も同じ。子どもに対する想いも、彼らの今必要としている声に応えようとする姿勢も似ている。今優先すべき成長過程上のプライオリティも一緒だ。そうすると、付き合い10年目のママとは「今」、つまり「子育て」における価値観は合わないけど、それが終わった時に合うのかもしれないし、なんせそこまで行ったら相当長い付き合いになるわけだし、好き嫌いを超えているだろう。そして逆に、付き合い4年目のママとは、子育てが終わった時に「その他の価値観」が違っていたら、会うことも話すこともあまりなくなるのだろうか。今この文章を書きながら「0か100か」の極端な話を思いついただけで、実際はほどほどに細く長くでも付き合っていくのだろうけど、「子育ての価値観」の相違で、その後「友だち」になれるのかなれないのかが決まってしまうのだろうか。

自分の「地元」でもない東京。地元になら子育てに関係なく価値観の相違も楽しめる昔からの友人たちがたくさんいる。彼らは「自分の友だち」だから。でも、働くためにでてきた「東京」で偶然子どもを同じエリアで産んだために知り合ったママ友たち…すでに付き合いもない人たちもたくさんいるわけだが…今私が大事に想って付き合っている彼女たちとは、今後どうなっていくのだろうか。

奄美のママ友

前に書いた記事のとおり、奄美で息子の幼稚園を通じて知り合ったママに「奄美って”ママ友”って言わないんっですよ~。そういう概念がないんです。みんな親戚か、同窓(同い年という意味)か、先輩か後輩か、同じ集落の人なんで~笑!」と言われて以来、では自分の地元でもない「東京」で子どもを通じて知り合ったママたちは「子どもの友だちのママ」なのか「自分の友だち」なのかで行き詰る。そこで軸となるのが「価値観」なのだろう。

先週、奄美で一緒に活動をしている仲間内で「ある事件」があり、このnote記事にも出てくる桃源郷で有機農業をおこなっているママが悩んで眠れないことを察した私は、「大丈夫?話す?」とLINEした。速攻で「話したい!」の返信。

5時間話した。5時間!女子高生か?ただのBBAトークか?なんだか分からないけど、とにかくたくさん話した。普段からリモートで活動に引き続き関わっている私は、事件にまつわる経緯も事情も全部知っているはずなのだが、それでもやはり話したかった。「だって女だから」なのか、「だって人間だもの」なのか…感情を、価値観を、アイディアを、計画を、愚痴を…とにかく話したかったのだ。そして笑いたかったのだ。あの晩は。

週末だったし、いつでもできるわけではない。旦那は呆れて先に布団に入っていたし、次の日は寝不足で頭がぼーっとして身体もだるくて、少々の反省はあるけど、笑いにすべてを変えられた気持ちは晴れたものだった。

彼女は息子の幼稚園を通じて知り合った「ママ友」ではあるけど、子育て「情報」を交換したことはない。ほとんど…いや、一切。彼女の活動を私がたまたま手伝っているだけで、子育ての「価値観」は共有はするが、それはその活動のための議論である。彼女とは空港でお互いに号泣して別れ、その後も頻繁にやり取りをし、今年の夏も思いっきり一緒に活動することを楽しみにしている。今後どうなっていくかは分からない。でも彼女が彼女である限り、私の人生の上で「大切な人」であり続けるとは思う。会ったり連絡をしたりする機会が減っていってもそれは変わらないだろう。今までそうやって付き合ってきた地元の揺るぎない基盤を持つ友人たちのように「大切」だから。

「分岐点」

ママ友との分岐点はどこにあるのか分からない。保育園や幼稚園時代の仲間とは卒園したら終わりなのか(だいたいの人たちとはそうなる)?それなら娘が小学校を卒業し、地元の中学に進まない予定の学年約半分の子どもたちの親たちとは縁が切れるのかもしれない(多分ほとんどそうなる)。でも同じエリアに住む限りは、子どもたちとは関係なく、お茶をしたり、飲みに行ったり、いろんな情報を交換したりする人たちもいるのだろう。その時に話題の中心が「子どもの教育」から「自分の趣味」「仕事」の話になっていても、それを楽しめる自分でいたいし、そういう相手を選びたい。友だちは…「数はそこそこ、質は良質!」欲しいのだ。つまり「大切な人」を増やしたいし、持ち続けたいという私の我がまま!

https://note.com/m_kyhr/n/n2bd06a0ab26d

『大切な人の法則』

◆ 一緒にいる時間が短く感じる

◆ また会いたいと思う

◆ ふとした瞬間に思い出す

◆ 自然な笑顔でいられる

◆ 話を真剣に聞いてくれる

◆ 何気ない一言が胸に刺さる

◆ いつも頭の片隅にいる

◆ 失いたくないと思う

上記、友人のブログで紹介されていた臨床美術士の関根一夫さんという方の言葉らしい。素敵な8つの法則だな~と思う。

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今、この言葉が当てはまる人たちが数人いる。私はその人たちに会いたい。会えないなら話がしたいし、その人たちのSNSでもいいから、それらを見て元気で楽しく生きていることを知りたい。それだけでこちらも元気になる。

ママ友とであれ、誰とであれ、ある意味必ず分岐点が来る。いつまでも一緒にダラダラとつるんでばかりはいられないから。でもそんな時にでも、自分が大切にしたい人たちも私のことを同じように想ってもらいたい。

そうなれるよう自分自身の魅力も高めなくてはと思う今日この頃だ。

KYHR/SLA



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KYHR
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