GQuuuuuuXジークアクス考察❶ジークアクス世界の前提とは?
本日2025年2月2日に機動戦士ガンダムジークアクスの新たな情報が解禁された。なお、シャアが登場する予告編はすでに東宝によって1月20日と早めに公開されている。
ジークアクスという作品はどういう前提か?
本作の前提条件はいくつか仮説が出ている。受け手によって印象が異なるので異論がある訳だが、代表的な見解をいくつか記載してみたい。
“リブート説(好き勝手に作り直した)”
“並行世界説(マルチバース)”
“時間遡行説(タイムループ)”
私個人は時間遡行説を推している。強引な理論展開があるかもしれないが、予めご承知いただきたい。
リブート説の否定
まずリブート説の否定にはいるが、一新されたメカニックデザインは確かにリブート説には相応しい。声優も交代している。ただ前半の原作を踏襲した(いわゆる安彦良和作画)キャラクターはむしろ原作ままである。また冒頭のザクの侵入シーンもシャアとジーンが入れ替わっている以外は同じである。
作品のイントロダクションやSE、サイド7のハッチを開けた際に弾け飛ぶ内部のアーム、デニムが望遠した際のエレカなどはむしろ同じ時間軸を踏襲している事を示唆する演出と考えられる。ここで観客に示されているのは「明示された変化以外は、原則としては同じ時間軸ですよ」という示唆ではないだろうか。
少なくとも冒頭のこの時点では、ジーンのザクの故障およびシャアの思いつきこの2点のみが差異と映画内では語られる。原作ではフラウの乗っているエレカや、テム・レイ自身は登場する。そこから考えると、フラウやアムロが恐らくはこのジークアクス世界にも存在しているのだ。
ただ、「差異は実際の所はもう少し多いのではないか?」という指摘はある。
「ペガサス級がホワイトベースではないのではないか?」
「ガンダムの1号機のパイロットが健在ではないか?」
などだ。
可能性としては否定しきれない。ただ映画上は構造を単純化させるためにも、恐らくはジーンが起点とされているのではないか。それ以外はそれ以降に派生した影響ではないか。少なくとも見える限りの演出上はその体裁で進んでいる。どんでん返しという掌返しはあるかもしれないが、beginningではその前提で良さそうだ。
シャアのガンダム2号機強奪後、話はとんとん拍子に進む。ホワイトベースの追跡が発生しないので、シャアは地上に降下する事はなくガルマも死亡しない。(シャアによるガルマ殺害はホワイトベース隊を実行犯に仕立てる策であり、思いつきに近い場当たり的犯行である)ガルマは「私的な理由で」除隊する。原作ファンであれば、これはニューヤーク市長の娘であるイセリナとの結婚が理由だと分かるようになっている。全体として特定のポイント以降は時間軸が変化する形で描かれるが、玉突き事故の影響範囲はファンの予想の範囲内にとどまる自然な形で描かれる。(影響は大きいが異質さはない)
これはいわゆるバタフライエフェクト(=小さな出来事の違いが大きな結果の違いを生む)を題材としており、この場合の蝶の羽ばたきはジーンのザクの故障であった。そしてこれはタイムループものの典型的な題材である。
マルチバース説は否定困難
ではマルチバースについてはどうなのか? マルチバースであるというのは証明が困難であるし、否定する材料もない。何より、シュウジは「向こうの世界」という発言をしている。ここで一回整理する。
・原作世界(富野由悠季)
・前半世界(鶴巻和哉監督・庵野秀明脚本)
・後半世界(鶴巻和哉監督・榎戸洋司脚本)
世界が2つあるとしたら、その世界とはどことどこか? そこにこそ謎を解く鍵があるのではないか。時間軸の切り替わりは、どことどこなのか?
一般に前半と後半で違う世界だと解される事が多い。ゼクノヴァの以前と以後という分類だ。なんと言っても、絵柄が変わっている。しかし私は富野由悠季の描いた原作世界と、ジークアクス世界の違いが別の世界だと考える。
つまりジークアクス世界はゼクノヴァ以前以後も連続した世界である。緑のおじさんことシャリア・ブル以外も、多数のキャラクターがその認識を示している。絵柄の変更は、時間の変化を表現しているに過ぎない。絵柄で、意図的に錯覚させる演出ではあるのだろうという気はする。
マルチバース説は完全否定できない。しかし、世界の切れ目がどこかを見ればある程度特定ができそうである。
ちなみにシュウジの彩色された寝ぐらには、連邦軍のホワイトベースのランチが原作そのままのデザインで登場する。「それこそが彼が別の世界から来た存在であることを示唆している」という説があるが、(マルチバースか時間遡行かはさておき)その説は正しいだろう。そして恐らくその世界は、シャアがホワイトベースを確保した世界ではなく原作世界ないしはそれに近い世界ではないだろうか。この謎は、以後の作品展開で語られる謎解きの核心となるのだろう。
時間遡行説の根拠
次に、富野由悠季の描いた原作世界を見てみよう。ゼク・ノヴァに該当するような事象、あるいは時間を越えるような描写はあるだろうか? そこにヒントがあるのではないか。原作テキストこそ、原点としてこの展開を示唆する内容があるのではないか。
それがあるのだ!
原作におけるララァは、「刻(とき)が見える」と明確に述べている。基本的にゼクノヴァ時のシャアはこの流れを踏襲している。つまり原作でのララァの体験を、シャアが追体験するのが本作前半パートの骨子である。
一年戦争という枠の中だけで考えると、「それではソロモンで時間遡行した?」と考えがちになる。ララァはソロモン陥落後の偵察行動でアムロと交戦しているからだ。
だが話はそう単純ではない。誰もが知っているようにアムロとシャアの物語は映画「逆襲のシャア」まで続いている。ララァを巡る事に端を発した2人の争いは、その時点まで引きずられた。クリプス戦役における共闘はなんだったのかという話はあるが。
まず大前提として、庵野秀明はオタクでありその対象には当然ながらガンダムも含まれている。特に逆シャアに多大なる影響を受けていて、同人誌を発行しているのだ。かつ、ジークアクスの企画が現行の形で固まったであろう時期にその問題の逆シャア同人誌はわざわざご丁寧にスタジオカラーによって再販されている。(発売は2023年の1月。ジークアクスのbeginning劇場公開の2年前である)関係がないと考える方が無理があるだろう。これこそ堂々たる予告と見て間違いない。
さて逆襲のシャアの結末は難解というか言語化されていないような形だが、平たくいうとラストでシャアとアムロは共に消える。そして物語の最後にサイコフレームのみが飛翔し、それもまた消える。難解なラストに、EDテーマソングが再生されて観客は取り残される。以後の物語に2人は登場しない。
富野由悠季監督は説明を放棄したとも、煙に撒いたとも色々言われているが映像化されている内容な主に上記である。富野由悠季小説作品の「閃光のハサウェイ」とか富野由悠季の関わらない「ガンダムUC」のことは一旦無視して構わないだろう。さて、庵野秀明はここから何をどうしたのか。
私は庵野秀明の脚本は、「逆襲のシャアのラストシーンはサイコフレームが刻を超えた」と見做しているのだと考える。
ララァは刻が見えると語っていた。富野由悠季の語るガンダムのテーマは一貫して刻である。因みに逆襲のシャアのEDは「BEYONDA THE TIME」で時を超える。なのだ。
メビウスの宇宙を越えてもタイムループを示唆しているのではないか。この楽曲、Wikipediaに記載されているように富野由悠季とコンセプトを共有して作成されている。アニメ的にはサイコフレームが飛翔していたが、この曲によってその解釈が述べられていた。少なくとも庵野秀明がそう解釈したというのはそこまで無理のある推論ではないように思える。
以上のことから「庵野秀明が好き勝手した」というのとは少し違うと思う。やはり庵野秀明は、逆襲のシャアのラストシーンのその先の物語としてbeginning前半の脚本を執筆したのではないだろうか。そもそも庵野秀明はオタクであり、影響を受けた富野由悠季の作品を踏まえてその先に進んだと見るのが正しい受けとめだと思う。そういう意味で、逆襲のシャアで予告されていた「刻を超える」それを実現して見せたのが、本作ジークアクスなのだろうと考える。
次回、ジークアクス世界におけるサイコフレームと考えられるシャロンの薔薇について記載してみたい。