パリパラリンピックを終えて想う事
無事に帰国しました。
今回初めて、パラリンピックに参加して色々と感じる事がありました。
まずワールドカップやオリンピックを撮影して来て今回のパラを撮影して気付いた事は、日の丸を背負うのに健常者も障がい者も無いというところ。
幼少期からそのスポーツに全てを捧げて来て、代表になる事を夢見て戦って来た選手が目指し場所が、ワールドカップやオリンピックなどの世界大会。
その世界大会を撮影するカメラマンもまた同様でなければならない上に、選手の背負っているモノや想いを作品を通して表現しなければならない。
その想いや背景をいかに普段からコミュニケーションを取りながら、聞きだし蓄積できるかを今回最大のテーマに、僕はパラリンピックに挑んだ。
合宿も出来る限り、協会にお願いして参加をさせてもらった。そこで選手と色々と話もした。練習もたくさんみた。
だが結果、僕がコミュニケーションを取り続けた選手はメダルを取る事は出来なかった。
普段コミュニケーションを取れなかった知的障がいを持つ2人の選手がメダルを取ることに。
もちろん日本人として誇りに思うし、表彰台で流れた国歌「君が代」は一生忘れる事はないだろう。
けどその国歌が流れている時に思った事は、この表彰台に、僕がコミュニケーションを取り続けた選手がもし立っていた事を想像すると、今まで自分は嬉し泣きを45年間したことがないが、泣けてしまうかもって思った。
僕の中でそれぐらい大きな大会だったし、大きな想いで挑んた2週間だった。
代表カメラマンとして誇りと覚悟そしてないよりも世界中のカメラマン誰にも作品で負けたくないと思い続けているし、日本人カメラマンが世界で通用するという事を僕はこの数年間証明し続けていたつもりです。
馴れ合いや妥協、諦め、弱音など必要ないし結果でしか評価されないアスリートを撮影している限り、僕自身もアスリート同様の評価をされるべきだと思う。
僕自身の今回の評価も、各方面から出るとは思うが厳しい評価で仕方がないと思う。
出来る力は出し尽くしたが、チームが結果が出なかったのだから。
けど四年後のロスに向けてチーム編成が行われた時に僕がそこに入っているのであればまた代表カメラマンとして恥じぬ力を世界に見せつけたいです。
常に挑戦と工夫をし続けて自分を進化し続けたいと思います。
そして人生初めての嬉し泣きをさせてもらえる選手と出会い、嬉し泣きを経験したいと思います。
また最後に、短い間にも関わらず僕を全面的にサポートして頂いたスポンサー企業の皆様本当にありがとうございました。
one-with様
株式会社MiQ Co..Ltd様
Japan Create Group株式会社
Vivan
一般社団法人Advalife Science
株式会社あゆむ
株式会社SOL
税理士法人UNNAMED SERVICE
安曇野ミネラルウォーター株式会社
LAGUNA NIGUEL
WINNERS LAB.
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フォーナインズ 999.9
Re:A
シンクレア銀座クリニック
関野工業株式会社 関野智康
みはる矯正歯科医院
日笠工業株式会社
株式会社ミネルヴァ
株式会社アスラフィルム
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