練習台❌余命❌聞ける力
足、脚、手、腕...... もう、10箇所は刺しただろうか?
10年後もこれを繰り返さないために、スタッフが適切な練習を積み、患者も苦しまない方法がある。
ただ、無理だと思った時に、上手な人に代わるだけでいい。患者が交代を頼むこともまた、患者自身もスタッフも助ける行為なのだ。
そうすることで、失敗の感覚が真新しく、下手な手技が定着する前に、上手く修正することができる。
一回はチャレンジすることが推奨され、さらにはもう一回は修正してチャレンジするのが当たり前という施設も中には存在する。
そして、失敗して交代する時に、同期や一つ上の親しい先輩に頼む人は多い。たとえ、その誰かの実力が自分と大して変わらずとも。
文句を言わない患者には、止めてとお願いされるまで刺し続けるように指導する医師もいた。
もちろん、このようなことが暗黙のルールと化しているのは、日本に限った話だ。
欧米では、2回刺せなければ、その日は入らない、と。数多のスタッフに交代してもらうことがいかに重要かを初日に説かれる。
もちろん、一回刺して無理だと判断した場合も速やかに交代するように、患者のベストを追求するように指導が入った。
患者の本音としては、失敗する前にでも刺せないと判断した時点で交代して欲しい。
しかし、それが叶わないのであれば、せめて一回でこれは無理だと確信したのならば、上手い人に代わって欲しい。
無理だと確信し、入れる意欲すら消失した状態で、ただ「ノルマの最低二回」や「練習したい好奇心」のためだけに、患者を刺し続けるのは勘弁して欲しい。
若くて、血管が丈夫、病歴も短く、退院したら元の生活に戻って運動し、血管が復活しやすい人間ならば、それも妥協されるだろう。
医療は練習の上に成り立っている。大学病院に受診する以上、患者も練習台になることを承諾している。逆に、練習台になりたくなければ、大学病院への受診はすべきではない。
そして、私はボランティアも好きだし、善意で医療の発展にも貢献したいとも思っている。だから、検体を実験に使用することには毎回同意している。
昔から、新米看護師や新米研修医の練習台になることを拒んだことは殆どなかった。しかしそれは、自分の命を縮めない時に限る。
快く医療や科学の発展に貢献することに参加するが、自分の余命を明確に短縮すると分かりきっていることにも同意するかは、全く別の問題だろう。
鍛錬は必要だ。そして、それには数をこなし、都度ある程度改善点のフィードバックをもらうことによって、練習は上達のための修業になる。
逆に、間違った手技を反復し、失敗をすり込む先に上達はない。初心者が、病棟一上手な人でも苦戦する症例で練習することも、上達には繋がらない。
できなければ、適切なタイミングで質問し、正しい手技を見て、自分のそれを見てもらい、間違いを指摘してもらう。そうすることで、正しい練習を積まないことには、「患者で練習」これは患者をただ犠牲にし、新米スタッフの芽を摘む行為になってしまう場合がある。
患者の血管に70度程度の角度で針を刺して血管を貫通し、さらには連続7回失敗した一年目研修医の青年がいた。彼は、何度失敗しても、全く同じ手技で失敗を重ねた。
7年後、順当にエスカレーターを登っていった彼は、点滴のラインすら入れられないダメ指導医に成長した。
彼は7年越しに同じ患者に出会った時、汗を噴きこぼしながら、全く同じ失敗を続けた。
今度は、患者も危機感を覚えていた。そして、丁寧に彼に謝り、たまたま今日は刺さらなかった、との社交辞令で中断してもらった。
頃合いを見計らって入ってきた筋の良い一年目研修医に、患者はすかさず点滴のライン確保をお願いした。
7年後輩の新米くんは、素早く成功させた。
患者も、後輩達も皆が成長する中、失敗を正す手伝いをお願いできない彼だけが取り残された。
もう、7年目ともなると、自ら針を刺さなければいけないことも減っただろう。そのラインを入れられない彼は、自身がド下手であることも自覚していない。
これはこれで、本人は幸せなのだろう。認知症の高齢者が、記憶を無くし、本人だけはにこやかに過ごすのと同じように。苦労するのは周囲の人間だ。
この7年目医師の餌食になる患者は、痛い思いをするだろう。
しかし、今成長過程にある医師や看護師までもが、このダメ指導医のようになる必要はない。
今まさに手技を磨いている者は、訂正と成長のチャンスがある。
これから先に新米デビューをする者も皆、「聞けない」という呪縛から逃れるチャンスがある。
本来の才能を発揮するチャンスがある。
そして、自身の限界を理解し、成長し、役割分担する職場では、仕事の分配がより均等になるチャンスがある。
帰り際の忙しい時に、3時間失敗し続けた彼があなたの元に助けを求めて、やってくる苦痛。血管という血管を潰しきった状態でバトンタッチされたら、いくら上手でも大変だろう。つい3時間前に一声かけてくれれば、5分でサクッと終わったのに。
患者も、悪しき習慣に苦しまずに済む。
聞くは一時の恥、知らぬは一生の恥。
勇気を出して聞き、お願いしてみよう。新米スタッフも、患者も。
その先に待つ未来は、皆にとってより明るい未来だろう。
無駄に苦しむことは、美徳ではない。ただの無駄なのだ。将来、私のように単純で容易に防げることで苦しむ必要などない。
気軽に、「代わってください」その一言で、救われるのは患者だけではなく、スタッフも同じなのだ。
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