院内伝言ゲーム❗❓、医師🆚患者【誤解はこうして生まれる】
皆が各々の精一杯をやっており、最善を尽くそうとしていることでしょう。誰にも否はなくとも、8割はコミュニケーションが円滑にいっていても、会話中に「??」という時はありませんか?
病院内は、医師と患者とで見ている世界も聞いている情報もかなり違うように感じます。
おそらく、お互いに相手の見ている(聞いている)世界の差を知ると、寛容が高まるのではないでしょうか。
そして、別の誰かから聞いていると言われ時には、相手は予備知識がない(またはそれが網羅的ではない)と思って、最初から話した方がいい場合もあるようです。
院内では、多くの職員がおり、情報が伝達される際には、皆がかなり注意してきちんと伝えようとしていることでしょう。しかし、最初に発した言葉と何人も経た先に伝わる情報は全く同一ではないと覚えておいた方が、皆の満足度が上るように感じます。
子供の遊びでやる伝言ゲームの際に、最後が最初と全く同一ということはないですよね。ゲームはその違いこそが楽しいのではないでしょうか。しかし、現実世界で起こる伝言ゲームは、その差異が何か問題を生むこともあります。
医師は、疲れてるのに「マタカヨ」とか「何度も言ってんじゃん」とイラっとしやすいかもしれません。逆に、「初耳」ということもあるかもしれません。
患者としても、体調が悪い中で複数名に同じ内容を伝えていることが多々あります。なので、だんだんと発言内容の詳細がハショラれてきてしまうこともありませんか? そして、目の前の医師が実は患者の要件をほぼ知らない(誤解している)可能性を知らないと、「??」となることもあるのではないでしょうか。
お互いが気がついている以上に、互いのことを知らなず、病院のシステムや背景も知らない可能性もあるかもしれません。(逆に、想像以上に知っていることもあるかもしれません。)
お互い、相手の世界を垣間見たら、色々と感じ方が変わることを願って、以下にいくつか「こんなにも違うのか」と感じた例を紹介します。
以下の例は、個人の同定がしづらいように若干加工しています。また、他者に伝わった内容は聞いていないので、伝言後に本人から直接聞いた内容が記載されてます。
医師が聞く内容の一例A
スタッフAさん「〇〇さんが処方に関して予約外で受診したいそうですが、大丈夫ですか?」
患者が話した内容の一例A
「何度も嘔吐してしまい、処方薬を飲んだ際も薬を嘔吐してしまいました。抗ウィルス薬で、あんまり抜けると耐性菌になってしまうから、きちんと飲むように何度も先生に念を押されました。なので、症状が落ち着いている際に、嘔吐した分を飲み直しました。何日間もこのような状態が続いたため、薬が1週間分足りなくなりました。次の受診日まで薬剤がないので、この分の処方をいただけますか?」
医者が聞く内容の一例B
スタッフB「先生の担当の〇〇さん、Aの検査が今日あるって言ってるんですが、説明よろしくお願いします。」
患者の会話内容の一例B
「さっきの人にも言ったんだけど。先生が尿検査で血が混じっているから、膀胱鏡で診る検査が必要だとおっしゃいました。その後、先生に事情を話して地元のクリニックではどうしても検査を受けたくないと伝えました。ここの病院を信頼しており、祖父母の代から皆がここの病院で治療して救われてきたので、他の病院では治療を受けないと伝えました。そうしたら、担当の先生と相談して、今度外来でここの病院での検査を予約してくれるとおっしゃいました。なので、今日もらった退院時の予約表に、泌尿器での検査の予定が入ってるはずなのですが、今もらった予約表には記載されていません。この検査の予約がどうなっているかご存知ですか?」
医師が聞く内容事例C
スタッフC「〇〇さんが明日の転院のことで不安です。」
患者が話した内容事例C
「ここの病院に入院中、私は持病が悪化して回復の見込みが乏しい場合には、挿管(人工呼吸器装着)や心肺蘇生(CPR)をしないでくださいとお願いしました。明日転院の際に、救急車で移動します。この際、一過性の可逆的悪化により、短期間だけ挿管(人工呼吸器装着)が必要になる可能性があります。これは、長期間ではなく、短期間のことが予想されます。なので、救急車の中や転院先で移動に付随して急変した場合には、救命措置や延命措置を望みます。DNARを条件付きで撤回させてください。このような限定的な条件の元で必要な場合には、挿管(人工呼吸器装着)してください。」
場面Xでの医師の意図
「処方は今日でも受診日でも同じです。」
意図:治療としては、今日でも受診日でも医学的には同じなので、今日対応はしたくない。
場面Xでの患者の誤解
元々頼んでいない処方の話が上がり、「同じ」と言ってくれた。ということは、この先生にとっては、処方の手間が同じだから、「受診日じゃないけどやってあげるよ」と忙しい中わざわざ買って出てくれたのか。凄く優しい人だなぁ。じゃぁ、お言葉に甘えて。
(患者は体調不良に加えて、疲労も重なって、思考力が低下していることも多々あることでしょう。医学的に同じという周知の事実が話題の主軸だとは考えもしない人もいるかもしれません。(逆に、医学的に当り前のことでも、9割の患者さんは知らないかもしれません。)相手の意図をきちんと確認するのは、誰であっても重要なこと。患者も同じ……ですね。健康な人でも、発熱や頭痛、嘔気時に気の利いた思考ができるものでしょうか? ひょっとすると、患者は医師と会ったその瞬間、平時よりも思考力が低下しているかもしれません。実は、医師の疲労や体調不良もあるので、お互い様ということもありますよね。)
曖昧な表現の改善方法の一案
このように、「同じ」という際、「医学的に同じ」と一言あれば、患者に意図が分かりやすいことでしょう。患者も「先生のお手間が同じなんですか」とか「お言葉に甘えて」という意図を明らかにした表現をしていれば、医師が患者が明らかになにかを誤解していると気付くきっかけになっただろう。
特に、昨今は国際社会です。背景や考え方、受け取り方が違う人が想像以上に多いかもしれません。一言添えるだけで、医師も患者もコミュニケーションがより円滑にいくかもしれません。
その他よくあること医者編
同じような症状での様々な患者さんからの似た問い合わせ
可能性が低い重病の心配
定期受診で言えば良いのに、救急外来や予約外に来る患者さん
かかりつけ医に相談して欲しい内容だが、大学病院に訪れる患者さん
タクシーで来ればいいのに、救急車を呼ぶ患者さん
疲労困憊で休みたい
お腹すいた(食事食べる時間がなかった、食事中に呼び出されて食べそこねた等)
その他よくあること患者編
患者の受診時の流れの一例です。
受付で受診理由を伝えた
看護師に受診理由を伝えた
当番医(医師一人目)に受診理由を伝えた
別の科の受付に再度受診理由を伝えた
当番医の指導者(医師二人目)が登場し、受診理由を別の科の医師に伝えたと教えてくれる
別の科の医師(三人目の医師)が登場した際に、挨拶や受診理由を確認せずに、要件だけ話し始めた。(が元の受診理由と違う内容)
患者は元々の受診理由と多少のズレはあるものの、1から6で複数名に伝えた内容が3人目の医師にイマイチ伝わっていないとは気が付かず、3人目の質問に回答する。
3人目の医師が受診理由(受診理由とは別の何か)をしてくれようとする。(あるいは、そう言っているように聞こえる。)
ありがたく、オファー(お言葉)に甘える
3人目の医師が怒り出す
患者は不可思議に感じる
元々の受診理由の内容をお願いする
医師は対応をするが、友人にボロくそに愚痴る
お互いにアンハッピーunhappy(不満や土産話が生まれる)
では、どうする?
解決策は、各々が直接初めて会った時は初対面なのを忘れないことは役に立つメンタリティーに感じます。
医師も患者も他者から聞いた内容は、最初に発言した人の言ったこととは違う可能性があるという認識を持っておくのはどうでしょう。(一番は自分に言いたいことです。)
皆が精一杯をやっており、別に誰にも否はないです。とはいえ、住んでる世界は全く違うのです。見えている世界も、聞こえてくる情報も、元々の知識も違います。
せめて、その世界の違いを知っているだけでも、気分やコミュニケーションの円滑さは違うのではないでしょうか。
医師としての対策
先ずは挨拶(相手がそれをすっ飛ばして、要件を話し出しても、自分の発する第一声は挨拶にしよう!)
要件を尋ねる
こちらの要件を言う
患者としての対策
挨拶(相手がそれをすっ飛ばして、要件を話し出しても、自分の発する第一声は挨拶にしよう!)
以前お世話になった時のお礼
(相手が誰から何を聞いているかを尋ねる)
自分の要件を的確に伝える
お礼を言う
まぁ、社会人として当たり前のことしかないでしょう。
ついつい、なにかと「できている」、「知っている」、「自分のことも知っている」と考えてしまいやすいなんてことはないですか?(私は相手が私のことを全ては知らないと気が付かず、過去の病歴治療歴、同じ病院の他のスタッフに伝えたことが全て伝わっていると思ってしまうことがあります。)
しかし、皆さんは同じ職場や学校の中でも、知り合いは限られていませんか? 同じ建物に勤務しているからとか、同じ都道府県出身だからといって、全員のことなど知らないのが普通です。たとえクライアントでも、常に細部まで記憶しているわけではないでしょう。(必要な時に、クライアントの情報や過去の取り引き内容を確認し、必要に応じて情報収集や記憶の確認をしませんか?)
知り合いではない限りは、初対面でお互いに素性を知らず、予備知識も無いものとして接するのが無難に感じます。まぁ、仮に以前一度会っていても、「はじめまして」から会話が始まって、誰も悪い気はしないのではないでしょうか。
人はそれぞれが別人だし、相手のことは互いに思っているよりも知らないものだ。そして、私達が思っている以上に、おそらくは他人は私達に興味を持っておらず、記憶にもそこまでとどめておかないだろう。
相手には相手の世界がある。
それを忘れず、接しよう!
今を大切に生きよう!