親の記憶〜クロアゲハ〜
元気な時、母と私は双子かつ親友のように仲が良くって、電車で喋ってると、私達のボケツッコミの押収のような会話に周囲から笑いが自然と湧いた。(今でも、タッグを組む時が最強🤣)
だから、元気な時の親との楽しい記憶は、お母さんとの記憶の方が多い。
入院中は特殊で、父が多いんだけどね……
レストランに入るのに並んでいた幼稚園生くらいの私と両親と祖父(祖母も?5歳の時に亡くなっており、家族でよく行っていたレストランに両親と祖父で行った記憶は多いが、祖母も外食したエピソードはあんまり覚えていない。でも、行ってるんだよ! 断片的には写真のような記憶で祖母が満面の笑みを浮かべて座っている場面もあって💦)。
とにかく、レストランに入るために、私達家族は皆外の植物らへんに並んでいた。そこで、そのbush木の枝にトンボが止まった。
母は、そーっとトンボの背後から忍び寄り、手の高さを合わせ、カマキリのように両手のチョキのような手をパッと刺すように飛び出させて、虫食い植物のように瞬時に指をピタッと閉じる。
すると、手にはトンボが捕まっている。
右手には右2枚の羽が、左手には、左手2枚の羽が人差し指と中指の間にそっと挟まれている。
私の幼稚園児(年少時)の夢兼目標は、お母さんみたいに上手くトンボを捕まえることだった。
小学校に上がる前までには、お母さんみたいに停まっているトンボを捕まえるようになって、凄く誇りに思っていた。
しかし、このレストラン待ちの際、母はさらなる高等技を繰り出した。
飛んでいるトンボを捕まえたんじゃなかったかな? 記憶違い?(飛んではなかったか?)
いずれにせよ、私が幼稚園年少時に地道に練習して会得したトンボ捕獲技の更に上の華麗な捕獲技を披露した。
片手で、上に閉じられた4枚の羽をサクっと人差し指と中指の間に挟んでトンボを傷つけずに、華麗に捉えたのだ(たしか)
けど、捕まえたトンボを毎回連れ帰るわけでもなくて、当然生きたまま私に見せてくれる。
そして、トンボに害を与えないように優しく、そっと扱って、その後逃がすんだよね。
公園でも、母の虫取り網の扱いは華麗だった。
幼稚園児の私では、到底届かない母の身長でもはるか頭上の木と木の間の位置をクロアゲハがスーッ一瞬高度を下げて舞って行った瞬間、母はその一瞬の隙を捉えて、クロアゲハを白い虫取り網で確保した。
やっと、低空飛行の普通の蝶々を上手く確保できる時が出てきた私には、超レアで逃げ足も速くて巧みなクロアゲハを、母が瞬発力を生かした滑らかで繊細にワンモーションで確保する演舞のような虫取り網技は理想だった。
こうして、私は着々と一つひとつ目標を達成しては、新たな目標が生まれ、一歩一歩楽しく修業していった。
今考えてみると、母が子供の頃に私のように試行錯誤して、色々練習して技術を磨きながら習得していったことだろう。当然、幼児の私よりもずっと長く生きており、その分経験を積んで向上時間は圧倒的に私よりも沢山あったことになる。すると、母が私の遙か先の技術を会得しているのは当然だ。
ただ、子供の私は負けず嫌いな上、そこまで考えていなかった。相手が誰であっても、私が勝つまで勝負し続ける性格だった。(本当に、それがなんであっても、勝負は私が勝つまで延々と続けた。日が暮れたり、その日時間がなくなったら、後日勝負の約束をした。手加減は絶対にしない両親やその兄弟だったので、最初はボロクソに負けて、でも相手の技を盗んで追い上げた。だから、そのへんの大人が手加減して負けることは、屈辱的であり、つまらなかった。目的は勝ち星ではなく、相手の本気に勝ることだった。)
母との虫取りは、私の目標と飽くなき向上心を刺激し、競うライバルと目標を与え、しかし母親という愛する人物の憧れなども植え付けた。
母は、母親なのだが、憧れるだけの存在ではない。どうしても、そこには母のようにできるようになり、母よりも上手くなるという、秘めた闘志があるのよ🤣(昔から負けず嫌い🤣)
アハハ、普通の家庭だと、きっと私達の虫取りが、料理やお化粧などなのだろうな。
子供は想像以上に親に近づこうとするものなのかもしれない。
入院中の思い出は、父も多いので、母との大切な良い思い出も書き留めている。
今を大切に生きよう!
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