『ザ・スクエア 思いやりの聖域』を追いかけて「モンキーマン」を痛感した【編集後記】
今年の4月に公開されたリューベン・オストルンド監督の『ザ・スクエア 思いやりの聖域』。さすがは第70回カンヌ国際映画祭のパルムドール作品という内容で、人間の内面をエグいほどに見せつけられました。特に「傍観者効果」というものを考えるきっかけになりましたね。
そんな作品を作り上げた監督も一筋縄ではいかないなという印象を、ティーチインの取材をして感じました。こちらのSWAMP(スワンプ)の記事は編集・撮影を担当。執筆は渡邊玲子さんです。これ以外にもけっこう記事を作りましたね。
そして、この取材のあと、とある実体験をすることに。近所の大きな本屋で不良とおぼしき若者が暴れるとまではいかないまでも、大声を出して店員さんにからんでいたんです。僕はそれが起こっているレジ付近からかなり離れた棚の影にたまたまいて、聞こえてくる大声で気づいた次第。どうしたものかなと思っていたところ、仲裁に入ったのは初老と思しき男性でした(こちらも声だけしか聞こえない)。思いっきり出遅れた感もあるし、ヘタに刺激しても……ということで、棚の影から警察へ電話をすることはしたのですが、それ以上はできずに静観というか、ぶっちゃけビビってたんですね。警察がやってくるものの穏便に解決したのでよかったですが、自分の無力さを感じました。
『ザ・スクエア 思いやりの聖域』をご覧になった方ならば、それが「モンキーマン」のシーンと同じようなシチュエーションであると察しがつくと思います。別にめずらしいことでもなく、規模の違いこそあれ、日常に多く潜んでいる「モンキーマン」。飛び出して止めることはできなかったけれど、『ザ・スクエア 思いやりの聖域』を観ていたので何とかできることはしたいと思って電話をかけたのかもしれません。
同時に映画での人生体験と実際の人生体験というものはシンクロするのだなと感じました。ネット上で後出しで正論を振りかざして正義の味方になった気になるのは簡単ですが、リアルタイムで進行する現場ではそう簡単にいかない。下手したら殺されるかもしれないので。
というところで、監督の「モンキーマン」シーンの制作秘話を記事から引用。
監督:カンヌのコンペティション部門の上映会場には、観客もタキシードで正装してくるわけなんです。なので、映画のなかにもタキシードを着た招待客を登場させ、その前に「モンキーマン」が出てきたら面白いんじゃないかと思ったんです。会場でタキシードを着て観ている観客が、「自分だったらどうするだろう?」と考えながら観てくれたら……と思って、そのシーンを作りました。
いやぁ、とんでもないわぁ……。
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