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【5回目の「1日1食断食」@龍雲寺】       ~身体と心を調えるルーティーン~ (法話編)

これまで5回・合計25泊しています。つまりご住職の法話を25回お聞きしているわけです。この蓄積だけでも相当な意味と価値があると実感する
今日この頃です。

ご住職は「さすがにもうネタがつきましたから、同じ話になってしまうかもしれませんよ」と冗談めかして仰るのですが、今のところ同じ話はありません。それに仮に同じ話があったとしても、2度・3度お聞きすることは決して無駄ではないとも思っています。

1日1食断食による「食」が身体に入れるものの調整だとすれば、毎日の法話は「心」入れる栄養分に他なりません。身体と心を調えるために必須な2つの栄養素だと言っていいでしょう。

ここで、ご住職の法話を私なりの解釈も少し加えていくつかご紹介させていただきます。

(素敵な法話・その1)
「見返りを求めない施し~気持ちよく生きるために」

毎日を気持ちよく過ごすためにどんなことをしていますか?
たとえば、元気よく挨拶する。笑顔で過ごす。「ありがとう」を口にする。
日常生活で簡単にできることがたくさんあります。

返事を返してくれないとか、むすっとした顔で応対されたとか、
そんなことを気にするのはやめましょう。
相手の反応・見返りを求めずにいると、不思議と自分の心が調ってくるのです。

人間は人に対して善行を行うとつい、その見返りを求めてしまいます。「これだけしてあげているのに、こんなに大切に思っているのに・・・」見返りや、期待する反応がないことがイライラや不満の原因となり、善行自体が台無しになります。見返りを求める善行は、ある意味で自己満足なのです。

見返りを求めない施しを、小さなことでいいからコツコツ続ける。
それがより良き生きる一つのコツなのです。
「無功徳」な生き方をしたいと思っています。

この円を見ると落ち着きます

(素敵な法話・その2)
「いい加減に生きよう」

ここでいう「いい加減」は中途半端・おざなり・投げやりといった意味での「いい加減」ではありません。
お風呂に喩えれば、熱過ぎず、ぬる過ぎない、ちょうどいい温度のこと、「いい加減=良い加減」の温度です。

自分にとっての「ちょうどいい加減」が見つかったら、
今度はそれに固執・偏るのをやめまてみましょう。
みんなそれぞれにとっての「ちょうどいい加減」は違うのですから。
みんなが自分の「いい加減」に固執したら、すべてがバラバラの社会になってしまいます。孤立・唯我独尊・利己主義・・・・・そんな社会です。
誰もそれを望んではいないでしょう。

だとすれば、他人や社会の「ちょうどいい加減」と自分の調和点を見つけてみましょう。
あたかも、多く人と一緒に気持ちよく浸かる温泉のように。

(素敵な法話・その3)
「一人でも生きていける でも、素晴らしくは生きられないのではないか」

「三宝を敬え」という言葉があります。
三宝とは仏・法・僧のことです。
仏とは崇高なビジョンや理想、法はそれに到達するための教え・方法、そして最も大事なのがそれを導く僧です。
僧は理想に到達するために共に歩む仲間のことを意味すると、ご住職は仰います。
一人では超えられない壁や苦しみも、仲間がいれば乗り越えられます。
一人では作れない素晴らしい世界も、仲間がいれば作ることができます。
一人でも生きていける時代だからこそ、仲間を大切にした生き方をしたいものです。

佐鳴湖に薄っすらと氷が張っていました

(素敵な法話・その4)
人のつながり・絆について考えてみましょう

今の時代、スマホとコンビニがあれば一人でも生きていけるでしょう。
コンビニでは、ほとんど会話することもなく用事を済ますことができます。
スマホがあれば、都合のいい時に・都合のいい人・好きな人とだけつながることもできます。

東日本大震災の時に全ての日本人が「人との繋がり・絆」の大切さを訴え・実感しました。
一方で、ご住職は「この10年でお葬式の規模は極端に縮小し、ほとんど人を呼ばない、親戚すら呼ばないことも目立つようになってきました。」と仰いました。毎日のように地域の葬儀を目にし、そこに立ち会いながら「本当の人のつながりとは何だろう」を考え続けておられるようでした。

私も全然答えが見つかりません。表面的なことしかわかりません。
みなさんは、本当の人のつながり・絆についてどう考えますか?
改めて考える時間を持ってみるのもいいのではないでしょうか。

(素敵な法話・その5)
苦しい時だけ苦しめばいい  
~苦しみをそのまま認める・受け入れる生き方~

(ご住職の言葉をそのまま使わせてもらいました)
仏教では人生は苦しいものだと位置づけています。
「生・老・病・死」という根本的な四苦に、
「愛別離苦」「怨憎会苦」「求不得苦」「五蘊取苦」を加えて、四苦八苦と言います。
ですから、人間世界(娑婆)のことを「忍土」と呼ぶのです。

その苦しみから逃れる唯一の方法は、苦しみを丸ごと受け入れることです。
ごんべん【言】に【忍】と書いて【認める】と読みます。
「苦しい」と言って、今の苦しみを認めてしまえばいいのです。

そして大事なことは、その苦しい時だけ苦しむことです。
過去の苦しみを後悔したり悲しんだり、あるいはまだ起きてもいない未来の苦しみを恐れたり、不安に思うことは、苦しみを増幅させているにほかなりません。

苦しみからは逃れられないのが人間です。
ですから苦しい時だけ、その苦しみを認め受け入れ、その時を一生懸命生きればよいのです。

「天を蓋(おお)い、地を蓋う」壮大な意味と、迫力ある書に圧倒されます

ご住職がいつも仰る言葉があります。
一日5分でいいから坐ってみてください。
どんなに忙しい人でも、24時間のうちたった5分くらいは、静かに座ることができるでしょう。
もし、それができないほど忙しいのだとしたら、それはそのこと自体に問題があるのではないでしょうか。

こういったほんのちょっとした言葉、でもズバリ本質を突いた言葉を定期的に、できれば毎日少しずつでもお聞きして、自分の糧にしていくことができたら、今以上によりよく生きることができるだろうと思っています。

次回は桜の咲く前にお邪魔したいと思っています。

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