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その時、私はヘレン・ケラーになった(ネガティブ・ケイパビリティ)
こんにちは! コパイロツトのかめおかです。
コパイロツトのマガジン『プロジェクトマネージャーが綴るナレッジエッセイ』、今回は「ネガティブ・ケイパビリティ」についてです。
「わからない」ことは悪なのか?
私はこれまでの仕事人生の多くを広告業界の中で過ごしてきました。
広告業界はシンプルに言うと「認知させて行動させる」プロモーションの世界なので、ターゲットにいかに認知されるか、そして認知された暁には、しっかりと伝えたいメッセージが伝わるようにして行動につなげてもらうのがお仕事です。なので「認知させて行動させる」ことばかりを四六時中考えている人たちの集まり、と言っても過言ではないのではと思います。
ゆえに、「わかりにくい」は目的の大いなる阻害要因であり、根絶すべき要素であるという認識があたりまえだという人が、広告の世界には多いのではないでしょうか?(個人の見解です)
莫大な予算を預かって作り上げたものが、「わかりにくい」がゆえに行動に繋がらないだけでなく、認知すら取れなかった、なんてことになったら大事故なので、常に頭の中で「これはちゃんとターゲットに伝わるのか」を問い直すという行為が、息をするのと同じレベルで身についている人が多いイメージです。
「わかりにくい文章」「わかりにくい資料」「わかりにくい喋り方」に直面すると、わかりやすくせねばという思いに駆られ、わかりやすくするためにあれこれ苦心する。これは広告業界に身を置く人間の習性のようなものなのではないでしょうか。
※「わかりにくい」は主観なので、ここで共通認識のようにひとまとめに話すのは気持ちが悪い部分もあるのですが、ここを掘ると大いに道がそれてしまうので置いておきます。
そんな訳で、長らく広告という仕事をしてきた私も類に漏れず「わかりにくいことは悪である」が世界の唯一のテーゼであると思って生きてきたわけです。しかも、無自覚に。
それに起因する形で、私はたびたび、自分が理解・共感できないものに対してイライラする、というストレスを感じていました。(※ 広告業界の人がそうである、という訳ではなく、私がそうだったという話です。)
海外の翻訳本を「うーん、これ翻訳がわかりにくすぎない?もっと読む人のこと、日本人が読むことを考えてよ」とイライラする。
自分が共感できない論説のプレゼン資料に「いや、これもっと共感できるような書き方しないと伝わらなくない?」とイライラする。
今思うと、なんと傲慢だったのかと猛省する考え方です。「え?わかりやすくするでしょ?それが当たり前でしょ?」という押し付けですね。
もちろん、翻訳者が「もっと万人受けするような内容にしたい」のにできていない場合や、プレゼン資料がターゲットに理解されにくい状態になっている場合は、改良という意味で「わかりやすくする」必要はあるのですが、求められていないことに対してもぷりぷりしていた訳です。
「わかりやすい」ことが正であり、私は正しい側に立っていると思い込んでいた訳ですね。
まぁ、別にそう思った瞬間に、相手にそれをぶつけて回っていたわけではないのですが、時に表出してしまっていたこともあり、今思うと忸怩たる思いです。
人は「わからない」状態を嫌う生き物
この「わかりやすい」ことが正である、という考え、人間の脳が持つ「不確実性を嫌う」という特性ととても相性が良かったりします。進化の過程の中、原始的な生活をしていた人類にとって、不確実な状態は自身の生存を脅かすリスクであり、回避しないと自分だけでなく所属する集団ごと全滅する危険がありました。なので、シビアな進化の生存競争を生き残ってきた人類は「わからない状態だとストレスを感じる」特性がある訳です。
脳は不確実性を嫌うように進化してきたため、物事が予測・コントロールしにくくなると、私たちは強い脅威を感じる。
「自分の脳について無知なままでは、不確実性に対処することはできない」H・ゴールド、T・ゴールドハマー
だからこそ、脅威を回避するためには「わかりやすくすればいいよね、だって伝わらなかったら脅威じゃん!」と安易に考えていたんだな、と今ふりかえるとそう思います。
でも、それって本当に必要なことなのかな?
わかりやすくすると、何かが削ぎ落ちてしまう気がする。
薄っすら聞こえる自分の声に蓋をして、ひたすらに「わからないのは、わかりにくいから。わかりやすくするために努力すべきだよね!」というアプローチをし続けて、「わかりやすくするとこうだな!」という自己満の変換を何度か試してみたりしていたのがこの頃の私でした。
ダイアログという「わかりあう」ためのプロセス
このように「わかりやすくしたい魔人」として生きていた私でしたが、「わかりやすくすると、何かが削ぎ落ちてしまう気がする。」という思いは、「わかりやすくしようとする」アプローチを重ねていくたびに、モヤモヤと大きくなっていきました。
そして、ABD(アクティブ・ブック・ダイアローグ® )に参加する中で、違和感が徐々に顕在化していったのです。
まぁ、この辺りも今思うと、であって、「むむ?ABDをすると、わかりやすくしたい気持ちへの違和感が大きくなってくるぞ!」なんてことは考えていませんでした。
アクティブ・ブック・ダイアローグ®は、読書が苦手な人も、本が大好きな人も、短時間で読みたい本を読むことができる全く新しい読書手法です。
1冊の本を分担して読んでまとめる、発表・共有化する、気づきを深める対話をするというプロセスを通して、著者の伝えようとすることを深く理解でき、能動的な気づきや学びが得られます。
個人的に、ABDは割と認知負荷の高いフレームワークだと思っています。
導入障壁が高いわけではないのですが、はじめから「素晴らしい!このフレームワーク最高!!」となる人は少ないんじゃないかな?と考えています
私も最初は「んー?なんだこれー?」という思いが強く、でもどこかで自分のためになっている気がする、というぼんやりした感覚で、2回3回と参加してみたことを覚えています。
とまぁ、今回はABDについて話す回ではないので、ABDまわりの話はこのくらいにして、つまり「本のここがわからない」状態で、あーでもない、こーでもない、あれ?つまりこういうことじゃない!?というのを、対話を通して皆で分かち合う、ということをやり続けたのですね。
そうしていく中で、ずっと引っかかっていた「わかりやすくすることで削ぎ落とされてしまうもの」がなんなのかが、スッと染み入るように理解できるようになってきました。
一言ではもちろん説明できない。複雑で多面かつ多層的で、言葉や図形で捉えて2次元ではとても表せないものがある。そしてそれは無理にわかりやすくする必要はなくて、問い・問われながら自分の中に答えを見つけていくような類のもの。
これがなんなのか、うまく言葉にはできないのですが、つまり「わからない」を「わかる」ためのプロセスこそが大切な場合があるのだと理解した訳です。
これがネガティブ・ケイパビリティか!という気付き
「わからない」を「わかる」ためのプロセスって大事だな〜と思いながらも、それが何なのか、特に言葉にせずにふんわり心に抱きながら、ある種無自覚に過ごしていたある日、デザイン思考について考えている最中に、「デザイン思考ってネガティブ・ケイパビリティが試される思考法なんだよな〜」と考えた瞬間、私の脳内にヘレン・ケラーの姿が浮かびました。
井戸で組み上げた水を手に掛けられた瞬間に、「water」という指文字が「水」という意味だということに気づいた、あの有名な場面です。
※ 私は、知ったつもりになっていた言葉が、本当の意味で理解できた、腑に落ちた瞬間を、勝手にヘレン・ケラー現象と呼んでいます。要はアハ体験のことです。
ああ、「わからない」ことがを「わかる」ようになるためのプロセスが大事ってズバリ、「ネガティブ・ケイパビリティ」のことじゃん!私は「ネガティブ・ケイパビリティ」が足りないからこそ、わかりやすくしたい魔人になってしまっていたんだ!と、ここで言葉と自分の体験が完全に一致したのでした。
「わたし、こういうとこで自分がネガティブ・ケイパビリティが足りないなと思うんですよね〜」
って自分でも話していたし、
「おれ、ネガティブ・ケイパビリティはめちゃくちゃ鍛えられてるから!」
なんて人から聞くたびに「ナハハ」とスルーしていたこの言葉に、本当の意味で腹落ちした瞬間でした。
ネガティブ・ケイパビリティ(negative capability 負の能力もしくは陰性能力)とは、「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」をさします。 あるいは、「性急に証明や理由を求めずに、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいることができる能力」を意味します。
こうして、亀岡は自分の中の「わかりやすくしたい魔人」を退治することができたのですが、もちろん、「わかりやすくすべきタイミング」では、資料や読み物は「わかりやすくすべき」なので、そこは「よーし!わかりやすくするぞ!」という頭を働かせるようにしています。
何事も偏るのは良くない。
時に、「わかりにくいのは悪いこと」「わからない状態は良くない状態」と決めつけずに、「わからない」状態を受け入れて、わかりに行くための余白を創ることが大事なのだと思います。
個人的に、これを体感するにはABDがうってつけだと思っているので、少しでもABDに興味が湧いた方がいらっしゃったら、是非ABDのイベント等に参加してみることをオススメします!
もちろん、コパイロツトでもABDの実施支援、お受けしています!各種研修プログラムも取り揃えていますヨ👇️