子供の頃の経験の重要性
うちの子引っ込み思案で中々外に出たがらないのですが、、、
うちの子人とコミュニケートするのが苦手で、、、
うちの子やりたい事がなくて、、、
うちの子何事もやる気が見られなくて、、、
さてこれらは放っておいて良いものでしょうか?
勉強よりもっと大切なこと
28年間進路相談をしています。昔は進学に関することが90%でしたが、昨今は教育そのものの相談が増えています。
その中で多い悩みが①うちの子引っ込み思案で外に出たがらないんです②人と話をするのが苦手でちゃんと話せないんです③何事もやる気が見られないんです。ちょっと学年が上がってくると④将来やりたい事がないようなんです。
これらの相談を受けることが多くなりました。しかし、相談はするものの、保護者は余り重要と考えていない場合が多い様で、きちっとした対応はとらないようですが、本当にそれで良いのでしょうか?
上記相談事がいかに重要かはちょっと論理的に考えれば解るはず
昨今教育現場では論理的思考力をどう養うかということについて真剣に取り組んでいます。理由は、、、、今後の世界で絶対必須な能力だからです。と言う事で少し論理的に考えてみてください。そうしたら上記の相談事がいかに重要であるかお判り頂けるはずです。
私も含めて保護者の方はすでに社会経験があるのでそこがどんな世界かは解っているはずです。世界とは言わないまでも社会がどんな所かを考えてみれば相談事がどれだけ重要なことかお解り頂けますよね。
では質問です。
社会に出て引っ込み思案で済むでしょうか?
社会に出て人とCommunicationをとらずして仕事や生活が成り立つでしょうか?
やる気がないのは何が原因でしょうか?この先もずっとやる気がなくて良いでしょうか?
やりたい事が見つからずやりたくないことを一生やっていく人生ってどうなのでしょうか?
これらの能力は放っておいていつか自然と身につくものなのでしょうか?
こう考えるとおそらく勉強よりもこちらのことの方がはるかに重要に思えるのは私だけでしょうか?
社会で必要なこと
社会に出ると多かれ少なかれ働きますよね。働くということは誰かのために何かをすることです。誰かのために何かを成す行為は2種類あって、1つは誰かの困りごとを解決すること。もう1つはあったらいいな(便利なもの)を創造することです。つまりこれらの解決活動と創造活動の一環に関わっていかなければならないのが社会です。だから今しきりに課題解決能力が重要と言われる所以です。そうした時に上記相談事がどれほど重要なのかはすでに社会を知った保護者なら簡単に理解できるはずです。
受験でも就活でも大事なこと
また、これまで教育といえば勉強や受験でした。しかし上記の(社会で必要な)ことを考えてみると本当に教育はそれで良いのでしょうか?
就活の経験のある保護者ならいとも簡単にこの先お話しするであろう論理展開が想像つくと思います。
そうです、就活では何を質問されましたか?
志望動機と自己PRですよね!
これらの質問の意図は、この人は本気でやる気があるのか?この人は何かを実現する能力が備わっているのかということですよね。
入社したはいいがすぐ辞めちゃうんじゃないかとか、入社しても大して努力しないんじゃないかという本気度を問うのが志望動機。
そしてこの人は本当に何かを実現する能力があるのか、会社に何か有益なものをもたらしてくれる力があるのかを問うのが自己PRですよね。簡単に言えば、やる気と能力に対する質問ですが、これらは大人なら誰しも理解している事実ですよね。
総合型選抜や欧米の入試も同じことが問われます
最近日本の大学入試で増えているのが総合型選抜というスタイルの推薦入試。これは欧米の入試と同じスタイルで、志望動機と自己PRが合否の大きなウェートを占めます。それは全くもって就活と同じ理屈です。本当に本学で学ぶ意欲があるのか。本学に有益なものをもたらす能力を備えているのか、というものを問う入試スタイルです。
高校の推薦入試も国内大学の総合型選抜も、トビタテ留学ジャパンの選考も、海外の中学受験も大学受験もみんな意欲と能力が評価されるのです。ということは志望動機と自己PRはこの先一生ついて回るということです。転職するときはまさに能力評価ですよね。これらの質問に答えられなければ、推薦入試も就活もキャリアアップもうまく行かない。これが現代の評価です。
いつ見つけるの志望動機
これだけ大事な志望動機なのに、見つける訓練は今の所学校教育の中ではあまり行われていません。ということは自分でなんとかしないといけないということです。ではどこで身に付けますか?塾ですか?
どうやって身につけるの自己をPRする能力
これだけ重要な自己PRなのに、身につける訓練は今の所学校教育の中ではあまり行われていません。ということは自分でなんとかしないといけないということです。ではどこで身に付けますか?塾ですか?そんな塾ありますか?
意欲と能力の証明は活動によって
いくら口でやる気があるとかできる能力があるとか言っても人は信じてくれません。ではどうやって信じてもらったら良いのでしょうか?
その答えは一定程度の継続的な”活動”です。
本気でやりたいことが見つかるということは、何か実際に行動しなければ見つかるはずがありませんよね、ということです。これも当たり前と言えば当たり前の真実ですが、多くの学生は見つけるための行動を取りません。準びをしません。
同様に、いくら口先で私は〇〇ができますと言ったところで、初めてお会いするあなたのことをどうやって信じろというのですか、と言われればまさにその通り。能力も何か成し遂げたからこそ身についたことの証明となるわけで、行動なしには説得力はないのです。
だから重要活動履歴
例えば私はリーダーシップがありますと言いたい時、とあるスポーツチームをまとめたとか、ボランティア集団で活躍したというそれなりの実体験がなければ信用されません。さらに言えば、部活のキャプテンとしチームをまとめました、というだけでも説得力はなく、キャプテンとしてどうやったらメンバーをまとめてとある成果を出すまでに至ったのか、という探究の過程が重要になります。
なので志望動機も自己PRも活動の土台があって初めて信用されるに足るものになるのであり、これらの活動から得られたものこそが真の意欲であり能力になるのです。保護者の方なら数人がチームを組んでとある目標に向かって成果を出すことはそんなに簡単ではなく、学習、思考、実行、振り返りを繰り返して初めて成し得る事であることはご理解頂けると思います。
経験の重要性
さてここまでお話をして実際に行動することの重要性はご理解いただけたことと思います。
社会に出たら、いや出るには課題を解決したりより良いものを創造する能力が認められる必要があるのです。
解決したい創造したいという意欲が存分にあることを証明する必要があるのです。
これらの証明なしには自分のやりたいことに辿り着けないし、実現することができないのです。
ということは引っ込み思案で良いはずがなく、本当に引っ込み思案なら子供の頃から訓練して直しておく必要があるのです。
本当にCommnicationが苦手なら、対話ができるように、やりたい事がないなら見つける行動をとらなければならないのです。
やる気がないなどということは全くの論外であり、その現実と親御さんがどう向き合うかは、その子の将来を大きく左右することになるはずです。
自分が将来解決したり創造したりするものを見つけるため、引っ込み思案を無くしてどんどん外に出ていくマインドを身につけるため、誰かと堂々と対話をするため、小さい頃から訓練を続ける以外にそうした能力を身につけることは出来ません。漠然と、朝起きたら身についていることはありません。社会に出てものすごく大事なこれらの能力をどうして小さい頃から訓練しないのか、私は不思議でなりません。物事にやる気がないのに放っておいてやる気が今れるはずがないのに、どうして対処してあげないのか不思議でなりません。
というより全く訓練ぜずに社会へ送り出すことが理解出来ません
大人になって訓練しても遅いことも誰もが知っています。
私の父はお刺身はマグロしか食べません。しかもお醤油にどっぷり浸して食べます。なぜなら小さい頃からマグロしか食べなかったからです。食べる時にお醤油をどっぷりつけて食べていたからです。だから私もマグロをお醤油にどっぷりつけて食べます。それ以外のお刺身はあまり食べませんし調味料もお醤油がほとんどです。なぜか?人は経験していないものは極度に恐れるからです。逆に経験したものをずっと続けるからです。経験は人のマインドを柔軟にします。当たり前と言えば当たり前ですが、一度も経験した事がないことと何度も経験したこと、どちらが躊躇なく取り掛かれるかといえば、確実に後者ですよね。
だから引っ込み思案にならない経験も、誰かとComを取る経験も小さな頃からさせておくべきなのです。やりたい事が見つけられるようにしてあげるべきなのです。親の役割はそういうことだと思います。そう思いませんか?でないと一生懸命勉強を続けて良い大学に入学出来たとしても、就活の時に自分探しに翻弄されることになるのです。自己分析をしないと自分のことが解らない大人になってしまうのです。私は自分探しこと小さい頃方継続してやり続けるべきだと思いますが、皆さんはどうお考えてでしょうか?
どうしてこんなに重要なことを訓練しないのか?
よく言われる事ですが、日本の教育システムと社会のシステムはマッチしていません。
将来野球の選手になることが判っているのに、サッカーの練習をひたすらやらされ、いざ野球選手になる時にあなたはどれくらい野球選手になりたいか、どんなプレーが得意か聞かれるようなものです。ずっとサッカーをやっていたのだから野球がやりたい気持ちがわからないし、野球で得意なプレーなどあるはずがありません。それくらい矛盾したことを子供にしいていることを早く判ったほうが良いと思うのは私だけでしょうか?
いかがでしょうか?このことを今の教育と推薦入試や就活に当てはめてみると、その滑稽さがご理解頂けると思います。
現代の社会システムに出ていって、それなりの満足した人生を送るためには、やりたいことの追求と実現できる能力が必要だと言うことです。これは経済的に豊かになるならないはおいておいて、例え報酬が高くない仕事につくとしても、それがやりたいことでなければそもそも不幸ですし、やりたい事が見つかったとしても実現する力がなかったら思いを叶えることは出来ないのです。
経験するとできることや実際に知ることが増えます。
お話してきた通り、社会に出ると”できる”事が求められます。逆に出来ない人は求めてくれません。
チャレンジを求められた時に出ていけない人よりどんどん外に出る人がいいに決まっています。人とうまく対話できない人より積極的にうまく議論できる人がいいに決まっています。なのにどうしてそのような能力の訓練を怠るのでしょうか?
外に出て活動すると、やりたいことを見つけるチャンスは高まります。家と学校と塾のトライアングルゾーンでしか生活していなければ、やりたいことなど見つかるはずがありません。
どうして日本の教育は当然のことをやらず、当然でないことをやり続けるのでしょうか?
それはそれがづっと続いてきたからです。お醤油付けのマグロです。経験してないことを新たに始めるには相当の勇気が必要で、人はどちらかというとコンフォートゾーンにい続けたいものです。自分がやってきたことがバイブルになっているからです。
だからGLIは英語を使いに外に出る
こうした理由でGLIは経験を重視します。
今年も春はオアフ、夏の前半はダバオ、8月に入ってイギリスのサマースクールを開催しています。
最初は家が恋しくなります。なぜなら今まで経験したことのないことの連続で、いろいろなことがうまくいかないからです。
でも子供は適応能力も高いので2〜3日すると色々と慣れてきます。間違っても失敗しても良いことを学びます。そして徐々に徐々にいろんな事ができるようになり、その経験が当たり前のレベルを押し上げてくれます。
そうやって知らない誰かと生活することが当たり前になり、知らない世界に飛び出すことに抵抗がなくなり、それこそがいろんな事が出来るようなうるという意味です。これこそが経験の魔法です。こうやってどんどん日本以外の世界が広がっていき、世界がどんな風に構成されているのかを肌で理解し、世界で何が起こっているのかを知ることで、新しいチャレンジに対して躊躇がなくなるのです。
こうすれば、引っ込み思案も、Comの苦手も克服され、やりたいことも見つかって行きますよね。
いかがでしょうか?
経験の重要性はご理解頂けましたでしょうk?
しかし極端に経験の場が少ない日本の住環境下にあってどう経験させてあげたら良いかはとても悩ましいことです。また、どんな経験でもさせれば良い訳ではありません。させたが故にトラウマになってしまう経験もありますし、高いだけで良質ではない体験イベントもあります。やはり大事なのはタイミングと質だと思います。その見極めを親御さんがぜひしてあげて欲しいと思います。
夏休みも残り少なくなってきましたが、思い出に残り一周りも二周りも成長できる経験をして欲しいと願っています。