
左脳のおしゃべりは止めるんじゃなく、消える
「最近、左脳のおしゃべりが止まってきましたー」
と嬉しそうに、知り合いが言ってた。
右脳をよみがえらせて、直感を働かせたいらしい。
左脳のおしゃべりが止まった、って、本当?
そもそも、右脳って感じる脳だから、目的を作ると働かない。
それは、思考を止めて、頭からの声を聞かないようにしているだけじゃない?
左脳は、頭の声。
何を選択するのが、生き延びるのに最適なのかを教えてくれる。
自分が他より少しでも優位であるように。
人よりも自分優先。
右脳は、ハラの声。たましいの声。
何を選択すれば、この世に生み出された命として喜びを感じるのか、を教えてくれる。
何をすれば楽しいのか、心地いいのか、を人生をかけて体験していく。
そこに人は関係ない。
仕事も、『自分が好きなことで、人も喜んでくれること』から選ぼう。
みたいなこという人がいるけど、それは結果、そうなるかもしれない、そうなるといいね、みたいなことで。
そこから考えると、おかしなことになりそう。
実際、私は続けている内に苦しくなった。
だいたい人が本当に喜んでいるかどうかなんて、わからない。
喜んでいる風に演技したこと、誰でもあると思う。
そんなの真に受けてると、人生の残り時間で、自分がやりたいことやる時間がなくなっちゃう。
だから、自分が喜びを感じることをする。
心地いい場所で、楽しいを味わう。
そんな時、左脳のおしゃべりは止まってるはず。
左脳のおしゃべりは止めるんじゃなくて、結果として止まる。
じゃないと止まったって言えない。
そして、そんなこと繰り返してると、右脳が充電されて、生きてることが嬉しくて、もっといろんな体験したくて、仕事でも遊びでも、次のやりたいことがふいに降りてくる。
右脳が充電されてたら、左脳は右脳の喜びを体験するために動き出す。
左脳が、本当にしたかったのは、おしゃべりじゃなくて、生きる喜びを感じるサポート。
左脳は感じることが苦手だから、花が咲いても、美味しいものを食べても、心地よくても、五感の喜びは感じられない。
だからこそ、右脳を通して、少しでもその喜びを味わいたいと思ってる。
つながっている右脳が喜びを感じることが、左脳の生きる喜び。
右脳と左脳はパートナーシップによく例えられるけど、左脳が男性性だとしたら、やっぱり女性性の喜びの方が先。
もちろん、男性の中にも男性性も女性性もあるけど、でも、基本の流れはは、女性から始まって、女性が喜びを感じるように生きことで、男性も幸せを感じる、と思ってる。
だから、女性である私は、ほんと我慢してる場合じゃない。
そこまで知っていながら、ありのままの自分に憧れながら、良い人の仮面かぶって自己犠牲で生きるるなんて、もはや人類にとっての損失。
私の生きる意味は、私が生きること。
唱えると、いつでもたましいの自分に戻ってこれる。気がする。
今日は、いつも以上に、日常にある喜びや心地よさを感じてみたい。
※脳についての記述はすべて主観で、エビデンスは一切ないです。