コロナとの高校生活
中学校の卒業式の3日ほど前だったように思う。学年主任の先生が「次に会うのは卒業式です」と言って、学年中がざわついたのは。
高校受験を控えた1月くらいに、中国で「コロナウイルス」が出たというニュースがあった。SARSの経験はなく、新型ウイルスの騒ぎも知らない。デング熱など、海外で流行る、そういうやつだと思った。
でも事態はどんどん変わった。マスクをつけて中学に行っていたら、その中学すらも閉じた。でも、まだ、普通だった。
受験も終わって、中学校のクラスメイトで集まって鍋をつつくことになった時、父親が「え、行くの?」と言ったのだ。父親は医療関係者で、でもコロナの話を家庭ですることもそんなになかった。何がダメなのか分からず、「うん、行くけど」と答えたら、「今回はいいけど次からは考えてね」と言われて、その時に気がついたのだ。医療関係者の中では、コロナウイルスに警戒するようになっていて、のほほんとしているのはそれを知らないような、私たちみたいな人なのだと。
高校に入学したのに、高校がなかった。最初の1ヶ月はオンラインで、それから登校してもクラスがさらに2つに分けられた。マスクは絶対、換気も必ず、黙食をする。行事も軒並み無くなった。強いてあったのは勉強合宿のみで、それも例年とは違かったらしい。
思い描いていた高校生活とはかけ離れていた。
走って電車に乗り込んでも、マスクを外せなくて息苦しい。痰が絡まって咳をしたいけど、必死に耐える。クラスメイトの顔を知らない。学園祭はない。球技大会もない。音楽では歌えないから鑑賞するだけ。ちょっと感染者が増えるとオンライン。
放課後にカラオケに行けると思っていた。マックによってくだらない話をしたかった。修学旅行にだって行けるはずだった。友達と机をくっつけてお弁当を食べたかった。
なのに、なのに、全部ダメダメダメダメ。それなのに、アベノマスクだの、政府はGoToだの会食だの、コロナにならなくたって今年中には死にそうな老人にワクチンが出回った。
マスクをつけろと言われて、動くなと言われたのに、経済を回すのに躍起になって。でも高校生は黙食。2年生になっても、変わらなかった。一年経ったら治るかも、という淡い期待は変異株だの、デルタだの、オミクロンだののニュースが全部無くした。修学旅行は近場の映画館に変わった。たいして興味もない映画を2時間観た。
それでも、オンライン授業は減って、帰りにカラオケに寄ったりはできるようになった。
オリンピックが決まった時、正直馬鹿じゃないの、と思った。
日本で生活してる高校生は、高校生の祭典を一個もしていないのに、平和の祭典をするんだ、と。別に出る選手とかに怒りはなかった。自分が選手だったら、そりゃあ出れるなら出ている。だっさい開会式を観ながら、「これはいいんだ」となんだか諦めがついた。経済が回るオリンピックの開会式は華々しくて、でも全部ダサかった。
あぁ、と。こういうのを動かしてるのも、コロナの対応を最後に決めるのも、全部おじさんなんだなぁ、と。
JKの高校生活の希望なんか、考えてもらえるわけもないのに、何を期待していたんだろう、と。良いところで育って、政治家やら偉い立場になった人たちに、若者の3年間なんか何の意味も無いことなんて端からわかっているのに。
それから勉強に打ち込むようになった。3年生になっても、何も変わらず。オンライン、マスク、換気、黙食。
幸い、1年生の成績はオール5。それを引き継ぐように2年の夏から勉強をしっかりしていた私は3年の夏に大学の推薦が決まった。東京の、まぁまぁ有名な大学。
期待なんてしないほうがいいともう散々わかっているのに、ワクチンが打ってもマスクは外せないのに、大学生活に期待してしまう。
大学生活では、友達の顔を知りたい。ご飯を食べながら「おいしいね」と喋りたい。
少しずつ、元に戻っては来ている。顔見知りしかいない屋内で、私はマスクを外す。電車で吊り革も掴む。家族で旅行に行く予定もある。
もう2度と、目より下の顔を卒業写真を撮る時に知る経験なんてしたくない。