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【#2000字のドラマ】マニキュア

 まあ、とりあえずちょっと聞いてよ。
 あ。いい、いい!そんな改まってこっちを向かなくて。片手間で十分、そのまま気にせずネイル塗ってて。

 えっとどこまで話したっけ。そう、それでね。私、今日会いに行ったの。この先どうするつもりか直接聞こうと思って。ほらあの人って何考えてるのかつかめないところあるじゃない。でも必修の講義クラスにすら顔を出さなくなって一週間でしょう。きっといろいろ考えてたり気まずかったりするんだろうなって。でもこれ以上黙って待てないなと思って、つい。気になることをそのままにしておけない性格って本当に厄介よね。

 でね、思い立ったその足で家まで行って呼び鈴を押したの。うんうん、まだ昼過ぎだったしあの人がバイトの日じゃないのは知ってたから、勢いで押しかけたんだけどね。なぜか初めて家に行ったときくらいどきどきしちゃった。行ったはいいけど話すことが全然まとまってなかったもん。勢いそのままで呼び鈴を押した後少し待ったんだけど、全然反応なくてね。
 さてどうしようって数分家の前で悩んだんだけど、そのときやっと携帯のことを思い出して電話をかけてみたの。いないなら出直すしかないなってダメもとで鳴らしたら、目の前の部屋から着信音が聞えるのよね。なあんだいるのかってもう一度呼び鈴を押したら中からドタバタ足音が聞こえてね、開いてるー!って言われたわけ。開いてるって知らせてくれるってことは、入って良いってことかなって思って私そのままドアを開けたんだよね。

 そしたら彼、両腕に取り込んだばかりみたいなシーツとかタオルとかめいっぱい抱えてそこに立ってたの。いろいろ言葉はよぎったんだけどその姿見たら、思わず元気?って普通なこと聞いちゃった。彼、まあねって頷いて笑ってた。ちょっとやつれてて心配になったけど私がそれに触れるのはいけない気がして我慢したの。彼の変な癖なんだけど、悩み事があるときには無心になれるからって洗濯をしたがるのよ。お酒に逃げるとか何か不健康なことをするとかよりずっと健全だし目の当たりにする度笑ってきたけど、彼の腕の中にあるてんこ盛りになった私があげたハンカチや真っ白な枕カバーをみたら言葉にならない悲しみで胸がいっぱいになっちゃって危なかった。
 一週間この人は、どんな気持ちで洗濯をしてきたんだろうって。慌てて後ろを向いて玄関のドアを閉めたら、電話してくれた?ごめん、気がつかなかったやって言われて。顔を見なくてもどんな顔で言ってるのかわかるのがまた悲しくてね。

 でもね前に会ったとき・・・そうそう、卒業してから先どうするかって話をしたときと比べたら、ずいぶんすっきりした顔してる気がして安心もしたの。彼の中では答えがちゃんと見つかってるんだなってほっとしたの。だからもう私から言ってあげようと思って、深呼吸して、彼の目を見てちゃんと言ったのよ。

「お別れを言いに来たよ」って。

 どう考えてもどれだけ悩んでもいま出せる答えはその一つで。わかってはいたけどぐるぐるしていたのに、目を見た瞬間そう言うしかないなあってぽろっと言葉が出たの。地元に帰りたいっていつか話してくれたことを私は覚えていたし、例え先のことであったとしても彼について行く自分がいまは想像できなかった。親の反対押し切って上京してきてやってきた分この辺りで就職するつもりだったし、それに私は遠距離恋愛なんてできっこないし。上手く言えないけど、先の見えない約束をするには至らなかっただけで、こうなるのも仕方なかったような気がする。一週間待っても自分から答えを言い出せないって本当にヘタレな人よねえ。その優しいところがすごく好きで、でも先が見えないなって思った理由でもあるんだよね。皮肉・・・やだ、なんできみが泣くの。あーあ、マニキュアの蓋開けっ放し!ほら、そこも塗り直さなきゃ。

 ・・・泣かないで。ごめんね、たくさん話も聞いてもらって応援してもらってたのに。うんうん、その後はお察しの通り。「わかった」って困ったようなホッとしたような顔で言われて、お互いにありがとうって言い合ってあっさりさよなら。何も上手く言えそうになくてでも何か言わなきゃと思って、そのハンカチ頂戴って言ってハンカチだけもらってこうしてきみの家まで走ってきたってわけ。私知らなかった、別れ話ってする方もこんなに苦しいんだね。
 うわ、確かに言われてみれば私あげたプレゼント回収した残念な女に見えるね、そんなつもりなかったけど・・・まあいいか。おかげでちょっとくらい泣いても拭くものに困らないし。ねえそんなに泣かないでよ、つられちゃうから。そうね、いつかこんなことあったねって、笑えるようになるよね。人生本当に何が起こるかわからないね。

 大人になるって、こういうことなのかな。難しいね。ねえ、とりあえず左手のネイル私がやってあげるよ、貸して。その代わり、今夜泊まっていってもいい?

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