団地発祥の映像とHIPHOP
1960年代:団地住まいは憧れの的
今で言うタワーマンションのような憧れの存在だった団地住まい。
中流階級の子育て世代を中心に住んでいた。
その当時の生活感が感じられる映像が、日本住宅公団監修の『団地への招待』で高度経済成長期好きの私にとって最高に面白い一本である。
1970年代:団地の不満からポルノ映画誕生
1971年『団地妻 昼下りの情事』というポルノ映画がヒットし、”団地妻”という言葉が生まれた。
この頃の団地に住むメイン層は、夫は仕事で忙しく、妻は専業主婦で暇を持て余していた。
そこを上手く突いたリアル感のある設定でシリーズ化するほど人気が出たのだ。
作中には「狭いコンクリートの箱の中に押し込められて息が詰まりそうだ」という有名なセリフがある。
高度経済成長で一気に暮らしが豊かになり、住む家がないなどの住宅問題が解消されつつあることから住まいの憧れは団地から一軒家へとシフトされていったことを証明し、この時代だからこそ生まれた言葉ではないかと考える。
1980年代〜1990年代:団地からHIPHOP誕生
1980年頃は、団地で育った子供たちが独り立ちし住宅への理想が変わってきたこと、出生数の減少などの理由により生活関連施設(教育機関、金融機関、店舗など)が併設したニュータウンはどんどん衰退していった。
そうなると空き部屋が続出し、満室にしたい国は低所得者や永住権を持つ外国人の入居を増やしていった。
すると文化の違いなどで先に住んでいる住民との衝突が増え荒廃化し、団地の劣化とともにイメージもどんどん悪くなっていく。
この時期に団地で生まれ育った子ども達は、貧困や複雑な家庭環境など悩みを抱えていることが多かったが、団地特有の濃い近所付き合いで友達や仲間・先輩後輩の絆が深まり、地域愛が強い子供が多かった。
そして、その子供たちから続々と日本のヒップホッパーが誕生した。一覧がこちら▼
なぜヒップホッパーが多いのか?
それはアメリカのHIPHOPルーツと相違しているからである。
70年代前半アメリカで行われた都市計画で、ニューヨーク郊外の巨大団地へ半強制的に移住させられた貧困層の有色人種の若者が『プロジェクト』と呼ばれる団地の公園などで始めたパーティからヒップホップが生まれた。
この団地から生まれたラッパーはNas、Mobb Deepなどがいて貧困や差別、家庭環境など自身の体験をラップにぶつけ、スターの道を駆け上がっていく姿は、日本の団地っ子たちの心に刺さり、将来の理想となりヒップホッパーが増えたと考えられる。
団地出身ではないが、神奈川県川崎市の工業地帯で生まれ育ったヒップホップクルーBADHOPも貧困と暴力、薬物が横行する地元で仲間とラップを始めた背景は、プロジェクトや団地出身ヒップホッパー達と類似している。
ちなみに「団地出身の芸能人」と検索してみると、真偽は不明だが人気俳優・女優、ジャニーズ、お笑い芸人まで幅広く名前と出身団地名が出てくる。最近は、団地出身を公表しているアイドルまで存在している。
やはり子供の頃から苦労を知っていると、売れて裕福になりたい、自由になりたいという気持ちが人一倍強くなり芸能界で生き残れる強い子が育ったのではないだろうか。
2000代以降:団地のイメージ回復
さて2000年代以降の団地は、UR都市機構が誕生し、団地のリノベーションや吉岡里帆のCM効果もあり、子育て世代が戻りつつある。
また、『団地ともお』という団地住まいを舞台にしたコメディアニメが開始されたり、アートと共に団地を盛り上げたり、団地マニアが出てきて団地写真集が発売されたり、東京の旧赤羽台団地が団地として初めて国の登録有形文化財となるなど、徐々に団地に対してポジティブなイメージが復活しつつある。
次はどんな文化が団地から生まれるのかな。