![カウボーイビバップ](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/19457402/rectangle_large_type_2_ff91bb7fa12ebe4bc545e747a17dc0eb.jpeg?width=1200)
カウボーイビバップと革命家YouTuberの話。
ちょー今更な話をします。
10歳の革命家ユーチューバーの話です。
知らない方に説明すると、この少年は学校へ行くことに疑問を感じ、
「ロボットになるな」「不登校は不幸じゃない」と持論をユーチューブ上で発信、様々な物議を醸しています。醸していました。
今は知らない。
彼自身を取り巻く環境に関しては言及するつもりはないです。
親がどうだとか、ユーチューバーがどうだとか、そのあたりの議論は
ネットに溢れている情報で各自考えてください。
まず、考えたいのは、「学校へ行くことは是が非か」ということですね。
結論から申し上げると、「学校へは行った方が良い」と思います。
というか、それしか言えません。
なぜならばボクが学校へ行って育ったからです。
むしろほとんどの方がそうして育ってきたはずですよね。
これは何も、「みんな学校へ行ってるんだからお前も行け」的な
同調圧力で言っているのではありません。
「学校に行く」という行為に疑問を持たず育ってきたため、
「学校へ行かない」という選択肢で、どのような人格が形成され、
どのようなメリット(デメリット)があるのかなんて、
その選択肢を取った人物でない限り、もしくはそのような人物と接しない限りわからないんです。
もちろん逆もしかりで、学校へ行き学べること(メリット)や経験する苦い体験(デメリット?)は、行った人間にしかわかりません。
結局、どちらの立場であっても、
本当の意味でお互いを理解することは難しいのではないかと思うんですね。
少年の言うこと(その親の持論でもあるかもしれないが)も理解できるんです。
みな同じ場所で同じ制服を着用し、同じカリキュラムをこなす。
個性的な外見は校則で排除され、同じような人格を育てていて、「まるでロボット」だという意見は、言われてみればそう感じなくもないです。
だけど、そのような教育を受けてきたボクが今、
その少年から嫌悪され不幸だと思われるような大人になったかと言われれば
そうでもないとも思うんです。
学校で「大人は理不尽だ」と感じたことはなくもないですが、
それなりに青春して、馬鹿なことをして怒られ、恋をして、火遊びをして、
就職をして、妻と出会い、子供もできました。
このボクの人生は、非常に「ふつう」だと思うんですが、
少年にとっては「ふつう」が不幸なのかもしれません。
結局、幸か不幸かの基準は人それぞれで、
どれだけ議論を交わしたところで、
基準をすり合わせない限り平行線です。
だけど、現状はおそらく「学校へ行く」という選択肢が一般的である以上、
「学校へ行かない」という選択肢を選ぶ人物が増えない限り、
一般論的に「学校へは行ったほうが良い」と片づけられて終わりではないかなぁと思います。
そういった意味では、
「学校へ行かない」という選択肢が一般的に認められ、
その選択肢を選ぶ人物が増え、その人らが大人になったとき、
学校へ行った人物と行かなかった人物にどのような違いが生まれたのかを
比較することができるかもしれません。
もしくは、学校へ行かなかった選択肢がもたらしたぐうの音も出ない程の結果を見せつけることが出来れば、世間の納得性もあるかもしれません。
そのうえでの議論であれば、ボクは見てみたいです。
(この少年が学校へ行かずに20歳になったとき、
それまでの経験を踏まえて改めて訴えればまた印象も変わるかもしれない)
もちろん、学校へ行く・行かないだけでなく、
親の考え方など家庭の環境、友人の影響、メディアの影響など、
様々な要因によって人格は形成されるため、
一概に「学校」という一要因だけでは語れません。
*
さて、もしもボクが「学校へ行って育った場合」と
「学校へ行かずに育った場合」で考えたとき、
その二人は同じ人物と言えるのでしょうか。
ボクの好きなアニメに「カウボーイビバップ」という作品があります。
1998年にテレビ東京系で放送開始したが、全26話だったにも関わらず、
当時の時代背景(暴力描写とかそんなん)に配慮した「大人たち」が話数を調整。13話しか放送されなませんでした。
↓は劇場版の予告映像。かっけえ!
その後、WOWWOW内にて全26話が放送されることになり、
登場人物の魅力や、ハードボイルドな世界観、Jazzyでオシャレな音楽性から、世界的に人気を博す。2019年現在ではNetFlixで実写ドラマの制作が決定しています。
しかし放送当時の制作陣はとても悔しい思いをしたことでしょう。
ストーリーを完結することの出来ない最終話は「よせあつめブルース」と題され、これまでの放送回や未放送回の一部の映像を使用し、登場キャラクターが、哲学書ともコラムとも愚痴とも言えるセリフを30分間放送しました。
その中で一つボクのお気に入りのセリフがあります。
「食いモンはとても大切だ。なにしろ人間の体はそいつが食ったモンで出来ているわけだ。もし俺のクローン人間がいたとして、そいつがハンバーガー以外食ったことがないことにしよう。そいつと俺は遺伝子的には同じでも、まったく違った人間になるはずだ。ハンバーガースパイクは俺よりも怒りっぽいかもしれないし、日曜には教会に行くような男かもしれない。凶暴な賞金首かもしれないし、Yシャツにはアイロンをあててから着るような男かもしれない。いずれにしても、ハンバーガースパイクは俺とは別人だ。要するに食い物を選ぶときは、よくよく考えて選ばないといけないってことだ。」
※スパイクとは主人公の名前
この場合、食べ物を例に出しているが、
要は「違った環境で育てば、違った人格になる」
という話です。
学校も同じ。
もしボクのクローン人間がいたとして、
「学校に行く私」と「学校へいかない私」だったとしましょう。
その二人は全く別の人間になるかもしれない。
学校へ行った私は勤勉な生徒会長かもしれないし、
いじめられっこかもしれない。
学校へ行かなかった私は世界中を旅しているかもしれないし、
暴走族になっているかもしれない。
要するによくよく考えて自分の人生は選ばないといけないということです。
今日はこれくらい!