アーサー・C・クラークを読み解く――小説と宇宙開発――
1.はじめに
以前アーサー・C・クラークを取り上げた際に、『一番印象に残っているのは「都市と星」だ』という旨のことを書いたのですが、それと同じ位印象に残っているのは、「楽園の日々」という回顧録です。この書籍は小説ではありませんが、個人的にはクラークの良さの詰まった本であると思います(私が今までに取り上げた小説家は何人かいらっしゃいますが、自伝も書かれた方というのは貴重だと思います)。「楽園の日々」では、1930年~40年代の『アスタウンディング・サイエンス・フィクション』(現在の誌名は『アナログ・サイエンス・フィクション・アンド・ファクト』です)を主軸としたアメリカのSF、そしてロケットに関係する人々とクラークとの関わりについて知るには良い本だと思います。1930・40年代を中心に、クラークがどのような小説(SF以外も含みます。今でも読める本があるので、クラークがどのような本に触れてきたかをたどることができます)や人物と接してきたか、クラークのユーモアに溢れる文章(ユーモアという意味では、小説家ではありませんが、クラークと同じイギリス人で、理論物理学者であり、サイエンスライターの一面もあったスティーヴン・ホーキング博士の書籍である「ビッグ・クエスチョン <人類の難問>に答えよう」を読んだ時も近い文章だと感じました)
様々な本を読み、クラークの交友関係や遺されたエピソードを知るようになると、小説とは異なった、回顧録としての面白さの詰まった本だと思います。この本や、ザ・ベスト・オブ・アーサー・C・クラーク 1~3の巻末に掲載されたクラークの年譜(年譜は3冊に分散されており、1巻には一九一七~一九六〇、2巻は一九六一~一九八〇、3巻は一九八一~二〇〇八)は資料としての価値も高いと思います。本noteでは、「楽園の日々」を軸に、クラークの年譜やクラークについて取り上げた書籍を参考に、アーサー・C・クラークを読み解いていきたいと思います。
2.小説家
2-1.アイザック・アシモフ
唯一の例外、アイザック・アシモフズ・サイエンス・フィクション・マガジン誌は、アイザックが親切にも月ごとに送ってくれる。わたしに対して彼がどんな警句を吐いたかを見るだけにせよ、少なくとも彼の編集後記は読むことにしている。
「楽園の日々」 1 ファーストコンタクト より
六月、ニューヨークでのSF関係者の会合「ヒュドラ・クラブ」に参加。アイザック・アシモフと始めて顔を合わせる。生涯にわたる友情のはじまり。
「太陽系最後の日 ザ・ベスト・オブ・アーサー・C・クラーク」 アーサー・C・クラーク年譜 一九五三年の項目より
2-2.ロバート・A・ハインライン
物語はよどみなく進み、迫力に満ちている。それから三年間、キャンベルの「新人作家」は、アスタウンディングに三つの連載を含めて二十編という仰天するような(失礼)数の短編を書いた。彼の名はロバート・A・ハインライン。
「生命線」は、短くはあるが、ハインラインに一生を通じたテーマを提供することになる最大の関心事のいくつかが、すでに暗示されている――たとえば死や、大組織と個人の対決である。
「楽園の日々」 27 「鎮魂曲」 より
2-3.アーサー・コナン・ドイル
ライダー・ハガード(中略)とコナン・ドイル(『失われた世界』――わたしにとっては、いまも、このジャンルの最高傑作の候補だ)も視野に入ってきた。
わたしの持っている『失われた世界』(一九一四)の口絵ページにはチャレンジャーをはじめ、その大冒険に行ったほかのメンバーを写した写真が出ている。大きなひげと濃い眉を持つ教授その人は、われわれの遠い祖先に生き写しだ――これは小説の中で重要な役割を果たす類似である。モデルは、たっぷりと脚色したドイル自身であり、彼にとって、この怒りっぽい科学者は、自分の創作した有名なシャーロック・ホームズよりも、ずっと親近感があるのではないかと思う。
「楽園の日々」14 「太陽から生まれたもの」 より
アーサー・コナン・ドイルは有名な作家ですが、彼がSFを書いていたことはあまり知られていないのではないでしょうか。なお、チャレンジャー教授を主人公としたSF小説としては、「失われた世界」の他に、「毒ガス帯」という作品もあります。
2-4.ハワード・フィリップス・ラヴクラフト
いまやアスタウンディングは、SFというよりファンタジーに深く関わる別の作家を呼び物にしようとしていた。H・P・ラヴクラフトは一九三六年に突然の登場をした
(中略)
自分の小説に劣らず変わり者のラヴクラフトは、嫌いになるか好きになるか二つに一つという作家の一人である。彼は、死後に偶像的存在になった。
「楽園の日々」19 大いなる栄光、不愉快な悪夢 より
ああ、古き懐かしきネクロノミコン!
(中略)
ことによると、このラブクラフトの全創造物のうちでもっとも有名な、不思議な力で旅をする永遠の地獄の独学案内書は、いまや幻の生命を獲得したのかもしれない。
「楽園の日々」19 大いなる栄光、不愉快な悪夢 より
この美しく装丁された書物は(一〇〇〇部だけ印刷された――わたしのは四二一番である)、最後まで本当の大人になれず、生まれるのが一〇〇年遅すぎた――または早すぎた――男のたぐい稀な肖像になった。
それに『ネクロノミコン』よりも安全な読み物なのだ。
「楽園の日々」19 大いなる栄光、不愉快な悪夢 より
3.アーサー・C・クラークとC・S・ルイスについて
C・S・ルイスは「ナルニア国物語」の作者です。ここで特別に取り上げたのは、二人が宇宙旅行の是非について書簡で議論を交わした後に、実際に会って議論をしていたためです。
クラークの小説「宇宙への序曲」は、クラークの宇宙開発に関する啓発家としての一面が色濃く反映された作品なのですが、作中に以下のような一文があります。
ふたつ目の、ひょっとしたらより重要な意見は、惑星間飛行は可能だと認めるものの、神秘的、または宗教的根拠に基づいてそれに反対するものだった。
(中略)
インタープラネタリーの草創期における、もっとも手強い論敵だったオックスフォードの名士、C・S・ルイスの言葉を借りれば、天文学的な距離は「神の定めた隔離規制」なのである。もし人間がそれを克服すれば、神聖冒涜と変わらない罪を犯すことになる、というわけだ。
話は前後するが、一九四三年にクラークは、のちに≪ナルニア国物語≫の作者として有名になる神学者C・S・ルイスに手紙を書き、人類の宇宙進出に関して論争を挑んだ。ルイスが伝統的なキリスト教の立場から、それに異を唱えていたからだ。
除隊後の一九四六年に英国惑星間協会の会長となったクラークは、ふたたびルイスに論争を挑み、往復書簡を交わした後、ついに対面へといたった。
(中略)
このときルイスは、のちに≪指輪物語≫の作者として名を馳せる同僚J・R・R・トールキンを同席させ、クラークのほうは英国惑星間協会の重鎮ヴァル・クリーヴァーをともなっていた。両者の意見は平行線をたどったが、別れぎわにルイスは陽気な口調で「きみたちは悪人だが、だれもが善人だったら、世の中は恐ろしく退屈だろう」と述べたという。
(「宇宙の序曲」 の訳者は多くのクラークの作品を翻訳をされてきた中村融氏です)
このエピソードに関しては、『太陽系最後の日 ザ・ベスト・オブ・アーサー・C・クラーク』 の巻末に掲載された「アーサー・C・クラーク年譜(一九一七~一九六〇)」にも記載されています。
正確な時期は明らかではないが、おそらくこのころに、オックスフォードのパブ「ザ・イーストゲイト」にて、C・S・ルイスに面会。ルイスは友人のJ・R・R・トールキンをともなっており、クラークには英国惑星間協会の重鎮ヴァル・クリーヴァーが同行していた。宇宙旅行の是非については双方が譲らず。別れ際にルイスは「あなたがたは悪人だが、世の中が善人ばかりだったら、さぞ退屈なことでしょうな」と言った。
「太陽系最後の日 ザ・ベスト・オブ・アーサー・C・クラーク」 アーサー・C・クラーク年譜 一九四八年の項目より
なお、C・S・ルイスと同席したJ・R・R・トールキンに関しては、トールキンの著書「指輪物語」を読んで自らの作品である「都市と星」の参考にした模様です。
今回の冒頭で、クラークは一九五四年にダイビングのため客船でロンドンからシドニーへと向かい、その途上で本作は書き始められたと記しました。
同じくこの船旅の途中で、クラークはトールキンの『指輪物語』を読んでいたことがわかっています。『指輪物語』はブリティッシュ・ファンタジーの王道である「行きて帰りし物語」の代表格です。
比較神話学者ジョーゼフ・キャンベルは世界各地の神話物語を検討して、神話には「英雄の旅」と呼べる共通の構造的特徴があることを見出しました。英雄は天命を受けて旅立ち、師(メンター)となる人物や旅の仲間と出会いつつ、やがて克服すべき課題を達成し、そして故郷に戻ってくる――というもので、トールキンの『指輪物語』はまさにその王道の英雄譚を踏襲しています。
(中略)
話を戻すと、トールキンを始めとする神話的英雄譚の血脈は、『都市と星』にも受け継がれていると考えられます。
「アーサー・C・クラーク」スペシャル 2020年3月 (NHK100分de名著) 第3回 科学はユートピアをつくれるか ―― 『都市と星』 神話色の強い冒険 より
(太字強調は引用者によるもの。なお、同書の解説を務めておられるのは、小説「パラサイト・イヴ」の著者である瀬名秀明先生です)
クラークの小説「都市と星」とトールキンの「指輪物語」(こちらは小説版に沿ったシナリオで、三部作の映画として公開された「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズの方でも構いません)を比較すると分かるのですが、どちらも話の構造が「行きて帰りし物語」という点で共通しています。
4.ロケット関係者
4-1.ヴェルナー・フォン・ブラウン
彼の初期の論文がアスタウンディングに発表されているあいだに、ウィリー・レイの昔の同僚たちは、いくらかドイツ軍の援助を受けて、すでにペーネミュンデに腰を落ち着けていた。(中略)それでも、彼らの指導者である若いヴェルナー・フォン・ブラウンは、早くも月に目を向けていた――残念なことに、ロンドンを最初の中継点として。
なお、最初の"彼"とは、ウィリー・レイを指しています。同氏に関してはこのnoteの少し後で触れます。
まちがいをすべて指摘すると、”専門家”は(明らかに、自分の権威が傷つけられたと感じて)われわれには自分の論じていることがわかっていないとだけ答えたものだ。そこでヴェルナーへの要請になったのだが、彼は即座にシングルスペースで三ページの返事をよこし、それはこういう書き出しで始まっていた。「あなたはピクチャー・ポストとの戦争に私が戦友として加わることを求めておいでですが、あなたを失望させることにならないよう、ひたすら願っています」。
「楽園の日々」 29 ヴェルナー より
一流誌<ピクチャー・ポスト>八月九日号に掲載された、デレク・ラッジ・モーリイの宇宙飛行についての論文がまちがいだらけなのに腹を立て、批判の手紙を同誌に送った。モーリイが過誤を認めないので、クラークはロケットの第一人者ヴェルナー・フォン・ブラウンに援護射撃を依頼。フォン・ブラウンは即座に応じ、これをきっかけとしてふたりの交流がはじまる。
「太陽系最後の日 ザ・ベスト・オブ・アーサー・C・クラーク」 アーサー・C・クラーク年譜 一九五一年の項目より
4-2.ヴァルター・ドルンベルガー
最初の飛行が成功したあとで、フォン・ブラウンに「今日、宇宙船が生まれた」と言ったのは、ドルンベルガー将軍だった。また、軍用ロケットの開発に精出すよりも宇宙船の設計に興味を持っているという、まんざら根拠がなくもない容疑でヒムラーに逮捕された天才的な若い技術者を、非常な危険をおかして救出したのも、ドルンベルガーだった。
「楽園の日々」 29 ヴェルナー より
4-3.ウィリー・レイ
いくらかの時間を建造に、そしてもっと多くの時間を書くことに費やした男がウィリー・レイだ――そして、彼には一章を捧げる価値がある。
「楽園の日々」 20 メカニカル・ボーイ より
ウィリー(われわれ一同にとっては”ヴィリー”だが)一九三五年、二九歳のときに、ドイツからアメリカに移住した。天文学、地質学、歴史学、動物学に同じくらい通じた博学な彼はのちに指導的な宇宙探索推進論者――そして最初の歴史家――になった。
「楽園の日々」 21 「近日点で」 より
だが、ウィリーのもっとも影響力の大きな本は、明らかに『宇宙の征服』The Conquest of Space(一九四九)であって、彼はチェスリー・ボーンステルの壮大な太陽系の図版に解説をつけた。これらの美しくも圧倒される考察(特に、それぞれの衛星から見た土星の古典的な眺め)は、多数の人物を天文学の脅威へ、また宇宙探求の可能性へと導いたにちがいない。
「楽園の日々」 21 「近日点で」 より
戦争が始まると、余剰雑誌の供給はただちに底をついた。イギリスに向かう船舶は、もっと重要な積み荷を運ぶ必要があった。だが、そのころにはアメリカに多くの友人ができ、その一人が科学解説者でドイツの"宇宙旅行協会"創設者のウィリー・レイだった。彼は戦争の全期間を通じて、刷りあがったばかりの(いまや新しい判型になった)アスタウンディングを欠かさず送ってくれた。彼への感謝の気持は、死ぬまで失われないだろう。彼が生涯の大部分を捧げて推進した事業、アポロ11号の発進のわずか数週間前に死んだことには、彼の多くの友人といっしょに、悲しむだけでなく憤激さえ覚えるのである。いま、月の新しい地図には、彼の名にちなんだクレーターがある。
「楽園の日々」 1 ファーストコンタクト より
「楽園の日々」は回顧録としての面白さの他に、クラーク本人やSFの歴史や第二次世界大戦前後のロケットの開発史を知る手がかりとしては良い資料だと思います。調査の足がかりにするには向いているのではないでしょうか。
私個人としては、この本をきっかけにフランク・ハーバートの「デューン 砂の惑星」や、"スペースオペラの父"と呼ばれるE・E・スミスの「レンズマン」シリーズ、オラフ・ステープルドンの「スターメイカー」(オラフ・ステープルドンの小説だと、「楽園の日々」の中で、クラークに"わたしの想像力にこれほどの衝撃を与えた本は、あとにも先にもこれだけだった"と言わしめた「最後にして最初の人類」も読みたかったのですが、残念ながら絶版でした)を入手しました。
5.参考書籍
5-1.クラーク本人の書籍
楽園の日々 アーサー・C・クラークの回想 Kindle版
太陽系最後の日 ザ・ベスト・オブ・アーサー・C・クラーク (ハヤカワ文庫SF) Kindle版
90億の神の御名 ザ・ベスト・オブ・アーサー・C・クラーク (ハヤカワ文庫SF) Kindle版
メデューサとの出会い ザ・ベスト・オブ・アーサー・C・クラーク (ハヤカワ文庫SF) Kindle版
宇宙への序曲〔新訳版〕 (ハヤカワ文庫SF) Kindle版
5-2.それ以外の書籍
失われた世界【新訳版】 (創元SF文庫)
マラカンドラ 別世界物語1 Kindle版
ペレランドラ 別世界物語2 Kindle版
サルカンドラ 別世界物語3 Kindle版
いずれもC・S・ルイスの小説で、Wikipediaのアーサー・C・クラークの項目によると、"ルイスの死後、クラークは別世界物語三部作を本物の文学といえる数少ないSF作品だと述べ、最大限の賛辞を贈った。"とのことです。
新版 指輪物語〈1〉/旅の仲間〈上〉 Kindle版
6.Wikipedia
アーサー・C・クラーク
アイザック・アシモフ
ロバート・A・ハインライン
アーサー・コナン・ドイル
ハワード・フィリップス・ラヴクラフト
C・S・ルイス
J・R・R・トールキン
ヴェルナー・フォン・ブラウン
ヴァルター・ドルンベルガー
ウィリー・レイ (作家)