0.前書き
本noteですが、編集者として、1930年代末から1940年代のSFに編集者として大きな影響を与えたジョン・W・キャンベルという人物についてです。
1.功績
ジョン・W・キャンベルは1937年からSF雑誌"アスタウンディング"誌の編集長となりました(編集長を務める前は"アスタウンディング"誌にいくつか小説を投稿していました)。その後、1940年代に"アスタウンディング"誌は歴史に名を残すようなSF作家の作品をいくつか掲載しています。その一人が、「夜来たる」や「われはロボット」の著者である、アイザック・アシモフになります。
上記引用の通り、アイザック・アシモフの小説に出てくる"ロボット工学三原則"という言葉が生まれた背景には、ジョン・W・キャンベルが大きくかかわっていたことが分かります。
Wikipediaによると、アメリカでは1940年代がSFの全盛期といわれているとのことで、"アスタウンディング"誌で活躍した著名な作家としては、発言を引用したアイザック・アシモフの他に、ロバート・A・ハインラインなどが挙げられます。
なお、なぜ、"アーサー・C・クラークの書籍なのに本人ではなくアイザック・アシモフの言葉が引用されているのか?"というと、こちらの書籍ではアイザック・アシモフの言葉がいくつか引用されているためです。
2.変節
しかし、1950年代になるとこの状況に変化が生じてきます。競合の雑誌が増えてきており、作家側にも掲載誌の選択肢が増えてきたため、"アスタウンディング"誌の相対的な優位性は下がっていったと考えられます。
そして、ジョン・W・キャンベル自身の方針にも変化が生じてきます。
SFに対して大きな影響力を持ち、多くの作家の編集者を勤めてきたという実績のある編集者から、投稿してきた作家に対し「疑似科学を作品に取り入れろ」と言われると、反発する理由も分かりますし、力関係からその要求をのまざるを得なくなる作家がいるというのは推測が可能です(力関係という点で見れば、現在でも、SFや雑誌に関係なく起きうる話ですし、今の時代であれば、SNSなどを通じた内部告発が起きる可能性はあると思います)。不合理な要求を飲むのであれば、競合誌に作品を送ることを考えるSF作家が出てくるのは当然の流れだと感じます。
ただし、冒頭に引用した、アイザック・アシモフの言葉を見る限り、性格などを考えると、若い時から晩年の言動に対する萌芽があったように感じます。
3.アーサー・C・クラークとの関係について
クラーク自身は"アスタウンディング"誌の熱心な読者であり、いくつかの作品を"アスタウンディング"誌に送ったとのことですが、実際に掲載された作品はそれほど多くありません(なお、"楽園の日々"は邦題であり、原題は"ASTOUNDING DAYS"となっています。恐らく、"アスタウンディング"誌とひっかけてあると思います)。『太陽系最後の日』は掲載されたそうですが、著名になった作品の中には掲載を断られた作品もいくつかあります。引用元の書籍に挙げられた作品としては、『銀河帝国の崩壊』(『都市と星』のベースになった作品)が該当する作品であり、ジョン・W・キャンベルが執筆した作品に影響されて書いた作品だったようです。
『銀河帝国の崩壊』の"著者公認の最終的な決定版"である『都市と星』については現在電子化されており、読むことができます。読むと、確かに、上記で引用した「薄暮」の影響を受けた作品であることが伺えます。
また、『銀河帝国の崩壊』と同じくアスタウンディング誌に送って掲載されなかった作品として、『守護天使』(『幼年期の終り』のベースとなった作品)があり、アーサー・C・クラーク氏と(編集者としての)ジョン・W・キャンベル氏はあまり相性が良くなかったと考えられます。
4.補足:"クラークの三法則"について
引用の中で、"クラークの三法則"についての言及があったので補足します。クラークの三法則に関しては、三つ目の"第三法則"が有名だと思われます(なお、この引用した部分の章には、「第三法則」という名前がついています)
5.このnoteの引用の出典元について
このnoteについてはこの書籍から引用を行っています。
楽園の日々 アーサー・C・クラークの回想 Kindle版
6.参考
ジョン・W・キャンベル
アスタウンディング
サイエンス・フィクション 歴史の項目
幼年期の終わり
クラークの三法則
6-2.書籍
都市と星(新訳版) Kindle版
太陽系最後の日 ザ・ベスト・オブ・アーサー・C・クラーク (ハヤカワ文庫SF) Kindle版
短編集。本文で触れた『守護天使』も掲載されています。
幼年期の終り Kindle版