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私は生き抜く

『FLYER』2001年12月号、パルコ

*2001年12月より隔月だったか、発行が隔月だったのかもう覚えていないが(たぶんもうひとりの筆者と交代で執筆だったのかも)、パルコのフリー・ペーパー「FLYER」の美術コラムを担当していた。2004年くらいまで続いたが、枠がどんどん縮小されて、最初1200字あった文字数が、800字、400字と少なくなっていって、いつしか依頼がなくなった(担当編集者の退社に伴い)。


「世界は寒い」と歌ったのはブリジット・フォンテーヌだった。あの事件以来やはり世界は寒々としているようにみえる。冬の到来が、世界中に雪を降らせはじめているような。そんな、世界や私たちの心に降りはじめた雪に耳を澄ましてみよう、オノ・ヨーコの曲「Listen, the snow is falling」はそんなことを歌っていたのではないだろうかとふと思う。

その彼女の新作CD『ブループリント・フォー・ア・サンライズ』が先頃発表された。国内盤にのみ,ボーナストラックとして一九七四年に発表されたシングル「夢をもとう」と「女性上位万歳」が収録されている(リミックス、エディットされているようです)が、日本語で歌われた曲だからという理由もあるのだろうが、日本という国がこの二曲をまだ必要としているのかもしれない、と思うと少し考えさせられる。彼女の言葉がふたたびリアリティを持つ時代とは幸せな時代なのかということ。しかし、彼女はそのCDのステートメントで「芸術は、生き抜くためのひとつの方法」であると書いているように、彼女の歌は,非常に個人的な夢や願いが込められているだけなのであって、アジテーションではない。「私は生き抜く」というメッセージなのだ。それはかつても今も変わらないだろう。

表参道のギャラリー360。で開催された彼女の個展「縦の記憶」におけるごく個人的な動機に根ざした作品は、先の「生き抜くためのひとつの方法」が彼女の個人的な救済であることを示しているように思う。展示は、自分の父親、夫であるジョン・レノン、息子のショーンという彼女にとってもっとも近しい「男」たちの顔をデジタル合成で重ね合わせたイメージと、「男」に対する自身のトラウマを書き連ねた十数枚の自筆のテクストによって構成されている。そのなかで、彼女の少女時代の、父親や見知らぬ男を見上げるなどの視線の上下運動や、穴に落ちていく夢、というような垂直運動の記憶と、男性社会の系図に由来する「縦」は彼女のもうひとつの作品を思い出させる。あの横浜トリエンナーレに出品された作品《貨物車》(一九九九—二〇〇一)である。まっすぐに垂直に「ほぼ無限大の宇宙」へ向けて打ち上げられた、崇高ささえ湛えたあのモニュメンタルな光の柱。「みんなで見る夢は現実」とかつて彼女は言ったが、それがあくまでも個人の救済を前提としているということは言うまでもないだろう。

アメリカでジョン・レノンの「イマジン」がラジオで放送禁止になったという話があった。その「イマジン」に多大なるインスピレーションを与えた彼女の処女詩集「グレープフルーツ」もこのたび復刻された。こんないまこそ是非読まれるべき書物だ。そのなかの一編を元にした曲「We’re all water」で彼女はこう歌っている。

私たちはみんな異なる川からやってきた水。だから簡単に出会える。私たちはみんな大きな大きな大洋の水。ある日みんな一緒に蒸発する。

いま私たちに必要なのは、こんな想像力なのではないだろうか。


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