イーノ・ハイドのめざす「ライクティ」の世界——スティーヴ・ライヒとフェラ・クティのデペイズマン

High Life/Eno・Hyde (BEATINK) 宣材冊子 2014年6月

イーノ・ハイドの二作目が早くもリリースされる。前作、というにはあまりにもまだリリースされたばかりの新作と言うべき『Someday World』は、二人のコラボレーションの成果として充分な内容を持っていたし、新しいユニットとしてのオリジナリティをすでに確立されたものでもあった。それはかつてのイーノによるコラボレーションがそうであったような、その組み合わせでしかあり得ない、アーティスト同士による相互作用の賜物である。彼らが、『Someday World』の制作を終えてもなお、プロモーションの代わりに(むしろ、それを公開することでプロモーションとすることで)スタジオでのセッションを継続することを決定したということが、このコラボレーションが単発的なものではなく、継続的かつ発展的な、ある手応えを結果したのだということを証明するものだと言える。そうして前作から一ヶ月あまりでリリースされたのが、この『High Life』である。

『Someday World』をヴォーカル中心の本編、そのボーナス・ディスクはイーノ主体のトラックとするなら、『High Life』は二人のより実験的なアプローチが前面に出ていることが特徴だろう。もちろん、イーノのほぼすべての仕事に関して言える最大の特徴とは、実験的なことがポピュラリティと相反しない、ということであり、今作もその例にはずれるものではない。しかし、前作がその実験性を巧みにポピュラー音楽のフォーマットに織り込み、純粋に音楽として楽しむことができるものとして昇華したものだとすれば、今作は実験的なアイデアによる創造性にあふれたダンスチューンと言ってよい。そして、そもそも、このコラボレーションには「ライクティ(スティーヴ・ライヒ+フェラ・クティ)」というコンセプトがあった。今作には、前作ではあまり表面に出てこなかった(あえてはずした?)、そのコンセプトをより先鋭化した最新型ともいえる意欲作であり、まさにコンセプトどおりのトラックが集められている。

そのコンセプト、およびワンコードで延々とギターのカッティングが続く長尺の楽曲といえば、かつてのイーノのプロデュース(を超えたプロデュース)によるトーキング・ヘッズの『リメイン・イン・ライト』が、まず思い出されるだろう。また、同時期にイーノは、アフリカのリズムとサウンド・コラージュという実験的な手法により時代に先んじた傑作、デイヴィッド・バーンとの共作による『マイ・ライフ・イン・ザ・ブッシュ・オブ・ゴースツ』や、ジョン・ハッセルとの「第四世界 Fourth World」シリーズ、ガーナのグループ、エディカンホ/The Pace Settersのプロデュース(再発希望)など、70年代末からアフリカの音楽、アフロ・ミュージックへ強い関心を寄せてきた。

イーノは「クラフトワークとパーラメントが合体したようなグループ」を理想とする、という旨の発言をしている。それがまさにアフロ期のトーキング・ヘッズにおいて試みられたことだった。ある種の音楽スタイルにおけるデペイズマン(異質なもの同士の組み合わせ)ともいえるこうした発想は、イーノの制作における重要な特徴である。ロキシー・ミュージックにおける、イーノのテープレコーダーの使用には、スティーヴ・ライヒの「スピーチ・メロディ」(話し言葉のイントネーションからメロディやリズムを抽出する作曲手法)と通じるものがあったし、それはバンドに異質な感触をもたらした。

かつて「テープの魔術師」と呼ばれたイーノが、決定的な影響を受けた作品としてライヒの提唱した「プロセスとしての音楽」と、その実践としての初期のテープ音楽作品『It’s gonna rain』と『Come out』を挙げていることはよく知られているし、また、イーノは、70年代初頭にフェラ・クティの音楽を通じてはじめてアフリカ音楽への関心を持ったとのだという(そして、近年ではシェウン・クティのプロデュースも)。ハイドもスライ&ザ・ファミリーストーンやボブ・マーリィーを自身のフェイヴァリットに挙げてもいる。その意味で、このイーノ・ハイドのプロジェクトとは、ふたりの非西洋音楽体験の起源への原点回帰という性質を持つものとも言えるかもしれない。
これまで、多くのアーティストがイーノとの仕事を熱望してきた。そこで求められていたのは、レコーディングにおける実験的なアイデアや録音手法の数々などであった。イーノとの共同作業とは、アーティストがそれまで持っていた方法論を打開してくれる触媒のようなものであるにちがいない。しかし、実験的な試みを提示しつつも、それらを難解なままに終わらせず、表向きは実験的と感じさせないのがイーノの手腕である。先ごろ公開されたイーノ・ハイドのレコーディングの様子にも、所謂セオリーにとらわれない、ある意味では70年代から変わらぬイーノ流のスタジオワークがうかがえたのだった。

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